第3話「ほう、マニュアル運転できるんか?
---
「…見ててください。うちが、この会社のエースになったりますさかい」
あづさの気迫に満ちた宣言に、社長はぽかんと口を開けていたが、やがてその顔がくしゃりと崩れ、腹の底から豪快な笑い声を上げた。
「がっはっはっは!おもろい!あんた、最高におもろいお嬢ちゃんやな!」
ひとしきり笑った後、社長は涙の滲んだ目でにやりと笑った。
「よっしゃ、分かった!そこまで言うんやったら、いっちょやらせてみたるわ!明日から来い!ただし…」
社長は窓の外を指さした。そこには、会社の隅っこで埃をかぶった、見るからに年季の入った白い軽トラックが停まっていた。
「最初はこいつがお前の相棒や。市内のもっともややこしい道を走り回って、荷物の扱いと土地勘を叩き込んでもらう。文句はないな?」
「はい。望むところです」
あづさは、深々と頭を下げた。
そして翌日。
作業着に着替えたあづさが、軽トラックの前に立つと、社長がわざとらしく鍵をチャラチャラさせながらやってきた。周りからは、物珍しそうに他のドライバーたちが遠巻きに見ている。
「ほれ、こいつはお嬢ちゃんが普段乗ってるような乗用車とはちと違うで。見てみい」
社長が指さす運転席には、アクセル、ブレーキの横にもう一つペダルがあり、床からは奇妙な棒がにょっきりと生えていた。
「ほう、マニュアル運転できるんか?(笑)」
完全に試すような、からかうような口調だった。周りからもクスクスと笑い声が漏れる。今どきの若い女の子が、こんな骨董品のような車を乗りこなせるわけがない。誰もがそう思っていた。
あづさは表情一つ変えず、静かに答えた。
「ええ、まあ。確かに最近はオートマチックで、ほとんどこと足りますけど」
そう言うと、彼女はひらりと運転席に乗り込んだ。キーをひねると、エンジンが咳き込むようにしてか弱い音を立てる。あづさは慣れた手つきでクラッチを踏み込み、シフトレバーをローに入れた。
ギ、という鈍い音が響く。
「おっと、エンストするなよー?」
社長の野次が飛んだ瞬間。
あづさが左足を滑らかに持ち上げると、軽トラックは、まるで赤子の寝息のように静かに、そしてスムーズに前へと進み始めた。ショックは一切ない。そのまま流れるようなシフトチェンジでセカンド、サードへと加速していく。
「「「おお…」」」
見ていた男たちから、どよめきとも感嘆ともつかない声が上がった。
「うそやろ…エンストもせんと発進しよったで…」
「なんやあの子、クラッチ操作、俺らより上手いんちゃうか?」
社長も、あんぐりと口を開けたまま、走り去っていく軽トラックの小さな背中を見送っていた。
「…今どきマニュアル運転できる若い女の子なんて…天然記念物やないか…」
誰かがぽつりと呟いたその言葉は、男たちの総意だった。
あづさは、バックミラーに映る驚いた顔の男たちをちらりと見やると、小さく、そして不敵に口の端を吊り上げた。
(うちを舐めたらあかんで。これくらいできひんで、エースになれるわけないやろ)
小さな軽トラックのハンドルを握りしめながら、あづさは誓った。
いつか必ず、一番でかいトラックのハンドルを、この手で握ってやる、と。
\
---
\
「…てな、わけですわ」
あづさが話を終えると、プレハブ小屋はしんと静まり返っていた。源さんをはじめ、おっさん達は皆、口をぽかんと開けている。
やがて、誰かがごくりと喉を鳴らした。
「…あづさちゃん」
「はい?」
「あんた…男前すぎるわ…」
その一言に、全員が力強く頷いた。夏の午後の熱気の中、現場の男たちの山本あづさに対する尊敬の念が、また一段と深まった瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます