第14話 憧れの力
海の魔王クラーケンを前にして震える事しかできない私。一方、クラーケンは……
「キュイィィイィッッ!」
何かを擦ったような独特の叫びをあげている。移動する船に対して一定間隔でついてきている以上、完全に攻撃対象として補足しているみたい。
ますます絶望が膨れ上がる。船員たちも初めてクラーケンと遭遇したのかパニックになっているけど、エリクとグスタフだけは落ち着いていた。グスタフは私の存在に気が付くと親指を立てて笑う。
「安心してくれフィオル。すぐに追っ払うからな。ドルフさん、悪いがフィオルが怪我しないように守ってやってくれ」
「かしこまりました。グスタフ様、エリク様、どうかご武運を」
ドルフさんが震える私に肩を貸している最中、エリクとグスタフは船の後端へと走り出す。剣を構える2人を見つめるクラーケンは大きな触手2本を振り下ろす。
エリクとグスタフは一瞬だけ互いの目を見合って頷くと風と地の魔力を解き放つ。
「弾け、ウィンド・ブレイド!」
「吹き飛べ、ロック・クレイモア!」
風の長剣と石の大剣が触手を左右に吹き飛ばす。命懸けの状況じゃなければ黄色い歓声をあげていたと思う。それぐらい2人の背中は逞しい。触手に大きな切創を刻まれたクラーケンは怒りの咆哮をあげ、デタラメに触手を海面と船に打ちつける。
船の後方は2人が守ってくれているけど、前方は木片を散らすほどに損傷している。海中からも触手攻撃がきているのか定期的にドシンッ! ドシンッ! と船が揺れている。
クラーケンは少し疲れたのか今だけは触手を止めている。だけど、このままじゃ船という足場を失って私たちは死んでしまう。グスタフですら下唇を噛みしめる状況の中、エリクは大きく溜息を吐くと視線を逞しい髭を携える船長に向ける。
「やむを得ませんね……。船長、クラーケンを撃退する為に大量の食糧と酒を使わせてくれませんか?」
「ど、どういうことだ? そんなもので本当に撃退が?」
「信じてください。現状、それが1番可能性の高い手段なので」
「……分かった、ロンギーグ家の君の頼みだ、信じる事にしよう。よーし! お前ら、エリク殿の元へ食糧と酒を運べぇ!」
何をするのか私には全く分からないまま食糧と酒を積み込んだ木箱が並べられた。エリクは木箱を確認した後、両手の人差し指をそれぞれ木箱とグスタフの持つ石の大剣へ向けた。
すると木箱と大剣が小さい竜巻に包まれる。エリクはグスタフと目を合わせて頷いた後、初めて聞くレベルの大声をあげて動き出す。
「今から海に食糧をばら撒きますッ! グスタフはタイミングを見計らって攻撃を当ててくださいッ!」
「ああ、分かってるよ!」
ニヤりと笑い大剣をギュッと握りしめるグスタフ。一方、エリクは竜巻を動かし、塩でも撒くように食材をバラバラに海へ落とす。
クラーケンを一時的に誘導する為なのだろうと予想した私は正解だった。クラーケンは船の左舷側へ移動すると掃除機のように食材を吸い込み、攻撃の手を完全に中断している。
大きな隙は確かにできた。だけど、あの吸引力では後数秒もすれば全部食べ切ってしまう。私の胸に不安がよぎる中、驚くことにグスタフは左舷の手すりに向かって走り、幅跳びの要領でクラーケンに飛び掛かり、空中で大剣を振りかぶる。
「隙だらけだ……ぞっ!」
加速を乗せたグスタフの一閃。その威力はミスリルホーンディアの角を切った時とは比較にならなかった。大雨の中でもクリアに聞こえる斬撃音は刀身に竜巻を纏っていたこともありクラーケンの眉間に3メートル越えの傷口を作ってみせた。
それだけでも十分驚愕だけど彼らの攻撃はまだ続く。なんとエリクは木箱から出した大量の酒瓶を風に乗せて傷口へと飛ばしていたのだ。
「当たれ!」
敬語ではない珍しいエリクの掛け声と共にパリンッ! パリンッ! と酒瓶が傷口に炸裂する。音こそ大きいもののお世辞にもダメージが入っているようには見えない。それでもエリクは勝ちを確信しているのか口角を上げる。
「さあ、酔っぱらってください。クラーケンの体質……ましてや傷口からアルコールを摂取すれば、まともに動けないはずです」
エリクの狙いは結果的に完璧だった。
クラーケンは瞬く間に胴体と触手をだらしなく垂らし、微動だにせず海に浮かんでいる。寝ているのか気絶しているのか分からないけど戦闘不能に追い込んだのは間違いない。エリクたちは勝ったんだ!
「凄い! 凄い! グスタフもエリクもすっっっごくカッコよかったよ!」
クラーケンから再び船に飛び移ったグスタフはエリクと私に笑顔を向けて親指を立てる。2人とも恰好良すぎて原作越えだよ。
ドルフさんや他の乗客も両手を上げて喜んでいる。危機を乗り越えられて本当に良かった……と安心していた私たち。だけど喜び合う時間は長く続かなかった。船底に繋がる階段扉を勢いよく開けた船員が私たちの元へ駆け寄ると真っ青な顔で告げる。
「大変です! 船底に開けられた穴が限界です。このままじゃ船が沈みます!」
報告を受けてすぐに船底へ駆けつける私たち。目の前には膝下まで海水に浸かって作業を続ける船員たちがいた。船長は「もう、修理でどうこうできる範囲を超えている……」と両手で頭を抱えている。
グスタフは穴の開いた船底に両手を向けると
「俺が魔術で石を生成して穴を塞いでやる!」
と気合を入れる。しかし、戦いの疲労が大きかったのか膝を着いてしまう。
他の船員や乗客では危機を乗り越えられるレベルの魔術を扱えない。私たちは本当にここで死んでしまうの? 嘘でしょ? 誰か嘘だと言って!
「…………こんな最後になるなんて」
弱い私が諦めの言葉を呟いた、正にその時……
――――貴女の力はこんなものじゃないでしょ!
私の脳内に届いたのはフィオルでも私自身でもない声だった。いや、声ですらないのかも。まるで文字列がそのまま脳に飛び込んできたような感覚。
フィオルが遠くから呼びかけてくれたのかな? だけどフィオルが私に声を届かせるには満月とモーズさんの力を借りなければいけないのだからありえない。
奇妙……だけど不思議と嫌な感じはしない。それどころか背中を押してもらえたような気がする。そうだ、きっと私にできることがまだ残っているから声が届いたんだ。
今一度、自分を見つめ直そう。私は何の変哲もない日本人だけど今の肉体はフィオル。扱える魔術は水属性だけ、だから目の前の水を多少動かすことはできるけど、ただそれだけ。
でも、アナイン病で眠ってしまう前のフィオルは違う。彼女は水魔術だけじゃなくて氷魔術も扱えた。フィオルなら穴が空いた部分だけを凍らせて浸水を防げると思う。だったら同じ肉体を持つ私にもできるってこと? ううん、やれるかどうかじゃなくてやるんだ。
私は体の細胞1つ1つへ縋るように念じる、氷の力を使わせてください……と。
すると、驚くことに私の手から伸びた魔力はゆっくりと穴近くの海水へ伸びていき強固な氷となって見事に穴を塞いでみせた。
「魔力を……変質させて……これでいいのかな?」
手探りとはいえ屋敷でのリハビリでは1度も成功しなかった氷魔術が扱えている。この事実がとても嬉しいはずなのに不思議と心は落ち着いている。まだ穴が残っているからかな? それとも精神力がフィオルに近づいている?
むしろ驚いていたのはエリクだった。エリクは片手に持っていた剣を落として声を震わせる。
「フィオルの氷魔術が本当に復活したのですね。危機的状況が消えていた記憶と感覚を呼び起こしのでしょうか? いや、もしかして……」
エリクが発した『もしかして』の続きが気になるところだけど今は凍結させることが最優先。私は2つ、3つと穴を塞いでいき。ようやく危機を救うことに成功する。
駆け寄ってきたグスタフは両手で私の右手を握ってくれた。
「偉いぞフィオル! 本当によくやったな! この旅の……功労……は……なく……フィオ……」
あれ? 急にグスタフの声が途切れだしたような……。いや、おかしいのは私の体だ。平衡感覚が無くなってきて、瞼が重たくな…………
※
※
何だろう? 体が異様に重たいし、頭がぼんやりする。確か私はグスタフと話していたはず。その前には船底の穴を……
「…………うわぁっ! ふ、船は無事!?」
自分が倒れていたことを思い出した私は焦って上半身を起こす。空は鮮やかな茜色に染まっていて、今の私は甲板で眠っていたみたい。ショボショボの目で周りを見渡すと右手側には穏やかな海、左手側には……森林が広がっていた。え? どういうこと?
「お目覚めになりましたか、フィオル様」
後ろから聞こえてきたのはドルフさんの声だった。ドルフさんは水が少しだけ入ったボトルを私に手渡すと片膝を立てた状態で現状を語る。
「フィオル様のおかげで船の沈没は避けられました。ですが船体のダメージが大きく航海を続けるのは厳しい状況でした。ゆえに船長の判断で近くの浜に停泊し、航海可能なレベルまで船を修理することにしたのです。船室と船底付近は修理作業中でフィオル様がゆっくり寝られないと思い、甲板へ移動させてもらいました」
「なるほど、運んでくれてありがとう。ちなみに今、エリクとグスタフは何をしているの?」
「おふたりは今、食糧を探しに森に行かれています。浜から離れて食糧を探しに行けるほど腕の立つ者はエリク様とグスタフ様しかいないですからね」
食糧を探しに行くだけなら誰でも行けるのでは? と一瞬だけ思ったけど、すぐにドルフさんの言葉の意味が分かった。航海時間から計算するに私たちが停泊している場所はグスタフの家が調査を進めている未開拓森林地帯だ。
船でかなり南下してミーミル領から離れているから、私たちが停泊している辺りは間違いなく調査の手は伸びていない……つまり凶悪な魔物と遭遇する可能性も充分考えられる訳だ。
戦える者が少ないから仕方ないとはいえ貴族であるエリクたちが当たり前のように体を張っている事実が凄いと思う。彼ら見ていると私が今まで読んできた漫画や小説に登場する傲慢で臆病な貴族たちは何だったの? と思えてくる。
彼らが頑張っているなら私も頑張りたい。だって私も貴族でありフィオルなのだから。私にできることが何かないか聞いてみよう。
「ねえ、ドルフさん、私に手伝えることは何かないかな?」
「……お気持ちはとてもありがたいのですが、今晩だけはどうかゆっくり休んでください。きっと氷魔術を使って倒れたのは極度のストレスと記憶の復活が原因でしょうから。心身を休ませることこそが最優先と言えるでしょう」
「え? 記憶の復活? 今日、思い出した記憶なんて1つも無いけど?」
「む、そうなのですか? フィオル様は意識を失っている間、8年ほどの前のテオ様との思い出を寝言で呟いていたのですが……」
8年前のテオとの思い出? そんなのゲーム内でも設定資料集でも語られてはいなかったはずだけど……。氷魔術を全く使えなかったのが急に使えるようになった件といい、私の中で何か変化が起きているような気がする。
私の体と脳が徐々に本物のフィオルへ戻っているのかな? だったら、いつかスミレとしての自我が消えそうで怖いけど、不思議とそんなことは起きないと思える。モーズさんと魂になったフィオルが私の事を認めてくれたからかな?
ドルフさんの言う8年前の詳細を尋ねるのが全く怖くないと言えば嘘になる。それでも私はフィオルたちの過去が知りたい。だって私はフィオルからバトンを受け継いだんだから。
「よかったら教えてくれない? 私が寝言で呟いていた8年前のことを」
私がお願いするとドルフさんは何故か自身の左膝を擦り、沈黙を経て頷きを返す。
「分かりました、お話ししましょう。エリク様たちを待ち続けるだけでは退屈でしょうからね」
片膝を立てていたドルフさんは楽な姿勢で座ると遠くを見つめながら昔話を始める。
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