もふもふアリーナ計画
maru.
もふもふアリーナ計画
魔王が討たれて、世界は平和になった。
それはつまり、戦場が消えたということだ。
栄光の死闘をくぐり抜けた戦士たちは、英雄として語り継がれた。
だが、彼らの隣で戦っていた魔獣たち──使い魔や召喚獣たちは、どうなったか……
「ふわっふわ〜〜! なにこの子、抱き心地やばっ……写真撮っていいですか!?」
「このツノ、ピンクのリボンつけたら絶対映える〜!」
今、彼らは“もふもふ”と呼ばれ、家庭用ペットやカフェ、癒やし系配信など、ペット産業に次々と再就職している。
かつて戦場で牙を剥いた者たちも、今では「耳かき動画の収録で寝不足だ」とか「お嬢様のお相手は戦場よりきつい」などと、ぼやきながらも意外と馴染んでいたりする。
……なんて言ってられるのも、ほんの一部の話で。
「……はぁ〜〜〜、今日も揉めてる……」
俺の名はサトウ。
もふもふ達の転職支援機関“もふもふファーム”のスタッフだ。
今日も、ペットとして“かわいさ”を求める人々と、誇り高き元・戦士たちとの間で、胃を痛めている。
「こっちの子、クール系で最高なんですけど〜! “無口な執事ドラゴン”って設定で売ればSNSでバズりそう!」
「貴様……我を、劇の小道具のように扱うつもりか……?」
(まずい、また“キレる一歩手前”の顔だ)
「ベヒモたん♡ ご主人様って呼んでほしいな〜〜!」
「貴様が我が“主”か? よかろう。まずは決闘で決めるぞ」
「えっこわ! これ演技じゃないんですか?」
(うわあああああああああああ)
そして、どちらからも矢印が俺に向く。
「なんでこんな危険なもふもふ紹介したんですか!? 危うく噛まれるとこでしたよ!?」
「サトウ……我が名誉を、貴様は何と引き換えにした?」
……今日も、“かわいさ”と“誇り”のあいだで、俺は板挟みだ。
「……はあ、マジで胃が痛い」
このような新人もふもふ達の“適応テスト”は、何度やっても神経がすり減る。
適応テストとは、要するにもふもふと人間の初顔合わせ。再就職マッチングの最終ステップだ。訓練しているとはいえ、揉める確率も少なくない。
たとえばスライム系のスー。
見た目はぷるぷるして愛嬌があるが、かつて“腐食の厄獣”と呼ばれ、千年にわたって封印されていた存在だという。
「うわぁかわいい!ぷにぷにでお餅みたい♡」
「お、お餅……?」
「はいっ♡ SNSで“おもちちゃん”って名前でバズらせたいです!」
「我は腐食の厄獣スー。千年の封印を破りし酸性の災厄……それを、おもち、だと?」
──3秒後、床が溶けて面談終了。
他にも、ケルベロスのルル。
かつて“試練の門”を守る存在として、勇者たちの前に立ちはだかっていた。
「三つの頭を活かして、哲学系動画のマスコットに! “多角的視点の象徴”って感じで!」
「視点とは、数ではなく……深さの問題だ」
「えっ……?」
──ルルはそれきり何も言わず、背を向けた。面談終了。
一方で、うまくいく事例もある。例えばケットシーのヤト。
かつて王都直属の諜報部隊に所属し、無音で標的の心臓を射抜いていたという。だが今、彼はASMR配信で“癒しの闇猫ヤト様”として静かなブームを巻き起こしている。
「戦もまたよき営み。だが……こうして穏やかな息遣いで、誰かの眠りを守るのも、悪くはない」
「……適応、してる……!」
成功例は、たしかにある。
けれど、報告書に「破談」と書くたび、俺の評価も一緒に削れていく気がする。
どうせなら、戦うより撫でられてた方がもふもふ達にとっても“割がいい”。俺は、どこかでそう信じてた。
「……かわいいだけじゃ、だめなのか?」
ふとこぼれた言葉に、誰も答えなかった。
俺はただ一人、もふもふファームの休憩室で冷めたお茶をすする。
そんなある日のことだった。
「……ベンが、脱走した?」
昼下がりの会議室に、凍りついた空気が流れた。
「はい……訓練中に、首輪を引きちぎって、そのまま施設のフェンスを……」
「フェンスって、あれ鋼鉄製だろ?強力な結界魔法付きの」
「でも歯で……」
「噛みちぎったのかよ……!」
黒狼(こくろう)・ベン──かつて“黒き処刑狼”の異名で恐れられた、王国軍直属のS級魔獣。今は、もふもふファームで“アイドル警備犬”として再訓練中だった。……が、その“再訓練”が問題だった。
「……“おすわり”とか“ごろーん”とか、やらされてたらしいです」
「誰の指示でそんなことを……」
「新人研修担当の……」
「あっ、俺だ……!」
頭を抱えた。
その後、事態はさらに悪化する。
「あの……ベンが、暴露系配信者の番組に出演して、不満を語ってます」
「は???」
画面をのぞくと、そこには“黒狼・ベン”の咆哮ではなく、マイクの前で淡々と語る、やけに冷静なベンの姿があった。
《──“おすわり”だ? “ごろーん”だ? 笑わせるな。俺は戦うために生まれたんだ──》
SNSはすでに阿鼻叫喚。
【#もふもふの人権を守れ】
【#ブラックファーム】
【#もふもふに自由を】
「くそっ、炎上してる……!」
「サトウ先輩、これ完全に“もふハラ”案件ですよ……」
「“もふハラ”ってなんだよ……!」
その後、【#もふハラ】がトレンド入りし、ネットは瞬く間に火だるまになった。
もふもふたちの間では「労基に駆け込むべきか」との相談が広まり、小学生が泣きながら「もふもふ達とは、もう遊べません」と訴える動画がバズる。
ネットはさらに炎上した。
その夜、俺は眠れなかった。
これまで、“癒し系”として売り出すことが、もふもふたちにとっての幸せだと信じてきた。
だがそれは本当に、彼らの望みだったのか?
「……かわいいだけじゃ、だめなのか……」
その問いが、胸に引っかかっていた。
争いのない平和な世界で、“戦士”としての誇りを失わずに生きるには、どうすればいい?
悩み抜いた末たどり着いたのは、“かわいい”と“誇り”を両立させる場所。
俺にとって、一世一代の閃きだった。
「……もうやけくそだ。作ってやるよ。お前らの戦場を……」
そして次の会議で、俺はそれを口にした。
「……闘技場を作るだと?」
役員会議の空気が凍った。
「正式名称は、“もふもふアリーナ”です」
俺がプレゼンしたときの役員たちの“あの顔”は今でも忘れられない。
「戦わせるなんて、時代錯誤じゃないか!」
「コンプラ的に無理だ!トレンド1位で吊るされるぞ!」
「そもそも誰が観に来るってんだ?」
四方八方から飛んでくる否定の嵐。
けれど、俺は返した。
「これは殺し合いじゃありません。“選ばれた戦士たちが、自ら望んで戦う”場所です」
「魔力のぶつかり合いも、技の応酬も、人々を魅了する“競技”になり得る。これはショーです。魂のエンタメです!」
誰かが吹き出しそうになりながら呟いた。
「魂の……エンタメ?」
「そう。戦士たちの誇りを見せる場所です」
会議は当然、紛糾した。
だが、俺は一歩も引かなかった。
そして半年後。
王都の郊外に、銀色のドーム型アリーナが完成した。
「開幕戦のタイトルは?」
「《黒狼 vs 蒼牙》……どうだ?」
「字面が強い……採用で」
チケットは即日完売。
“あの黒狼が帰ってくる”という噂が広まり、SNSには賛否両論コメントが投稿された。
そして、ついにその日がやってきた。
観客の誰もが、もふもふたちの“今”を目撃しようとしていた。
「ご観覧の皆さま、ようこそお越しくださいました!いよいよ始まります。新時代のエンタメ《もふもふバトル》! 本日その記念すべき第1試合を飾るのは……このお方です!」
照明が落ち、闇のなかに漆黒の影が浮かび上がる。
静まり返る場内。その次の瞬間──
──ガアアアアアアアアオォォォォォォン!!
黒狼・ベン。
その咆哮は、誰よりも真っ直ぐに、観客の胸を撃ち抜いた。
かつて王国軍の特別攻撃部隊として名を馳せた誇りが、その瞳に宿る。
対するは──
蒼牙・ミコト。
美しくしなやかな猫型魔獣にして、王都の斥候部隊を率いた“雷の舞姫”。
「……これ、ただのショーじゃねぇぞ」
誰かが息を呑む。
爪が閃き、雷が舞い、風が裂け、魔力が火花を散らす。
だが、そこに流血はない。
ルールに守られた、真剣勝負。
互いに全力をぶつけ合いながら、命は奪わない。
それでも──いや、だからこそ熱い。
勝敗を超えた何かが、このアリーナにはあった。
観客の誰もが、拳を握りしめ、声を枯らして叫ぶ。
「行け、ベン!!」
「避けろ、ミコトーっ!!」
実況も入る。リプレイも流れる。ファンもできる。
“推し魔獣”という概念が、この日、誕生した。
「ベン様の、あのワンテンポ溜めてからの飛びかかり……間合いの支配がエグい」
「ミコトのステップ、動作のひとつひとつが美術館レベル。攻撃じゃなくて、もはや舞踊」
熱狂。興奮。そして、尊敬。
かつて“もふもふ”と一括りにされていた彼らは、“畏怖される美しさ”を取り戻し始めた。
試合後、控室でベンとすれ違った。
「……どうだった?」
俺の問いに、ベンは短く答えた。
「──これが、俺の生き様だ」
その顔は、誇りと喜びと、そして少しの照れくささが混ざった、実にもふもふらしいくしゃっとした顔だった。
それからというもの、もふもふバトルは王国の一大エンタメ産業へと成長していった。
毎週のように開かれる試合。
グッズ、応援うちわ、選手別ファンクラブ。
“かわいい”と“強さ”が共存する、その新しい価値に、人々は魅せられた。
もふもふたちは、“戦士”としての誇りを持ちつつ、人間からの支持と報酬を得る存在へと進化していったのだ。
ある日、俺はスタンドの一番後ろからアリーナを見つめながら、ふと考えた。
「……これは、うまくやれてるって言えるのかな」
まだ答えは出ない。
けれど、少なくともただ「かわいさ」だけを求められていた日々よりは、
──きっと、ましだ。
……それは、小さな提案書から始まった。
胃痛に耐え、誰にも理解されず、孤立しながら一人のスタッフが挑んだ、“かわいさ”と“誇り”の両立。
後に語られる、“もふもふアリーナ計画”。
その裏には、男の執念があった。
もふもふアリーナ計画 maru. @maru_no_novel
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