第14話

 昇降口の屋根の下。

 曇天から落とされる無数の水滴を眺める二人。

 私と茜。

 茜はがっくりと肩を落とし、内心にも分厚い曇天が広がっていそうだ。

 

「放課後デートが……」

「この雨脚でほっつき歩くのは賢いとは言えないな。今日はやめだ」

 

 ザーッという地面への衝突音が聞き取れる程の勢い。

 

「えー駅ビル内はー?」

「駅ビルの行き帰りで濡れるぞ。どんだけ距離あると思ってんだ」

 

 今日は学校が終わるのが早いため、茜の意向で(私の意向であるはずがない)放課後デートin駅前が開催される予定だったのだが降雨に恵まれ、デートは流れてしまった。

 

 よくやった地球。偉い。

 

「雨降るなんて知らなかったぁ〜」

「いや昨日通話で言ったやん」

「ふぇーん」

 

 しくしく、茜からも雨が降る。

 

「行かないにしてもこれじゃ帰るまでに足は濡れるな。ほれ帰るぞ」

「……傘ないもん」

「人の話聞いてなかったもんな。折り畳み貸すから」

「そのおっきい傘で相合い傘しよとかは誘ってくれないんだね」

「私がそんなこと言った日には地球沈没くらいの雨が降るな」

 

 私はリュックのサイドポケットからそれを取り出し、基部を握ると左袈裟斬りの要領で振るう。すると一気にシャフトがスライドし傘に相応しい長さを成す。

 

 この傘の出し方がなんだか好き。抜刀みたいでこの前の演劇の近衛役さんを思い出す。

 

「ありがとー」

 

 灰色の空の元二つの花がパチパチと雨を弾きながら揺れる。時折通過する車が水たまりから飛沫しぶきを飛ばすと、茜は波みたーい! と指さして教えてくれた。茜はこんな悪天の中でも、新品の長靴を履いて雨を喜ぶ小学生のようにルンルンだ。

 

「雨が楽しい?」

「うーん、まりーと一緒だから。こんな風に雨の中出歩くのって小さいとき以来でしょ?」

 

 茜はくるりんと傘を回した。

 

「ふーん」

 

 湿気でレンズが白く曇ってしまい、周りが見えにくい。

 

 私と一緒にいるだけで楽しくなる。

 

 私は興味を引くような話題を提供しているわけでもないのに。

 私の知恵でも茜の考え方を解明できない。付き合ってからそれを前より一層ひしひしと感じている。

 

 陽キャの特性ってやつか。

 

 横断歩道を渡り、自販機を右折し、住宅街へ。

 まもなく私の家は見えてきた。

 

「この天気だから、私の家まで送ってーは勘弁な」

 

 遠くはないけどだるい。

 

「仕方ない、免除してやろう」

「ありがとうございます茜様。じゃあね」

「じゃあまた明日!」

 

 門柱の間を通り玄関屋根の下、水気を飛ばすように傘を閉じる。顧みると茜は道路でまだ立っていた。

 

「何してんの、早く帰りなー」

「家に入るまで見届けるよ!」

「変なの……あれ?」

 

 ガチャガチャ。

 

「どしたー?」

「鍵……鍵掛かってるー」

「えー」

 

 茜は私の元へ駆け寄ってきた。

 もう一度ドアノブを引いてみるが、扉は動く気配がなく、侵入者をはばむという与えられし使命を忠実に遂行していた。私は侵入者ではなく真っ当な家のあるじなのだが。

 

「鍵は?」

「持ってない。いつもは母さんがいるから。え、いないの?」

 

 はてさて困った。スマホを取り出して着信メッセージを確認するが無し。電話も入れてみるが応答無し。ピコンという音とともに『どこ?』とトークルームに流してから首を捻る。

 

「うーん車は無いみたいだし出かけてるっぽいんだよね」

「え、じゃあポストに鍵入ってるとか」

「そんな不用心なことしないと思うけどなぁ」

 

 口ではそう言いつつも僅かな可能性に賭けて、屋根のように生い茂るシイの木の下、赤い郵便受けを探ってみる。まぁ案の定、そこに鍵らしきものはない。

 

「紙ペラはあるけどね」

 

 衣類乾燥機のチラシでは扉は開いてくれないのだ。でも回収はしておこう。

 

「困った困った」

「どうするの?」

「さぁーてどうするかね……うっ!」

 

 そのときびゅわっと空気の塊みたいな大きな風が押し寄せてきた。津波のようとも壁のようともいえる。その勢いに押されてバランスを崩しながら一歩後ろに下がって踏ん張る。

 

「わわ〜!」

 

 茜も傘を裏返すまいと風向を読んでいた。

 

 それが最後に見た茜の姿だった。

 

 始まりは頭へのほんの一瞬の衝撃だった。

 驚き私は目を閉じてしまう。

 そして。

 びっしゃぁっ!

 頭上で巨大な水風船を割られたみたいに、全身に水が叩きつけられた。

 

「うっわぁ、なんか台風の風だったね……うわ⁉︎ まりー大丈夫⁉︎」

 

 ……んなことあるのかよ。

 

「……大丈夫くない」

 

 茫然自失。

 怒ればいいのか悲しめばいいのか。私は感情のやり場に困り果て、ただただ石像みたいに立ち尽くす他なかった。度が過ぎたハプニング過ぎてだ。

 シイの木が、繁茂はんもした葉に長い時間かけて内包した大量の雨を強風に煽られてフルバーストしたのだった。

 

 なんだ、これは夢か? そうだ悪い夢だ。

 

 私が木の下に行って、木に雨が溜まってて、強風が吹く。こんなの天文学的確立だ。だから夢。

 だが、現実は冷たい。

 というか水が冷たい。

 雨水がじんわりと下着まで染み込んできて、私の腑抜けた考えを否定してきた。

 

 こんなの認めたくねぇよ……。

 

「まりー、えっと、タオル! はい、とりあえず顔とスマホ!」

 

 されるがまま、目に光を失いながら、甲斐甲斐しい茜に従う。

 ふと手元を見た。

『新型衣類乾燥機! ハイパワーであっという間に!』

 

「ぜってぇこの店の仕業だろ……」

「よかった、スマホは無事だよ」

「ああ、ほんとにありがとう。まぁ私は無事じゃないけど」

「だから」

 

 茜がふわふわのタオルで私の両頬を挟む。


「うちに来なさい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る