最後の手紙を君へ

@keta3

第1話 出会い ― 図書館の午後 ―(前半)

 ― プロローグ ―


 桜が散り始めた春の風が、頬を撫でていく。


 その風の中で、僕は一通の手紙を握りしめていた。


『悠斗へ』


 封筒に記された僕の名前。

 それはもう、この世にはいない彼女――美咲の字だった。


 手が震える。開けるのが怖かった。

 でも、知りたい。この中に込められた彼女の想いを。


 封を切る瞬間、僕の中で一年半前の記憶がゆっくりと蘇っていった。

 彼女と過ごした日々、出会い、笑顔、涙……そして別れ。


 あの日々が、まるで昨日のことのように、鮮明に。


 ― 大学三年の春 ―


 僕はあの頃、毎日をなんとなく生きていた。

 授業に出て、コンビニで買ったパンを昼に食べて、図書館でレポート用の資料を集める。

 サークルにも入らず、友達と呼べる人間もほとんどいなかった。


 本だけが僕の世界を広げてくれる。

 現実よりも、物語の中の方が心地よい。

 そんなふうに思っていた。


 ある日の午後。

 文学史のレポート課題で使う本を探しに図書館へ行った僕は、一冊の分厚い全集に手を伸ばした。


 その瞬間――


「すみません」


 僕の手と同じ本に触れた白い指。


 顔を上げると、そこにいたのは長い黒髪を揺らした女の子だった。


 大きな瞳にまっすぐ見つめられて、なぜか息が詰まる。


「あ……どうぞ」


 とっさに僕は本を譲った。

 でも彼女は少し首をかしげて言った。


「でも、あなたも探してたんじゃないですか?」


 柔らかい声だった。

 どこか鈴の音みたいに澄んでいて、耳に残る。


「え、まあ……はい」


 情けない返事しかできない僕に、彼女は小さく笑った。


「じゃあ……一緒に読みます?」


 その一言で、僕の時間が止まった気がした。


 ― 図書館の午後 ―


 図書館の奥、静かな閲覧席。

 僕と彼女は並んで本を広げた。


 近すぎず、遠すぎず。

 ただページをめくる音だけが二人の間を流れる。


 ときどき視線が重なる。

 そのたびに僕は心臓の音がうるさく感じて、ページの文字が頭に入ってこなかった。


「この作家、好きなんですか?」


 彼女が声を潜めて訊いた。


「えっと……まあ、はい。授業で扱うことが多いんで」


「そっか。私、この人の詩が好きなんです。特に――」


 彼女はそう言って、一篇の詩を指さした。

 僕は頷きながらも、彼女の横顔ばかりを見ていた。


 頬にかかる髪。光に透けるまつ毛。

 どれも初めて出会ったばかりなのに、なぜか懐かしい気がした。


 ― 夕暮れの誘い ―


 気づけば日が傾き、図書館の窓からオレンジ色の光が差し込んでいた。


「そろそろ閉館ですね」


 彼女が言った。


「あ、そうですね」


 何か言わなきゃと思いながら、言葉が見つからない。


 そんな僕を見て、彼女はふっと笑った。


「このあと時間ありますか?」


「え?」


「お礼に、コーヒーでもどうですか」


 彼女の瞳がまっすぐ僕を見ていた。

 僕はただ頷くことしかできなかった。


 こうして僕と彼女は初めて一緒に歩き出した。

 名前も知らないまま、夕暮れの街を。


 その時間が、これから始まる物語の最初の一歩になることを、僕はまだ知らなかった。

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