第15話 8年前のテオ(ドルフ視点)



 8年前――――フィオル様がまだ10歳の頃でしたかな。私はホフマン様から『フィオル様とテオ様の野草狩り』について行くよう命じられました。目的地はそう遠くない山とはいえ子供2人だけで行かせるのは心配だったのでしょう。


 フィオル様は今以上にお転婆娘で目を離すとすぐにどこかへ行ってしまわれるタイプでした。ですが、この日はテオ様がいらっしゃったのでフィオル様の手綱を握ってくださったおかげで順調に歩を進めておりました。


 テオ様はまだ11歳で体格や顔立ちこそ幼かったのですが、野草狩りの下調べや、フィオル様を退屈にさせない会話など、執事である私が見習いたいと思うほどにフィオル様をコントロールしておりました。いえ、コントロールなどと言っては幼いフィオル様を動物扱いしているようで失礼でしたね、申し訳ございません。


 そんなテオ様とフィオル様は山の中腹で多種多様な野草が生えているポイントを見つけ、夢中で集めていました。特に夢中になっていたフィオル様は顔を土で汚しており、それを見て軽く微笑んだテオ様はハンカチでフィオル様の頬を拭きながら言いました。


「相変わらずそそっかしいな。それじゃあ嫁の貰い手もいなくなるぞ。妹のカミラの方が10倍は落ち着いているぞ」


「モテなくても平気だも~ん。私は大人になったらテオとエリクとグスタフを夫に迎えるから」


「おいおい、ミーミル領に重婚は認められていないぞ。それに俺を勝手に加えるな」


「テオは私と結婚するのが嫌なの?」


 首を傾げたフィオル様は尋ねました。魔性の……いや、計算無しで真っすぐ問いかけるフィオル様にテオ様は顔を少し赤くして鼻頭を掻いていました。


「いや、そういうわけじゃないが……。とにかくもう少し落ち着けと言っている」


「フフッ、テオって面倒見がいいよね。グスタフとエリクが放任主義で優しいお父さんだとしたら、テオは過保護なお母さんって感じ。順位を決められないぐらい3人とも魅力に溢れてるよ」


「過保護なお母さん……くっ、まぁいい。それより僕が気になるのはグスタフの評価だな。エリクはともかくグスタフは放任主義じゃない、何も考えていないだけだぞ。アイツの辞書には元気と前進と全力前進、この3つしか単語がないのだからな」


「あっ! またグスタフのことを筋肉バカだって馬鹿にしてるぅ~、チクっちゃおうかな~」


「おい、やめろ!」


「アハハ!」


 フィオル様がアナイン病に罹る前までは本当にテオ様はフィオル様と仲が良く、私は微笑ましく見守っていました。


 この後も野草狩りは続き、満足いくまで集められたフィオル様は立ち上がって私に視線を向けました。


「あー、楽しかった。やっぱり自然が1番だよね。ついて来てくれてありがとう、ドルフさん!」


「いえいえ、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました。では、そろそろ屋敷の方へ戻り……むっ!」


 私が言葉を途中で止めたのには理由がありました。それはフィオル様の背後に狼型の魔物ダイアウルフが忍び足で迫っていたからです。


 ダイアウルフは遠目から見れば灰色の毛並みが綺麗なだけの普通の狼です。しかし、実際に対峙した者は『普通の狼より2倍近く大きな体躯』に驚き、足を竦ませます。


 私は叫ぶよりも先に距離を詰めていました。目を開いて驚くフィオル様の横を最高速で駆け抜けた私は腰に下げていた剣を抜き、一刀のもと、ダイアウルフを斬り伏せたのです。


 剣についた血を払った私は振り返り「お怪我はありませんか、フィオル様?」と尋ねしました。しかし、フィオル様は震え続けたまま私の後ろを指差し……


「か、囲まれてる……」


 絶望に満ちた声を漏らしました。


 そう、私たちはダイアウルフの群れに囲まれていたのです。クワトロ家で1番剣術に長けている私ならダイアウルフ2,3匹程度なら問題なかったでしょう。しかし、奴らの数はゆうに20匹は超えており、流石の私も死を覚悟しました。


 ですが、私だけならまだしも今はフィオル様とテオ様の命を預かる身です。たとえ我が身が惨たらしく食い散らかされようとも守ってみせる……そう誓った私はフィオル様とテオ様を岩場の角に誘導し、背を向けて守ることにしました。


「おふたりは決してここから動かないように。距離が離れては守り切れませんので」


 私の指示を受けたフィオル様は大粒の涙を流しながらも私の上着を掴んでいた指を離し、戦いに送り出してくれました。


「ぜ、絶対に死んじゃ駄目だよ!」


「ええ、おふたりを屋敷に送り届けるまでは死にません。テオ様、どうかフィオル様をよろしくお願いします」


「……ああ、万が一ダイアウルフがフィオルに近づいたら俺が必ず仕留める。だから安心して戦ってくれ」


 テオ様の言葉と声は本当に力強かった。まだ11歳の少年に対して本気で背中を預けてもいいと思えるほどに。


 心と体が軽くなった私は力の限り暴れまわりました。10匹、15匹とダイアウルフを斬り伏せていき、残り1匹になったところで私は『どうにか守り切れそうだ』と確信に似た思いを抱きました。


 しかし、ここで予期せぬトラブルが起きてしまいます。目の前に残る1匹とは別のダイアウルフが近くの木の上に身を潜めていたのです。


 前方のダイアウルフに気を取られていた私は上から飛び降りてくる1匹に不意を突かれてしまいました。頭と左膝に強烈な爪撃を喰らい、立てなくなってしまったのです。


「グルルゥゥッ!」


 2匹のダイアウルフはフィオル様とテオ様には目もくれず、倒れている私を見下ろして涎を垂らしていました。


「くっ……ここまでか。フィオル様、テオ様、逃げてください!」


 私を食べることに夢中になってくれればフィオル様たちを逃がすことができる……そう考えた私は逃げるようにと呼びかけました。


 ですが、ここで我が眼を疑う出来事が起きます。なんとテオ様が御自身の腕をナイフで傷つけていたのです。歯を食いしばって痛みを堪えるテオ様はダイアウルフを睨みつけると……


「お前らは血の匂いが好物だろう? さあ、ドルフさんから離れて俺に向かってこい!」


 雄々しく叫びました。テオ様の行動はヘイトを自分に向ける為のものだったのです。


「お、お止めくださいテオ様! 私の事など放って――――」


 私の願いも虚しくダイアウルフはテオ様に飛び掛かりました。そこからはお世辞にも綺麗とは言えない戦いが繰り広げられました。テオ様は腕と足を引っ掻かれ、ダイアウルフは剣で目と喉を潰される激闘が続き、最後には崩れるように座り込んで勝利を喜ぶテオ様の姿がありました。


「ハァハァ……ハァハァ……か、勝ったぞ、守り切ったぞ」


 大汗を掻いたテオ様に抱き着いたフィオル様は「良かった……テオが死んじゃったら、私……」と大粒の涙を流して無事を噛みしめていました。


 そんな2人を見つめながら後頭部と左膝の血を拭いた私は足を引きずりながらテオ様に近づき頭を下げました。


「テオ様、なんと礼を申し上げればよいか。執事である私が貴族であるテオ様に守ってもらうことなどあってはなりません。いかなる処罰もお受けいたします」


 私は国外追放……もしくはそれ以上の罰を受ける覚悟がありました。何故ならテオ様が私を許しても御父上が許さないと思ったからです。


 ですがテオ様は首を横に振り、驚きの案を持ち掛けてきました。


「ドルフさんが処罰を受ければフィオルが悲しむだろう? だからダイアウルフに襲われたことは誰にも言うな」


「……えっ? お気持ちはとてもありがたいですが、そういうわけには……」


「クワトロ家と親交が深い俺の言う事を聞けないのか? いいから言う通りにしろ。今回の怪我は俺が崖で足を踏み外してしまい、ドルフさんが庇おうとした結果2人まとめて坂を転がったことにする。フィオルもそれでいいな?」


「……テオは凄いよ、他人の為に命を張れるんだから」


「それは、お嬢様を守るドルフさんも同じだろ。俺はドルフさんが死んでしまったらフィオルが凄く悲しむと思って命を賭けただけだ」


 フィオル様の悲しむ顔が見たくないから……シンプルながら想いのこもった言葉に私の目頭は熱くなりました。


 フィオル様にいたっては目頭どころか大粒の涙を流して再びテオ様に抱き着き「テオだって死んじゃイヤだよ。私はテオのことが大好きなんだから」と消え入りそうな声で呟いていました。


 こうして私は罰を受けることなく今に至ります。今でも左膝のダメージは治っておらず全盛期に比べれば随分と弱くなってしまいました。痛みを感じる度にダイアウルフに不意を突かれた後悔とテオ様の優しさを思い出します。




 長々と私の話を聞いてくださりありがとうございました。


 一連の騒動を経て、やはり私にはどうしてもテオ様がフィオル様を悪く扱うわけがないと思えるのです。2年以上、見舞いに訪れず、接する機会も無くなって不安な気持ちを抱いているとは思いますが、テオ様とフィオル様の絆は間違いなく本物です。


 きっと何か理由があるのでしょう。ですので、どうかフィオル様には笑顔で前を向いてもらえたらと思います。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る