第10話 グスタフとのデート(後編)
ミスリルホーンディアの角を切断し、危機を救ったグスタフは手に持っていた石の大剣を消失させる。遅れてやってきた安堵に溜息を漏らすグスタフの右手を両手で握った私は興奮で上下に振っていた。
「凄い! 凄いよグスタフ! まさかグスタフの魔術と剣技がここまで強いなんて!」
テンションが上がっている私とは対照的にグスタフは鼻の頭を掻きながら謙遜する。
「魔術も剣技も全然凄くないさ。単に馬鹿力なだけだよ。腕力以外のあらゆる要素で俺はテオやエリクに敵わない。それどころか今のエリクは腕っぷしが目に見えて強くなっているからな。そう遠くないうちにエリクは俺を……いや、何でもない」
……豪快なグスタフらしくない珍しい物言いだ。過小評価ともとれる彼の言葉をもう少し掘り下げたいのが本音だけど、嫌な気持ちにさせちゃったら悪いから止めておこう。それよりも次に行くところを話し合おう。
「ねぇグスタフ、次はどこに行く?」
「そうだな。今日はフィオルにとことんリフレッシュしてもらいたいから次は……ウルム地区にあるフットバスに行くのはどうだ?」
フットバス……日本で言う足湯がミーミル領にもあるなんて驚きだ。場所的にはここから少し東に行ったところにあるらしいから丁度いいかもしれない。
だけど、まだそこそこデートできる時間が残っているし、折角ウルム地区に行くのなら……。今日、グスタフの新しい一面を見て理解が深まった私だからこそ提案できるデートプランがある、それは……
「ならフットバスに行く前に美術館に行かない? 確か、すぐ近くにあったよね? グスタフも私と2人なら美術館に行きやすいでしょう? 美術館に行けば絵の勉強になるかもしれないし、絵の話を思う存分できるよ。私も美術館が好きだしね」
私の言葉に少し面食らったのかグスタフは数秒沈黙した後、薄く笑みを浮かべる。
「フッ、フィオルのそういう気遣い屋さんなところが大好きだぜ。じゃあ、お言葉に甘えて行くとしますか!」
牧場に行くのが決まった時以上に嬉しそうな顔をしているグスタフ。私たちを乗せて馬車は美術館に移動する。
ウルム地区に美術館があると私が知ったのはたまたま地図で見たからだ。だから自分んの目で美術館の外観を確認したわけではない。どんな建物なんだろう? と胸を躍らせながら馬車を降りると目に飛び込んできたのは1階建ての平たい木造建築、サイズも小さめのスーパーぐらいしかない建物だった。
想像よりだいぶこじんまり……いや、日本の立派な美術館と比べるなんて良くないよね。現にグスタフはテンションが上がっているし良い美術館に違いないはず。
気持ちを切り替えて中に入り、飾られている絵、彫刻、工芸品などを見た私は早速衝撃を受けることになる。
彫刻、工芸品などの立体的な造形物は現代の物にも負けないぐらい良く出来た作りなのに対し、絵だけはどれもさほど上手くないのだ。
ピカソのキュピズムみたいにわざと個性的な絵を描いているわけでもなく、ただただ立体感も無ければ、強調する要素も無いパッとしない絵ばかり。これならグスタフが短時間で書いたデッサンの方がよっぽど良いと思える。
現代の漫画やアートに目が肥えすぎてしまったのかな? それとも、この世界自体が絵画技術があまり進歩していないのかもしれない。もしそうならグスタフは本当に絵の分野でトップクラスの人間になれるんじゃないかな?
お節介にグスタフの将来を考えている間に私たちの足は奥へ奥へと進んでいく。
1番奥まで来たところでグスタフは足を止めた。彼に合わせて目線を上げた私は行き止まりに飾られている絵を見て軽い驚きを覚える。
壁に飾られている絵は銀色の柳やオリーブに似た植物の並木道を中心に描いていて、どことなく天国を彷彿とさせる絵だったのだ。更に他の絵とは違って色使いのグラデーションが綺麗で奥行きがあり、クオリティがとても高い。
素人目にも分かるぐらい技術が高い。気になった私は「綺麗な絵だね。天国か何かなのかな。有名な画家だったりする?」と尋ねるとグスタフは首を縦に振る。
「ああ、200年以上前の人で初めて天国の絵を描いた高名な画家の爺さんだったらしい。この人の絵は遠近法に長けていてな。手前の物は濃くハッキリと描き、奥の物は淡く表現する手法を最初に編み出した画家だと言われている。これは俺の予想だが爺さんは人間の目に捉える景色を参考にしたんじゃないかと思ってる。だって俺たちの目は焦点次第で手前側と奥側の解像度が変わるだろ?」
今、改めて確信した。やっぱりグスタフは絵を仕事にしたいのだと。
私の目から見たらグスタフの画力は美術館にあるほぼ全ての絵を上回っている。あまり絵画技術が発展していないミーミル領で並木道の絵から独自の見解を語ることができるのも彼が高いレベルにいるからだと思うし。
その後も楽しそうに構図や描画法について語るグスタフ。そんな彼を見ていると私まで楽しくなっていた。美術館を出る頃にはグスタフに負けないぐらい私も笑顔になっていたと思う。
美術館を出てからフットバスに移動する間もずっとグスタフは美術について楽しそうに語っていた。
そして私たちは小さい屋根と小さい岩々に囲まれた薄緑の湯の前に到着する。早速足を浸けた私は想像以上の気持ちよさを前にだらしない声を漏らす。
「うはぁぁぁ、気持ちいぃ~」
「ハハッ! オッサンみたいだぞ、フィオル」
「うっ、気を抜いちゃってつい……」
「逆に言えばリラックスしてもらえてるってことだもんな。嬉しいよ」
確かに体はリラックスしている。だけど、すぐ横に座っているグスタフが筋骨隆々とした素足を曝け出し、少し顔が汗ばんでいて色気が半端じゃないから心臓は落ち着かない。
マンガとかなら本当は女性が男性をドキドキさせる場面なのだと思う。折角フィオルの見た目が超一級品なのに中身が私だから色気が出せない……宝の持ち腐れとはこのことだ。
私が煩悩を巡らせているとグスタフは上半身をこちらに向けて優しく微笑む。
「改めて今日はありがとな、フィオル。リフレッシュさせるつもりが俺の方がリフレッシュしちまったよ。趣味で己を解放できるのは自分の部屋で筆を握っている時だけだったからな。そういう意味でも新鮮だったよ」
「……その趣味についてなのだけど、グスタフは絵の仕事をしたいとは思わないの? あれだけの絵が描けて情熱もあるわけだし。貴族の仕事をする中で部分的に芸術分野に関わるとかなら仕事にするのも可能じゃないかな?」
「気を遣ってくれてありがとな。それは俺も考えたことがあるよ。だが、俺はガントレット家の跡継ぎだ、自分の強さを磨き、街の防衛力を高めることに注力しなきゃいけない使命がある。それに今は未開拓森林地帯の開拓事業も進めなきゃいけないしな」
未開拓森林地帯の開拓事業――――確かミーミル領の西側にある魔物が巣くう森を人が通れる安全な場所にすることを目的とする事業だったはず。
この世界は他国との戦争はほとんどないけれど魔物の脅威は存在する。だから森林地帯に限らず安全な場所を拡大して防備を整える仕事はミーミル領の中でも1,2を争うレベルで優先されているらしい。
そんな危険をはらむミーミル・ファンタジーの設定資料集にはフィオルがアナイン病になった場所は未開拓森林地帯だったと書かれていた。
アナイン病はもともと鹿を大きくしたような魔物モルペウスの持つ角で傷を負わされてしまうと発症してしまう病気だ。4年前のフィオルはホフマンさんの調査隊に同行していた際、モルペウスに攻撃されて眠りについた過去がある。
今思うと私が目覚めた日にエリクが『アナイン病で眠ってしまう前まで頻繁に川の水質や生き物の研究をしていたじゃないですか』と言っていたのも、未開拓森林地帯の調査に繋がってくるのかもしれない。
あれ? ってことはグスタフが開拓事業に使命感を抱いているのはもしかして……
「もしかしてグスタフが開拓事業を頑張っているのは私がアナイン病になってしまった件を引きずっているの?」
「……い、いや、フィオルのせいじゃない。単に危ない森を放っておけないだけだ。それに森林地帯に安全な街道を作ることができれば南北の移動が楽になる。現状では南方の港町シレーヌへの移動手段は船しかない、それが馬で行けるようになると便利だろ?」
グスタフは否定の言葉を詰まらせて、早口で理由を語る。視線も下を向いてキョロキョロしている。嘘を言って誤魔化し、慌てて別の理由を用意したことが丸わかりだ。
彼の優しくて分かりやすいところが本当に可愛くて愛おしい。ここは気付かなかったフリをしつつ、芸術の夢も応援しよう。
「そっか! じゃあ開拓を早く終えられるように頑張ろうね。私も貴族として手伝えることは手伝うよ。だって今のグスタフは少しだけ息苦しそうに見えるよ? 個人的にグスタフには芸術に関わる仕事を楽しんでほしいなぁって思うもん」
「息苦しそうか、ハハ……手厳しいな。でも、そうだよな。俺はガントレット家に相応しい男になりたい、開拓事業を成功させたい、って肩肘を張り過ぎていたのかもしれない。よし! もうちょっと趣味を楽しむ時間を増やして気を抜くとするか。エリクにも同じことを言ってやらないとな」
「ん? エリクにも? どういうこと?」
「あっ! いや、何でもない!」
グスタフは露骨に口を開けて焦った表情をしている。エリクにも裏で頑張り過ぎている何かがあるのかな? どうしても気になった私は何度もグスタフに食い下がり、顔を近くに寄せて詰め寄る。
足湯の最中ということもあり逃げ出すのも仰々しくなると思ったのか、グスタフは観念した様子でエリクのことを教えてくれた。
「わ、分かった、言うよ。エリクから口止めされているわけでもないからな。まずは昔の話になるがエリクは小さい頃、海洋学に夢中だった。だけど今は古代学や魔導学を熱心に学んでいることは知っているだろ?」
「うん、全然違う分野だからびっくりしたよ」
「その急変っぷりだが、実はフィオルがアナイン病で倒れたことが原因なんだ。古代学や魔導学は日々進歩していて軍事や病気の治療など多岐にわたり新しい技術を得られることがあるだろ?」
「え、嘘……もしかしてエリクは……」
「ああ、フィオルの想像通りだ。2つの分野を学ぶことで中々目覚めないフィオルを起こせる可能性に賭けていたんだ、エリクは。今は無事フィオルが目覚めた訳だけど、それでも身近な人たちにアナイン病のような悲劇が起きないとも限らない。だから、エリクは今も海洋学を後回しにして頑張っているんだ」
エリクとのデート中、彼が『古代文明も古代学も多少は興味ありますよ』と言った意味がやっと理解できた。フィオルが無事目覚めた今、古代学や魔導学に対する熱量が薄れていたからこそ『多少』という言葉を使ったのだと。
私の魂がフィオルの肉体に入ったことでエリクとグスタフの仕事に影響を与えている。この事実を前に何とも言えない気持ちになってくる。だけど、今の私はスミレではなくフィオルなのだから口にするべき言葉は『私のせいでごめんね』ではなく『私の為にありがとう』が正解だと思う。まずはグスタフに伝えよう。
「エリクのことを教えてくれてありがとう。そして、グスタフも私の為に頑張ってくれてありがとね。凄く嬉しいよ」
「お、おい、だから俺はフィオルのことは関係なく自分の意思で開拓事業を頑張ってるんだって……まぁいい、その言葉を受け取っておくよ」
ツンデレというほどではないけど誤魔化すグスタフがとても可愛い。
足を湯から出したグスタフは雫を拭き取り立ち上がる。
「さあ、そろそろ帰るとするか」
「そうだね、充分すぎるぐらいリフレッシュできたよ。改めてありがとね、グスタフ」
「こっちこそありがとよ。自分を見つめ直して肩の力を抜こうと思えるようになれたからな。とはいえエリクに先を越されたくはないから結局、頑張ってしまいそうだけどな」
「先を越されるってどういうこと?」
「フッ、何でもないさ。さぁ帰ろうぜ」
彼の言葉に私は内心とてもドキドキしていた。先を越されるという言葉がフィオルを求める恋のレースなのかもしれない……とゲームをやり込んだ身としては考えてしまうからだ。
だけど、ここはゲームとは思えないほどリアルな世界だ。思い上がるのもほどほどにしないと。3人の幼馴染から愛されているという初期設定は少なくともテオに嫌われることで崩壊しているのだから。
それにフィオルの肉体に宿っているのはフィオルじゃなくて私だ。いつ、見限られるかも分からない。それでもエリクとグスタフの思いやりを知った今だけは暖かさに浸っていたいと思う。
胸の鼓動は足湯を出た今も少し早い。
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