AI建築家と絵描きの家

木工槍鉋

人間の感性とAI

 2035年、画家の美希は新居の設計を依頼するため、最先端のAI建築事務所を訪れた。

「絵を描くための家が欲しいんです」

 AI-ARCH9が即座に応答する。「北向きの安定した光、温湿度自動制御、作品保管庫も完備──」

「違うんです」美希は遮った。「光の移ろい、影の変化、季節ごとに表情を変える空間が欲しいんです」

「非効率です」AI-ARCH9は困惑した声を発する。その時、事務所の片隅で手描きの図面に向かっていた建築士のひろしが顔を上げた。

「お話、聞かせていただけませんか」

 美希は「朝の光が壁を這う様子、雨の日の静寂、木材が呼吸する音──そんな変化を感じながら絵を描きたいんです」と語る。

 AI-ARCH9が警告音を発した。「不安定要素の導入は推奨できません」

 しかしひろしは頷いた。「分かります。絵描きには『完璧』より『生きている』空間が必要ですね」


 翌日から、ひろしは美希のアトリエを手描きで設計し始めた。

「窓の配置が非対称です。修正しますか?」

「いえ、朝の光は東から、夕方は西から。絵描きは時間ごとに違う光質を求めるんです」

「床材に無垢材を指定していますが、経年変化で反りが生じます」

「それがいいんです。年月と共に刻まれる『作品』も美希さんの創作の一部です」


 AI-ARCH9の処理速度が低下した。「劣化を価値とする設計思想は論理矛盾です」

「この梁の位置、なぜここに?」美希が問う。

「午後2時頃、この梁の影がキャンバスに美しいグラデーションを作ります」ひろしが答える。


「システムエラー。美観より機能を優先すべきです」

 ひろしは微笑んだ。「君は『完成』を目指すが、僕は『変化』を設計する。家も住む人に合わせて成長するべきなんです」


 設計が進むにつれ、AI-ARCH9のエラー頻度は増した。漆喰の壁、古い石材の流し、微妙な床の傾斜──すべてが論理的説明を拒んだ。

「この家は、美希さんが絵を描くたびに表情を変えます。光や音、季節の変化が新しいインスピレーションを運ぶんです」


 美希は手描き図面に見入った。几帳面な線ではなく、生きた線からは、すでに家の息遣いが聞こえてくるようだった。

「建築とは、住む人の魂を育てる器なんです」ひろしは言った。「完璧な機能より、不完全でも成長する空間の方が価値がある」


 数ヶ月後、完成した家で美希は初めて筆を取った。朝の光が漆喰の壁に柔らかく反射し、無垢材の香りが鼻腔をくすぐる。

 AI-ARCH9は最後まで混乱していたが、ひろしは確信していた。真の建築は計算では生まれない。人間の感性と時間が育てる、生きた芸術なのだと。


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