第3話
手元でカタンと鳴った音が、私がペンを落としたが故だとは気づかなかった。
「あれ? 四月からでいいのかな? 四月に? 三月いっぱいで?」
「いや、そこじゃなくて。え、いつ決まったの⁉︎ どこへ⁉︎ なんで⁉︎」
言葉選びに首を捻る茜を矢継ぎ早に問いただす。
転校? なにを言ってるんだ、茜は。ついにネジがぶっ飛んだか?
「お、珍し……稀有なまりーの慌て姿」
「そんなのどうでもいいから」
驚き過ぎて慌てる私とおどける茜の熱量差がもどかしい。記憶の中で蓄積し続けてきたデータバンクから彼女の情報を引っ張り出し、私の脳はすぐに考察を開始した。
転校? 茜は以前にそんな雰囲気はあっただろうか。授業、会話……いや、そんなものはなかった。だとすれば、やむを得ない急用か。両親の転勤……一番考え得るのは親が自衛隊だとかということだが、それは間違いなくありえない。幼馴染なのだから相手の親の職業くらい知っている。父が外資系会社員、母がイラストレーターだ。
「ねぇ聞いてる?」
外資系……あるとしても単身赴任だろう。高三になる忙しいこの時期の彼女の転校は考えにくい。では、他の理由は何だ……。
「ね?」
「え? 何」
「聞いてないでしょ。もう、まりーはすぐに一人で考え始めちゃうんだから」
ドンドンと教卓を鳴らす。
「あ、ごめん」
相手に質問しておきながら自分で答えを考え始めてしまった。悪い癖だ。どうしても相手が私の求める速さでないと自己解決に走ってしまう。
「転校の理由ってのがね、十月に私バスケの全国大会行ったでしょ。そのときにたまたま来てた、なんか強豪バスケチームの偉い人にスカウトされてね。そんとき優勝した高校と繋がりがあるから、そこの高校でバスケめっちゃやって卒業したらチームに入れるかもって。それで最近やっと決意した次第」
絶対ラッキーなことでしょ、それ。
バスケのその辺の仕組みはよく分からないけど、茜へのお誘いが千載一遇過ぎるチャンスだということは私でも分かる気がする。奇跡と言っても差し支えないだろう。
「え、そのバスケチームでどれくらいすごいの?」
「んー日本代表も出したって言ってた」
「トップレベルじゃん。え、場所は?」
「大阪」
「大阪⁉︎」
本日二度目の驚きに甲高い声が出てしまう。
「大阪って、なにわの大阪⁉︎」
「うん、合ってる合ってる」
遠いな……羽田を使って一時間半くらいか。そんな遠くまで行っちゃうのか。
彼女はずんずん突き進む行動力はあるほうなので納得はできる。二年の夏休みだってバスケのホームステイでアメリカに行っていたのだから。その行動力に知性が伴っていれば言うことなしなのだが。
「一人暮らし?」
「そうなるね。親の仕事とかあるから」
「大変だね。でも将来の夢バスケ選手って言ってたから喜ばしいことなのか」
「ありがたや、ありがたや。神様がくれたチャンスだわ」
目を線にしながら手のひらをさすって感謝の念を表す茜。
その姿はいつものアホな茜の姿だが、もう彼女は確固たる夢とその夢への切符を握っているのだ。
なにも詰まってない空っぽの私とは大違いで、正直羨ましい。距離としても人としても私とは遠い存在になってしまうのだと思うと名状し難いモヤモヤに身を包まれる。心のどこかで知識で劣る茜を低く見ていたからかもしれない。
私が導かなくとも、だいぶ前からもう自分で歩き始めてたのか。
茜は学力しかない私よりも数倍アクティブに努力して夢への道を開拓している。
「でもさ……やっぱりここを離れるのは寂しいんだよね……」
茜は顔を曇らせた。その表情がさっきまで教室を歩いていた彼女のものと重なる。
「小さいときからずっと……それもまりーと一緒に暮らしてきたからさ……」
茜がいなくなる……。
「地元を離れるっていうのは、私にはまだ分かんないけど……茜がいなくなるのは嫌だな……」
え⁉︎ というびっくり声を聞いて私は顔を上げる。
「まりーは私と離れるの嫌と思ってくれるの?」
その目にはなにかの対する期待感。
「そりゃそうだよ」
「じゃ、じゃあ——」
「あんたがいなくなったら、私どうやってこの教室の連中と付き合っていけばいいわけ? あれに話しかけんの嫌なんだけど。体育の授業とか委員会とかさ」
「……ですよね」
今の私は既に茜がいなくなった後の学校生活のシミュレーションを始めているのだが、どこをどうしても茜抜きのまともな学校生活を送っているビジョンが見えない。そのほとんどが周りとの
だが茜はともかくなぜ私があいつらに目の高さ合わせて接してやらねばならないのだ。普通は向こうが私に合わせるべきだろう。足を引っ張るな。
よってこの問題は私だけではどうにもできない。
うぅ困ったな。パイプ役がいなくなるとこんなにも大変なのか。
「えっと、私が離れることに関して寂しいとは思わないの? その……幼馴染として」
「んん〜」
それは正直あんまり考えてなかったな。
「まぁ、多分昔からずっと見てた底抜けの笑顔が見れなくなるのはなんか寂しいかも。ずっと側にあったものが無くなるっていうか……あんまり想像できないけど」
「……そっか」
それは私の偽らぬ本音だったが現時点では『多分』としか言えない。経験のない事象なのだから似た事象から推測するしか他ない。
茜がいない状況は、それこそ家の中に生まれたときからある家具が捨てられてしまったときのような感覚なのだろうか。そうなのだとしたら、それはきっと不足とか
かなり話し込んでいたようでもうすぐ午後七時になろうとしている。野球部も部活を終了したようで外は静かになってしまった。おそらく校舎内で残っている生徒は私達だけだろう。
そろそろ帰らなきゃな。
私は机上の筆記用具を片づけていく。今日はなんだかんだで進みは悪かったが、より重要な事が判明してしまったので仕方ないだろう。
「ね、も一つ話があるんだ」
茜もカバンをガサガサとしながら言う。
「何?」
「私……四月からいないでしょ? だからさ、残りの期間でちゃんと思い出を作りたいの」
茜が真剣な表情を浮かべているので、作業の手を止めてちゃんと聞く。
「この町のこともまりーとの楽しい思い出もいっぱい作りたい。そのために協力してくれるかな?」
なんだ、そんなことならお安い御用だ。
「もちろん、いいよ」
滅多に見せない笑顔で承諾する。幼馴染の願いだ。それくらいは損得勘定無しで聞いてあげよう。
「ホントに⁉︎ どんなことでも聞いてくれる?」
「オーケー、オーケー。あと三ヶ月だけなんだから」
「やった!」
「力になれるなら嬉しいよ」
「私も嬉しい!」
「で、どんなこと?」
「まりー。私と付き合ってください!」
「嫌」
「……」
「……」
「……」
「……」
静寂。
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