転生したらパンツのクロッチだった。

ぽんぽん

第1話

 フードを叩く雨の音で、おれは目を覚ました。


 まだ日は高い、それほど長く気を失っていたわけではないようだが、体はすっかり冷えきっているように感じた。


 ここは、どこだ?


 顔を動かすと、川とも呼べないほどの、小さな水が地面に沿って流れ、その奥に切り立った崖の岩肌が視界に入った。

 おれは必死で立ち上がろうと、腕や足先に力を入れてみたり、腰を浮かせようとするものの、指先一つ動かない。


 そうこうしているうちに、遠く頭上で、喊声のような響きが走った。


 その音でふと、おれは自分の置かれている状況を思い出した。


 そうだ、戦いの最中、崖から落ちたのだ。


 おれは頭だけを動かし、なんとか空を見上げる。切り立った崖から覗く青空が、やけに遠く感じた。


 崖は30メートル程はあるだろうか、よく生きてたもんだ。おれは自分のしぶとさに、思わず笑ってしまった。だが、そろそろお別れだ。

 首からの下の感覚は戻るどころか、痛みすら感じない。仮にこの状態で生きて戻ったとしても、死ぬまでのほんのわずかな延長戦を、情けない姿を晒しながら過ごすだけだ。


 いや、それすらも杞憂か、おれは直に死ぬ。小川に混じった大量の血に気づき、おれは少しだけ胸を撫でおろした。


 絶望に暮れなかったのは、ここで死んだほうが幾分かマシな人生だったと、割り切れたからだ。

 英雄だのなんだのと持てはやされても、結局最後はこんなもんだ。

 まあ、悪いことばかりではなかったが、両手放しで喜べる人生でもなかった。だからと言ってやり直したいと思えるほど、価値のあるものに出会えなかったのが、唯一、悔やまれるくらいか。


 おれは最後の瞬間を受け入れようと、ゆっくり目を閉じた。


 遠ざかっていく感覚の中、ふと脳裏をよぎったのは、ある少女の姿だった。


 ギルドに入ったばかりの、右も左も分からぬ少女。話しかけたこともないし、直接話しかけられたこともなかったが、彼女のことは一目で気に入った。この戦いから戻ったら、クランに誘ってみるのもいい、そう思っていたところだった。


 まあ、それも今となってはどうでもいいことか。

 全てを忘れて死を受け入れようと、再び心の目を閉じる。


 しかし、不思議だ。どうにも振り払えば振り払うほど、瞼の裏に、屈託のない彼女の様々な表情が、浮かんでは消える。思えば、あまり女っ気のある人生ではなかったな、まさかこれが未練ってやつか。


(貴方の願いを、叶えましょう)


 雨音に混じって、耳元で、ふと誰かの声が聞こえた。

 優しく甘く、まるでヴェステの巫女が男を騙すときに使いそうな、気に食わない囁き声だった。


(多くを救いし英雄よ、貴方の功績に報いて、最後に一つだけ、願いを叶えましょう)


 とうとうお迎えがやってきたってことか。


(愛が欲しいのですね。私には分かっています、貴方の抱える孤独が)


「ほっとけよ、おれは一人で生まれて、一人で死ぬ」


(あの少女のことが気がかりなのでしょう?)


 おれは黙った。


 何もかも見通されている気分だ。それもそうか、なんたってこれは幻聴で、つまるところおれ自身の内なる声だ。

 自分にこんな情けない願望があったことは腹立たしいが、幸いなことに、ここでは誰も聞いちゃいない。

 ここにはもう、おれを信じて付いて来てくれた者たちも、聞こえのいい甘言で引き込もうとする貴族たちも居ない。

 今ここにいるのは、孤独で哀れな、死にかけの男ひとりだ。


「そうだな、あんたの言うとおりだ」


 おれは内なる幻聴に屈服した。最後くらい、怒りではなく、安らぎと共に死にたい。


(ええ、あの少女ですね)


「そう、あの子の……」


(幸せを願っているのですよね)


「ああ、だから……」


(わかりました、貴方のために、無垢な少女に加護を――)


 おれは、誰とも分からない声に願った。


 愛、幸福、信頼、安らぎ――


 死の間際、様々な思いがおれの脳裏を通り過ぎたが、最後に一つだけ、どこへも行かずにおれを突き動かそうとする、強い願いがあった。


 腹の奥底からこみ上げるその願いが、僅かな命の灯を使って、女の声を遮ろうと、おれの声帯を力強く震わせる。


「おれを……おれを……あの子の――」


(そして、英雄に祝福を――)


 違う、おれの本当の願いは――そうだ!


「あの子の――



 ――パンティのクロッチにしてくれ!」



 囁きは、消えた。


 雨はまだ、降り続いていた。

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