第15話

「はい、タオルと部屋着と下着。部屋着はフリーサイズだけど、もしも下着……いや、合うと思う」

「うぅ……ありがとうございます」

 

 小榑宅にお邪魔した私は、家の中をびしょびしょにしてはいけないので靴のまま玄関で待機。

 急な迷惑客にもかかわらず、茜は百点満点のおもてなしをしてくれている。

 

「受け取ったらお風呂直行。脱衣所はストーブ点けてあっためてるから気をつけてね」

「分かった」

 

 つま先歩きでよろめきながら脱衣所に入ると、暖かい空気が凍える体を優しく迎えてくれる。

 

「ふぅ」

 

 濡れた服ってこんなに気持ち悪いっけ。早く脱いじゃお。

 

 これまた茜が用意してくれたカゴに服を入れ浴室へ。

 

 ここが茜のお風呂場……。

 

 多分小さい頃のお泊まり会とかでは使わせていただいただろうけど、この歳になってはほとんど覚えていない。

 

 茜は毎晩ここで体洗ってるんだよね……なんで変なこと考えてんだ私。

 

 コックを捻って、温水を裸体に伝わらせていく。さっきまでが惨めなコンディションだったので、いつも浴びるシャワーより数倍心地よい。

 

 あぁ……生き返る……。

 

「ま、まりー! 服乾かしておくからね!」

「ありがと! 助かる!」

 

 シャンプーとボディソープを少々失敬、おかげで全身さっぱりできた。

 バスタオルで水気を拭いた私は、茜から受け取った下着を手にして気づいた。

 

 茜ってBくらいだと思ってたけど、これDカップだよね。バスケのスポブラで小さく見えてたのかな。……うん、私でぴったりだからDだ。

 

 バスケは体を振るいまくるスポーツなのだから胸が出過ぎていたら潰すのが定石なのだろう。

 黒の生地が白のレースで縁取りされた大人っぽいブラとショーツを身につけ、柔軟剤香るゆったり部屋着を着た。シャワーで吸収した温度をもこもこの起毛素材が逃がさない。

 はふう、と一息ついてから過去の記憶を頼りに茜の部屋へ向かう。割と間取りは覚えているのだった。

 

「シャワーありがと……あれ」

 

 茜はいったいどこに? 他の部屋……いた。

 

 よくよく見てみるとベッドの布団が富士山のように尖っており、山が上下している。

 

「茜、シャワーありがとね」

「へいゃ、あ、ど、どういたしまして」

 

 山頂から顔が噴火した。

 どうやら布団を羽織っているようだ。

 

「なにからなにまで。助かった」

「いや〜彼女として当然の事だよ、にはは〜」

「茜、寒いの?」

「どして⁉︎」

「どうしてもなにも布団かぶってるじゃん。茜も濡れちゃった?」

「濡れ⁉︎ あー濡れてない……大丈夫、うん」

「そんならいいけど。私が先にシャワー使って悪いと思って。ベッド座っていい?」

「ベッド⁉︎」

 

 リアクションがいちいちデカいな。

 

 その様子に訝しんでしまうが、日頃の行いをよくよく思い出せば元々こんな日もあるだろうと腑に落ちてしまった。

 

「椅子とかクッションとか無いからさ。マズい?」

「あぁそういうことね、どうぞどうぞ。じゃあ私は直座り。オメェの席ねぇから、ってね」

「いやわざわざ移動しなくても」

 

 なんだか茜がせわしなーく動いてる。

 

 まぁでも、急にシャワーとか私用の服用意したんだから忙しいか。

 

「本当にお世話になりました」

「いやはや本当にお世話しました」

 

 二人してペコペコと頭を下げ合う儀式みたいになってる。

 しかし、これでまた茜に大きな貸しができてしまったということを忘れてはならない。今回のはまた巨額そうで胃が痛くなりそう。付き合ってから負債が膨らむ一方なのは気のせいか。

 

 いよいよ茜に絶対服従とか……いや、それは無理だ。苦しい。それだったら胃に穴あけまくって蜂の巣にしたって構わない。あれ、そうなると私牛になっちゃうじゃん、ハチノス。

 

「あ、さっきスマホの通知鳴ってたよ。家族かも」

「おっけ。チェックしよう」

 

 見ると母からのLINEだ。

 

 母『ごめん! 急な仕事が入っちゃって。どこでなにしてる?』

 茉莉花『ずぶ濡れになって、茜の家でシャワー借りました(笑顔の顔文字)』

 

 トーク画面は開きっぱなしのようで、すぐの既読と返信が来る。

 

 母『あらまぁ、災難だったけど茜ちゃんのおうちなら大丈夫ね』

 母『後でお礼しなきゃね。晩ご飯前には帰るから、久しぶりに幼馴染のおうちで楽しんでおいたら?』

 茉莉花『そうさせてもらいます』

 母『よろしく伝えておいて』

 茉莉花『分かりました』

 

 因みに敬語なのは、キレてるわけじゃない。喋るときはラフだが、LINEだと家族相手でも敬語なのだ。けれどもさっきの絵文字についてはどうしようもない世界への精一杯の皮肉。

 

「急ぎの仕事で出かけてるんだって。夕飯前には……夕飯前って何時だ。まぁもう少しいさせてもらっても大丈夫?」

「全然大丈夫よ。久しぶりにうちでゆっくりしてきな」

「お母さんと同じこと言ってる」

「気が合うね」

 

 机にスマホを置かせてもらって部屋を見渡す。ベッドにはいくつかのぬいぐるみ。机上は教科書が散乱。全体としては少しごちゃっとしてるが、そこはご愛嬌だろう。日々忙しいのだから仕方ない。

 

「ゆっくりするってもね。幸いカバンは濡れてないから勉強でもしようか」

「えーここでも勉強すんのー?」

 

 茜は信じられないといった風にあからさまに引いて見せた。

 

「じゃあ他になにかすることある?」

 

 でも確かにここまでお世話になっておいて、自分本意なことするのも失礼か。ここは向こうのためになることをするべきかも。

 

「じゃあなんかお手伝いしようか。片づけとか勉強教えるとかさ」

「お手伝いか……」

「ほら、あの辺の整理整頓」

 

 時間なくてぐちゃっと詰め込んじゃった結果、前衛芸術に昇華しましたみたいな本棚を顎で指し示す。芸術系学校だったらそれっぽいタイトルとキャプションつければ評価されるかもしれない乱雑さ。『逼迫ひっぱく』とかどうだろう。

 

「私片づけるの得意だよ。隙間を活用したり、配置のバランスとるのって数学っぽくない?」

「ちょっとなに言ってるか分かんないわ」

 

 そりゃそうだ。

 茜が分かる〜、とか言ったら私は裸足で土砂降りの中逃げ出す。なぜならそれは茜に変装した誰かである可能性が高い。

 

「……」

「……」

 

 する事なっ。

 

 茜は体操座りの膝小僧に頬をつけて、壁を見つめている。柄にもなく静かだ。普段ならすぐにトーク吹っかけてきそうなのに。

 

 この空気どうすんの?

 

 私のスマホにゲームなんてものは入っているわけないし、カバンの中だって茜が喜ぶものはなに一つ無い。私の会話デッキの手札は料理か演劇か勉強くらいで、生憎この部屋の雰囲気に光を呼び込む切り札は持ち合わせていなかった。

 

 えー、今日するはずだった予定とか聞く? 興味ないけど。

 

「ぁのさ……」

 

 体が向こうを向いてるため、茜の声は跳ね返って飛んできた。

 

「お手伝いじゃないんだけどさ……お願いっていうか……」

 

 もじもじ、もじもじ。

 

 あれ、嫌な予感がする。

 

「わ……私と、さ?」

 

 そわそわ、そわそわ。

 つま先とか肩の細動を隠しきれない彼女を白けた目で見つめてしまう。

 

「その……」

「……」

「キ、キ、キス……」

「お断り」

 

 茜の要求を少しも思案することなく、バッサリと切り捨てた。

 

「……そうだよね」

「私が変わったと思った?」

「ごめん」

「私がどんだけ恋愛が嫌いで、その中でも嫌悪レベルが段違いなキスという愚行について、詳細な資料と医学的根拠に基づくエクスプレインを」

「いいよ、ごめん……」

「……」

 

 低くて暗い謝罪を残して、そのまま茜はこてんと倒れ込んでしまった。

 そのままどちらも喋らないいたたまれない空気になる。

 

「……」

 

 当てどなく視線を向けた窓から望む雲は濃い灰色になっていた。

 雨はまだ止みそうにない。

 

 らしくないな。随分と諦めが早い。

 

 ボイスレコーダーでも取り出して駄々をこねると予想し、篭城戦よろしく反撃の策を備えていたが、これでは拍子抜けだ。すんなりと納得してくれるというならこちらは楽できるのだが。

 

「へえ、聞き分けがいいね」

 

 ほんの出来心から私は沈黙の茜を冗談めかしてからかってしまった。

 

「てっきり、してくれなきゃ今日は帰さないから! とか言うかと思ったわ」

「……言ったらしてくれたの?」

「え、するわけないじゃん。馬鹿じゃないの?」

「……」

 

 会話下手が災いの原因だった。

 私は喋ることもないから、偶然見つけてしまった話の種にせっせと水をあげた。いつもより一段と軽く、恋に妄執もうしゅうする目の前の茜をあざけってしまう。

 

「なにがそんなに良いんだか理解できないね。単刀直入に言えばくだらないよね。他人と他人がパーソナルスペース侵してまで交わってベタベタしてさ。見るに堪えない」

「じゃあやめてよ……」

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