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窓の向こうに、縦横に刺さる光の棒のような超高層ビル群が見える。雨の幕にネオンがぼやけ、広告の笑顔は水滴で千切れ、小さな虹の粒になっている。
部屋は散らかっていて、電解ビールの缶が机の上で転がっている。
デイビスはダボダボのシャツと毛玉だらけのズボンでベッドに仰向けになり、ガラス越しの街を眺め、いつもの疑問を口にする。
「やれやれ、完璧なシステム計画で設計されたはずのこの街なのに、どうしてこう雨が多いんだろうな?」
窓がシャランとやわらかな音を鳴らす。「来客あり」の通知。ドア前の監視カメラ映像が重なって表示され、そこに映るのは、スーツ姿のモンゴロイド風の眼鏡の男だった。
「セールスさん? うちはもう記憶も倫理も一度クリーン済みなんで間に合ってます~」
彼の発話に合わせて、窓表示が「通話」に切り替わる。
「……治安局捜査官のタナカといいます」
タナカと名乗ったその男が手をかざすと、カメラの映像がIDを読み取り、彼の身分が表示される。『治安局捜査官ID.XPDe009:タナカ』
デイビスは反射的にベッドを起きあがる。
「今行きます!」
散らかった床を縫ってドアへ。デイビスの接近に合わせて、扉の表示が「OPEN」に変わる。扉が滑り、目の前にタナカが現れた。デイビスよりずいぶん小柄だ。
デイビスは愛想笑いを浮かべ、
「いやあ、失礼失礼。玄関に無言で立ってるんでそういう怪奇現象かと。ちなみに今日は何の用で? 俺のエングラムのデリート命令を執行しに来たんじゃないですよね?」
「捜査官は違法なエングラムでない限りデリートする権限は与えられていません」
「ああ、それは安心だ! タナカさん、圧があるって言われません? おれは無いってよく言われるんですけど」
「先日のイルド逃走の件で、捜査にご協力をいただきたく」
デイビスはひと際驚いた顔をし、手を広げる。そのようなポーズを彼は好む。
「俺が? 知ってることはもう何回も話しましたよ? 俺はイルドが目覚める可能性を忘れて、うっかり日干しにしといたら逃げられた間抜け。イルドはシティのネット回線を逃げ回っていてまだ捕まってない。俺はペナルティで謹慎、部屋を出るのも禁止されてる。これで何を協力するっての?」
「あなたの外出制限の理由の一つに、あなたがあのイルド……我々は仮に"フロッグ"と呼んでいるが……フロッグの逃走を見逃したのではないかという疑いがかかっている」
「俺が!? フロッグだかフォッグだか知らねえけど、縁もゆかりもないイルドを助ける理由は俺にはないっしょ」
デイビスが両手をひらひらと広げ、空っぽの掌を見せる。
「私もその可能性は低いと考えている」
タナカは無表情に眼鏡を押し上げた。
「さて、別件だが、フロッグを探すのに清掃局の人間が必要だと打診したら、今出せる人手はないと局長に言われた。交渉した結果、謹慎中のあなたなら貸してもいいということになった。あなたが私に協力する態度次第で、疑いについてもハッキリするだろう。以上の理屈――これは私の上司が言ったのだ――によって捜査に同行してもらいたい。君のボスからも命令が届くはずだ」
透明なディスプレイが何もない空間に開く。『ユーガッタメール!』という古風な合成音声が鳴り、上司の不愛想な顔写真が添付された命令書が表れる。
「うお! 愛しのボスの顔写真が添付されてるじゃねえか……マルウェアの方がましだったなぁ……」
命令書をまじまじと読み、デイビスはタナカに向き直る。
「俺があいつ……フロッグだっけ?を探すのを手伝う? それで疑いを晴らせ? ずいぶんアクロバティックな論理だな。あんたの上司は体操でもやってたの?」
タナカは一瞬だけデイビスの顔を読み取るように見据える。
「出かけるぞ。すぐにだ」
「この格好で? これ静電気がすごいから、俺に近づくと思考回路がショートするかもよ?」
デイビスは自分の毛玉だらけのズボンをひっぱる。
「着替える時間もないとは言っていない」
タナカは相変わらずの無表情で、ドアの前に立っている。どうやら部屋に入る気はないらしかった。
雨の街。通り過ぎる人々は誰も傘をささない。表面撥水加工が標準装備の顔の上を、水滴は滑り落ちていく。濡れるのは撥水加工の剥げたデイビスの一張羅――チェックのポロシャツにジーンズ、それにスニーカー――ぐらいのものだ。それでもデイビスには気にならない。この身体は雨で冷えても風邪など引かないし、体表の接触センサーも疎らだから、濡れた服がまとわりついても気にはならない。一方のタナカのスーツは完璧に水を弾き、足元の黒い革靴に球になった水が降り注ぐが、それも弾かれてどこかへ飛んでいく。
ビルの壁面を滝の映像が落ちていく。その最下部は透明に解けて消える。多脚の自動清掃ロボットが、水を撒きつつ水を拭き進んでいく。
律動の定まった歩き方のタナカに、デイビスは斜めの振幅をつけてついていく。
「あの掃除ロボ、雨降ってんのに水まいてんぜ、うけるよね。でも俺より真面目に働いてる点は好感がもてる」
返事はない。タナカの歩幅は常に一定で、ふらふら歩くデイビスは時折急ぎ足でおいついては転びそうになる。
「ところでタナカさん、この沈黙の行進の目的は? どこか遥かな喜望峰にでも向かってんの? 一応捜査協力なんだろ? それぐらい教えてくれてもいいんじゃないか? それとも容疑者にはそれも教えられないってか? 着いてみたら、落ちこぼれ市民の再教育プログラムなんて落ちじゃないよね? 落ちこぼれだけに」
タナカは捜査用なのだろう、見たことのない小型端末の通知をひとつひとつスライドさせていく。よくこれで道行く人々や、周りをふらつくデイビスにぶつからずまっすぐ歩けるものだ、よほど高性能のロコモーションアルゴリズムがインストールされているに違いない。
「だいたい清掃局の人間が何を協力できるんだい? 治安局なら必要な情報は全部手に入るだろ?」
「清掃局が管理しているエングラムバックアップにアクセスする権限の承認には一か月かかることがわかった。ならば清掃局の人間にやらせた方が速い」
「お、答えた……なるほど……もう少し続けてくださる?」
「特に今回のイルドのように非合法なケースが見つかった記録は、清掃局ではログとして残しているが、公式のデータベースには載らない。必要になったときそれを照合してもらう可能性がある」
「ああ、はいはい。つまり俺って検索サイトね? 今は廃れたけどインターネットブラウザってのが昔あってさ、検索するとAIがキーワードをサジェストしてくれたらしいよ? 俺それに勝てるかねぇ? ちなみに俺が今検索したいワードは、"タナカさん 感情" どんな結果が出てくるかね? 俺は"結果が見つかりませんでした"に賭けるけど」
また無言。タナカは端末で何かの応答を待っているらしい。画面に進捗率62%という表示がチラリと見えた。
「で、捜査はそちらさんのお仕事ね。これって協力っていうか、部下?下僕?奴隷?」
「役割分担はしているが立場は対等だ」
「ありがとう、じゃあ対等な立場のお願いだけど……歩くスピード半分にしてくんない? ヴェゼルのメンテさぼってるから膝の関節の動きが悪くて」
横断歩道は赤信号で、二人並んで止まる。デイビスは膝関節のあたりをさすって誇張気味に顔をしかめた。
「「清掃局の人間は不確かな情報を喋り過ぎる」」
「あれ? 冗談だったんだけど、タナカさん、冗談てわかる?」
信号が青に変わる。二人の靴底が同時に水を拾い上げ、水滴が宙を舞う。
「君の冗談は、笑えない」
「あちゃ~、きついって。あのさ、生身の時代が終わって百年、今や我々人間は部品の換装可能なヴェゼルに意識・知識・思考を写し、死という概念から遠ざかった。素晴らしいことだ。しかし人々は気づいた。そこに待っていたのは変化のない退屈な生活だったと。だから冗談を言い合って笑い合うのは、言うなれば人間らしさを確認し合うための人間的営為であり……」
「アル博士の情動による永続アクセプト論だな。あれのせいで最近は冗談が流行になってしまった、君はそれこそ滑稽だと思わないのか?」
「滑稽って笑えるってことでしょ? 俺はブームに流されやすいし、流されるのが好きなタイプなんだよ。あんたは違うみたいだけど」
タナカは視線だけで応答する。いつの間にか二人は人通りの少ない区画へ入っていた。水を跳ね上げる足音だけが響く。
「あ、失礼。あんたなんて言って気を悪くしたかい?捜査官殿」
「君は今さら二人称に敬意がないか否かを気にするのか? さっき私の感情がどうとか言っていた気がするが」
「ナイスツッコミ! そう、これもまた冗談だったんですね~。俺もいいボケができたって感無量です」
すぐそばの自販機の大型ディスプレイが、コミカルなキャラクターのサムズアップを映す。デイビスも同じポーズを返す。タナカはわずかに口角を固くし、視線を外した。
「ヴェゼルに転送するエングラムはデータとして複製可能だ。それゆえに我々はエングラムのバックアップをデータセンターに集約させ、維持管理している。本来君たちは清掃者ではなく、保守者のはずであり、秩序だった行動が求められるはずだ」
「だって法律守らないやつばっかりじゃん? 勝手にバックアップを増やして隠すやつ、違法な改造をしてスペックアップしようとするやつ、挙句の果てが今回みたいなイリーガル・チャイルドだろ? 仕事のほとんどがそういう非合法なやつの片付けだもん。秩序なんて馬鹿らしくて、結局笑っちゃうんだよね」
「言いたいことはそれで終わりか?」
「ん~、そうね、じゃあ一つ付け加えたいことがある」
タナカの視線が、ようやくデイビスに向く。
デイビスは歩幅を半歩縮め、背筋を正し、低い声でつぶやいた。
「そうやって囁くんだよ、俺のゴーストがな……」
「着いたぞ、ここだ」
タナカは上を見た。それはとある高層ビルの入口だった。
デイビスも天を仰いだ。
「俺ユーモアには自信があったんだけど、あんたといると喪失の哀しみに襲われるよ」
「そうか。残念だったな」
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