第41話 公開謝罪

数時間後。

王城前の広場は、地平線の果てまで続くかのような数十万の民衆で埋め尽くされていた。


誰もが固唾を飲んで、王城のバルコニーを見上げている。

国王の命令により、ルキオン王子による国民への公開謝罪が今まさに始まろうとしていた。


やがて、バルコニーに衛兵に両脇を固められ、やつれ果てた姿のルキオンが現れる。

その瞬間、広場に渦巻いていた静かな熱気は、一斉に爆発した。


「国賊め!」

「お前こそこの国から出ていけ!」

「恥を知れ!」

「謝って済むと思うなよ!」


割れんばかりの罵声と怒号。剥き出しの敵意が津波のようにルキオンに押し寄せる。

彼はその圧力に完全に気圧され、ガクガクと膝を震わせ、腰を抜かしそうになった。


隣に立つコレチト国王は、そんな息子を氷のように冷たい目で見下ろすと、低い声で命じた。


「謝罪せよ。それがお前に残された最後の責務だ」


ルキオンは衛兵に支えられながら、震える手で拡声器の前に立った。

用意された謝罪文を、涙と嗚咽で途切れ途切れに読み上げる。


「わ、私は…この国と、民を裏切り…許されざる、罪を…犯しました…。まことに、まことに…申し訳、ございませんでした…」


言葉にならない謝罪の後、国王に鋭い視線で促され、民衆に向かって、深く、深ーく土下座をした。

王子が全ての民の前で額を床に擦り付けたその屈辱的な光景は、『愚王子の失態』として、王国の歴史に長く刻まれることになる。


次に国王が前に進み出た。

彼はまず、自らの監督不行き届きを国民に詫び、深く頭を下げた。

そして、顔を上げると、厳粛な声で高らかに宣言した。


「本日をもって、我が息子、ルキオンの王位継承権を永久に剥奪する!」


その言葉に、広場は一瞬の静寂の後、割れんばかりのどよめきと安堵の混じった歓声に包まれた。

国王はその喧騒が収まるのを待つと、おもむろに隣に立つよう促していた人物の方を向いた。

質素な服をまとった、アデルである。


そして、国王は全ての民衆が見守る前で、そのアデルに対し、深々と腰を九十度に折って頭を下げた。


「アデル・スターロ殿。我が息子の愚行により、そなたの名誉を著しく傷つけた。そして、国に多大な貢献をしてきたそなたに対し、あまりに理不尽な仕打ちをしてしまったこと、この国の王として、心より謝罪する。誠に申し訳なかった」


一国の王が一介の平民に頭を下げる。

その前代未聞の光景に民衆は息を飲んだ。

当のアデルは、ただただ困惑していた。


(陛下…?やめてください。俺は、こんなことまで望んでいたわけでは…!)


国王は顔を上げ、アデルに告げる。


「そなたには、この国を救った功績に報いねばならん。公爵の位と、望むだけの褒賞を取らせよう。遠慮はいらん、何でも申すがよい」


公爵位、莫大な褒賞。

誰もが羨む破格の提案に、しかしアデルは静かに首を横に振った。


「陛下。お気持ちだけで、十分でございます」

「…なんと?」

「私は、貴族になる器ではございません。ただの一人の教官として若者を育てること。それが私の全てであり、生きがいですので。そのお話は、お受けできかねます」


名誉にも富にも一切なびかない、そのあまりに潔い態度に民衆からは驚きと感嘆の声が上がった。


「欲のないお人だ…」

「真の英雄とは、ああいうお方を言うのだな…」


国王は一瞬困ったような顔をしたが、アデルの曇りのない瞳を見て、その固い決意を感じ取った。


「…そうか。いかにも、そなたらしいな。ならば、アデル殿。いや…アデル教官。一つだけ、そなたに王としてではなく、一人の父親として頼みたいことがある」


国王はそう言うと、土下座したまま震えているルキオンの小さな背中を指差した。


「この愚かな息子に、もう一度だけ再教育の機会を与えてはくれまいか。人として、一からやり直すための道を示してはくれまいか」


その言葉に、アデルは一瞬、ためらった。この少年のせいで、自分は全てを失いかけたのだ。

だが、その視線の先で、小さく震え、嗚咽を漏らすルキオンの背中を見ているうちに、かつて自分が更生させてきた、どうしようもない問題児だった教え子たちの姿が重なって見えた。


どんな人間にも変われる可能性はある。

そう信じて教鞭を執ってきたのは、自分ではなかったか。


アデルは、ゆっくりとルキオンの前まで歩み寄った。

その気配に、ルキオンはビクリと体を震わせる。


殺されるかもしれないという恐怖に支配され、顔を上げることさえできない。


しかし、彼の目の前に差し出されたのは、剣ではなく、温かい大きな手だった。


「立て、ルキオン。訓練の続きをしよう」


その手は、公爵のものでも、国を救った英雄のものでもない。ただ、一人のどこまでも優しい教官の手だった。


ルキオンは、信じられないという顔でおそるおそるその手を見上げた。

アデルの眼差しは、穏やかで、温かかった。


自分を罰するのではなく、ただ、もう一度、機会を与えようとしてくれている。

生まれて初めて向けられたそんな眼差しに、ルキオンの中で何かが溶けていくのを感じた。


彼は震える自分の手を伸ばし、その大きな手を力強く握り返した。


その光景を見ていた広場の民衆から、誰からともなく拍手が起こった。

それは瞬く間に広がり、やがて、王都全体を包み込むような温かい喝采へと変わっていった。

そこには、不機嫌そうに拍手するカイネ、チナツ、アブリル、シエルの姿もあった。


国の危機は一人の誠実な教官の手によって、最も平和で、希望に満ちた形で静かに収束したのだった。

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