第17話

「……うん、いいの。私が一人で騒いでただけだから。頭上げて」

 

 ゆっくりと首の角度を戻して向こうを見ると、目元をほんのり赤くしながら笑っていた。

 

「まぁ転校するまでにはまだあるし、気長にやるよ」

「その……ごめん」

 

 私謝罪下手だな。

 

「いいってば」

「うーん……」

 

 ここまでの私は人の家に転がり込んで、シャワー借りて、ドタバタさせて、挙げ句の果てに恩人を心ない言葉で傷つけた最低人間だった。しかし名誉挽回と思っても私からは動きにくい、そんな空気だ。

 結局状況はすること無いに逆戻りで、空気は更に悪化してしまった。

 

「……まりー。どうせ今自分のこと、人の家に転がり込んで、迷惑かけた上に、相手を泣かせたマジキチだと思ってるんでしょ」

「……私の心読んだ?」

 

 でもマジキチは言い過ぎ……いいや、今の私にそれを言う権利はない。甘んじて受け入れよう。

 

「気にしなくてもいいよつっても聞かないだろうまりーに一つ提案があります。あ、隣座るね」

 

 気持ちが落ち着いているようで、もう慌てる素振りも無い。

 心に怪我させたやつが言えたことではないが、やはり茜は明るいほうが落ち着く気がする。私とは違うベクトルの我が道を行くタイプなのだから取り乱したり、ウジウジしたりは柄じゃない。

 

「今回の提案はまりーにもいいと思うんだ。じゃじゃーん」

「おお」

 

 その手に握られていたものは。

 

「耳かき?」

「いぇす。耳かき」

 

 梵天付き竹製耳かきをトロフィーみたいに掲げて見せた。

 

「まりーって耳かき好きでしょ。あれも聞いてたじゃん。えっと……」

「ASMR」

「そうそう、あさまる。ならば本物の耳かきでも喜んでもらえるかなっと思ったのです」

 

 ほう……。

 

 いつも耳かきは一人で済ましていて、人にしてもらったことはないので、初体験としては悪くない……いや少し楽しみだ。別に耳かきを他人にしてもらうのは私的にはアウト判定ではない。

 

「でもそれってまた私が美味しい立場じゃないの?」

「ううん、だって私が耳かきしたいんだもん。私の欲が叶って、おまけにまりーが気持ちいいってだけ」

 

 歯を見せながら笑ってるのだからそれでいいのだろう。真意はどうあれ全身で嬉しそうにしている。

 

 やれやれ、私の耳掃除がそんなにいいのか。

 

 理解し難いが、わくわく姿を見ると結局、ま、いいかとなってしまった。

 

「因みに他人の耳は初挑戦です」

「え、ちょっと」

「大丈夫大丈夫。今日は深くまではやらないから」

「さっきの復讐だこらぁみたいにはやらないでね」

「酷いなあ、私がそんなことする人だと思う?」

「……」

「否定してよ!」

「ははっ、痛いって」

 

 呑気にじゃれあいながらふと思う。

 

 この感覚すごい久しぶりだな。懐かしいっていうか。いい歳したらこんなことしないし。

 

 そんな今にそぐわない考えを抱いてしまうのは、ここが幼い頃に過ごした茜の部屋だからだろうか。

 あのときと比べると私は見違えるように大人になって、分別もつくようになって、そして無愛想になった。それは自分でも分かる。

 

 昔ね……。だけど茜は……あんま変わらないな。

 

「あーあ、それじゃまりー、おいで。頭」

 

 茜は艶めいた剥き出しの太ももをペチペチと叩いた。

 

「それじゃあ失礼するね」

 

 メガネを外してから私は右耳を太ももに押し付けるようにして、つまり目線は茜の膝小僧側で体を横たえる。私の叡智えいちが収まった頭部を太ももは低反発枕のように優しく受け止めてくれた。

 

「大丈夫? 痛くない?」

 

 変に加重しても悪いので、なるべく動かずに問いかける。頭部の重さは体重の約一割程と言われる。膝の上でボウリングの球がむやみやたらに動いていたら大変だろう。

 

「まりーを膝枕……私膝枕してる……」

「あの……茜さん?」

「え、だ、大丈夫だよ!」

 

 なんだろうすごく心配。

 

「い、痛くしないでね」

「任せて。初めての思い出になるように、いーっぱい気持ちよくさせてあげるから」

 

 ふんすと鼻息荒らげに、やけに張り切って公言してみせた。

 

「それじゃ」

 

 茜は耳に近づき、吐息が肌に染み込みそうな距離でささやいた。

 

「外側から。優しく始めるね」

 

 ぶるっ。

 瞬間、背筋に静電気が走った気がした。

 

「よ、よろしく……」

「ふふ……」

 

 茜の指が耳輪をつっと滑った。

 

「っふぅ〜」

 

 チロチロと往復する指に脱力の息が漏れる。小動物を小さく撫でるような手つきだ。すると今度は粘土遊びでこねるように耳たぶをほぐしていく。

 

「耳たぶは自律神経の乱れを整える効果があるらしいよ。にしてもすごい柔らかさ」

「ん〜」

 

 あ、これすごい気持ちいい。

 

 もみゅもみゅ。

 揉み込まれて次第に熱を帯びていく耳たぶ。ときどき引っ張られたりする絶妙なバランスが未知のリラクゼーションの奥底へと私をいざなう。

 

「そろそろ血行よくなってきたかな? それじゃお待ちかねのにしよう」

 

 いよいよか。

 

 覆いかぶさる髪を耳の後ろに引っ掛けられたことで、緊張の一瞬を予感する。

 これから耳鼻科で耳の中を見られる感じでなんだかドキドキする。

 

「急に動いちゃダメだかんね〜」

 

 竹製の耳かきが私に触れた。

 かり、かり。

 まずは浅い部分、目視できるようなところを優しく掻いていく。

 

「ん……」

 

 平たい場所をかりかり。

 壁になるとこをかりかり。

 皮膚の老廃物を掻き取ってくれる小さな小さな手は耳の末端まで及ぶ。

 

 これは……いい……。

 

 自分は寝ているだけなのに、いっぱいの耳快感を享受できる。自分でピンポイントにやるのもいいが、他人にされるというのはマッサージみたいにゆったりとくつろぎに浸れていいものだ。ていうより単純に茜の腕がプロレベルな気がする。

 

「普段クールなまりーが気持ちよさそうな顔してるね〜」

「べ、別にそんなんじゃ……」

「動かない〜」

「うっ」

 

 なんか色々とマウント取られてつい意地張ってしまったが、悔しい程に気持ちいい。

 

 このまま茜に委ねても悪くないかも。

 

「それじゃ耳穴のほう」

 

 かり、かり。

 

「ふぅ……」

 

 より敏感な耳の内側に竹棒が侵入、その刺激にたまらず大きい吐息が歯の隙間から漏れる。内壁を掻く音がくぐもって聞こえるくらいの深さ。そこを重点的に責められる。

 

「ちょっと汚れが溜まってるね。キレイキレイしちゃうよ〜」

 

 茜の手捌てさばきは文句のつけようがない。耳という敏感な感覚器官に痛みを与えず、ちょうどいい心地良さを届けてくれる。これが続けば私は眠気に負けてしまうだろう。

 

 これ、色々勉強したのかな。実演は初めてだとしても、やっぱり自分で試すとか調べるとかしたんだろうな。

 

「それじゃ仕上げ」

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