ホラーとは何なの!?

キートン

ホラーの淵から

 ホラー小説、主にスティーブン・キングを貪るように読み続けて数十年、ついに自分でもペンを握ってみようと思いたった。


 PCに向かい、モニターを目の前にして、最初の一文字を書こうとした瞬間、私は深い霧の中に立っていることに気づいた。ホラーとは何なのか、と。


 子供の頃から怖い話に魅了されていた。布団の中であかんぼうの唄を聞いた気がした夜も、廃病院の探索話に胸を躍らせた友人との夜更かしも、すべてがホラーへの入口だった。


 それは甘美な戦慄であり、安全な場所から危険を覗き見るスリルであった。


 しかし、いざ書く側になると、その本質が見えなくなる。ホラーは単に怖ければいいのか?血みどろの描写や唐突な飛び出しで読者を驚かせればそれでいいのか?


 考えれば考えるほど、ホラーという概念は底のない沼のように深まっていく。ホラーは人間の根源的な感情に触れるものではないか。


 死への恐怖、未知への畏怖、孤独への不安――それらを物語という器に注ぎ、暗く輝く酒に変えるのがホラーなのではないか。


 あるいはホラーは、私たちの日常のすぐ隣にある非日常を描くものなのか。


 平凡な生活の襞に潜む小さな歪み、見ないふりをしている現実の亀裂を、増幅させて見せるものなのか。


 私はこれまで無数にホラーを消費してきたが、それはまるで深い森で道標もなく歩き回るようなものだった。そして今、自分で道を作ろうとすると、その森の深さと広さに圧倒される。


 本当のホラーは、お化けや怪物ではなく、人間の心の中にあるのではないか。


 他人を傷つける可能性、理性が崩壊する瞬間、愛が憎しみに変わるその一線―それらを描くとき………


 おそらくホラーとは、定義できるようなものではない。それは常に変容し、私たちの恐怖とともに形を変える影のようなものだ。


 そしてホラーを書くという行為は、自らの内なる暗がりに提灯を掲げて進むことなのかもしれない。


 私はまだ答えに出会っていない。しかし、この問いを抱えながら筆を進めること自体が、ホラーというジャンルへの深い敬意なのだと感じ始めている。

 

 怖がらせるためではなく、人間の暗部と対話するために―そうして物語は生まれる。








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