第5話 ……逃がしませんよ?
「い、いつから起きてたのおおお!?」
ぱちりと開いた瞳は、無邪気に笑う子犬そのもの。
でも、その奥にきらりと光る魔性の色を、私は見逃さなかった。
「さて……いつからでしょう?」
「ひ、ひぃぃぃぃーーーっ!!」
慌てふためく私を見て、碧は楽しそうに目を細める。
「そんなに慌てるなんて……何か、あったんですか?」
さらりと追い打ちをかけてくる。
「ご、ごめん! 同意なしに……あまりにも綺麗で、吸い寄せられちゃって……」
顔から火が出そうな告白をしてしまう私。
碧は一瞬きょとんとしたあと、唇の端を上げて囁く。
「……じゃあ、責任取ってくれますよね?」
声が低くて甘くて、心臓が跳ね上がる。
次の瞬間。
ソファに腰かけていた碧の足がするりと伸び、床に座っていた私を挟み込む。
そのまま後ろから腕が伸びてきて、胸元に回され、ぎゅっと抱き寄せられた。
「……逃がしませんよ?」
耳元に落ちる囁きと、背中越しに伝わる体温。
まるで鍵をかけられたみたいに、私は身動きがとれなくなった。
「……っ……」
声にならない声が喉の奥で震える。
(ば、バックハグ……!? な、なにこれ反則……!)
耳まで真っ赤になる。
次の瞬間、碧の舌先が私の耳の縁をぺろりとなぞった。
「ひゃっ……!?」
小さく跳ねた私を面白そうに見やりながら、碧の唇がゆっくりと首筋へ滑り降りていく。
息づかいが肌にかかり、耳の奥にまで甘い痺れが染み込んでいくみたいだった。
碧の唇が、首筋に触れる寸前——。
「だめ……っ……碧!」
必死に名前を呼んだ途端、碧はふっと唇を離す。
耳元にかかる吐息とともに、低く艶やかな声が落ちてきた。
「……やっと、甘い声で呼んでくれましたね」
全身が跳ね上がり、崩れ落ちそうになる。
その瞬間、後ろから腕を回され、しっかりと支えられた。
「おねーさん、大丈夫?」
振り返った碧は、さっきまでの艶をまとった男ではなく、無邪気に心配そうな子犬そのもの。
そして、クスクス笑いながらさらりと続けた。
「ふふっ、冗談ですよ。……おねーさん、反応かわいすぎです」
(ひぃぃぃ……! な、なんなのこの落差……心臓がもたない……!)
——その破壊力に、ついに私は限界を迎えた。
魂が抜けたみたいに、リビングのテーブルに突っ伏す。
そんな私を横目に、碧は何事もなかったかのように隣へ腰を下ろし、用意してあったサンドイッチに手を伸ばした。
「ん〜! これ、おいしい!」
にこにこと頬をふくらませ、幸せそうにもぐもぐと食べている。
「……ソレハヨカッタ……」
私は突っ伏したまま、魂の抜けた声でそう答えるしかなかった。
(……またこのパターン。やっぱり完全にからかわれてる……!)
突っ伏したままふと横を見ると、
「アイスコーヒーでいい?」と声をかけると、碧はぱっと顔を輝かせ、「うんっ」と満面の笑みで頷いた。
その笑顔があまりにも無邪気で、胸がきゅっと締めつけられる。
コーヒーを注いで差し出すと、碧は「ありがとう!」と嬉しそうに受け取り、ゴクゴクと勢いよく飲んだ。
喉を鳴らす仕草まで子犬みたいに愛らしくて、思わず目が離せなくなる。
そのままサンドイッチに手を伸ばし、頬をふくらませてもぐもぐと食べる碧。
(……お腹、すいてたんだなあ)
頬張る姿にほころぶ表情が可愛くて、気づけば私はただ見惚れてしまっていた。
「……って、いやいやいやいや!」
あぶないっ、また流されるところだった!
そのまま黙っていられなくなり、言葉が堰を切ったように溢れ出す。
「い、一体どういうつもりで!?」
自分でも声が裏返って、余計に恥ずかしい。
「この間から絶対、からかってるでしょ!? ね!? ね!?」
思わずテーブルをばんばん叩いてしまう。
けれど、碧はまだサンドイッチをもぐもぐしながら、きょとんとした顔で私を見ていた。
「キスとかっ! バックハグとかっ! ……そういうのは気持ちを確かめ合ってからじゃ——」
「好きですよ?」
必死にまくしたてる私を、碧はほっぺをふくらませながら、むにっと口を動かして遮った。
そしてにこりと笑う。
「……へ?」
流石にこの場では行儀が悪いと思ったのだろうか。
碧は口に入っていたサンドイッチを飲み込み、コーヒーで喉を潤してから、もう一度口を開いた。
「僕、……おねーさんのこと、好きですよ?」
あまりにも自然に。
え、こんな告白ってある!? 息を吐くように言う!? しかもパンくずつけたまま!?
混乱する私をよそに、碧はさらりと続ける。
「おねーさんは?」
「えっ……」
いきなり投げかけられた問いに、思考が真っ白になる。
そんな私をじっと見つめながら、碧は一歩踏み込むように声を落とした。
「僕のこと……好き?」
その瞳は、不安と期待が入り混じった子犬みたいな光を宿していて。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「あっ……う、うん。好き……だよ?」
気づけば、勝手に口が動いていた。
取り繕う余裕なんてなくて、頭で考えるよりも早く、心が答えてしまったみたいだった。
——やっぱり誤魔化せない。
碧のことが頭から離れない。
そう、私はとっくに……碧のことが好きだったんだ。
「よかったーーぁ!!」
碧は子犬みたいに目を輝かせ、にこにこと笑った。その無邪気さに胸が締めつけられる。
……けど。
(いやいやいやいや! こんなあっさりした告白ってどゆこと!? サンドイッチもぐもぐしてたじゃん!)
(もっとこう……ムードとかさあ……こういう時こそ肉食獣モードで、ドキドキさせてほしかった……!)
嬉しいはずなのに、なんだか釈然としない思いだけが胸に残ってしまった。
(……次はせめて、パンくずくらい払ってから告白してよね!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます