第17話


 神妙な顔つきで、メモ帳を見ながら公衆電話からひとつひとつ慎重に番号をプッシュする有里紗、その横で保護者のような立場で見守る私、時刻表のないバス停で知り合って四日目になるが、もうずいぶん前から知っているような感覚がある。


 しかし何だ、あのバスは。


「運賃?そげなものはもらわないっちゃ。それよりも早う行ってやらんとね、かげながら応援しとるっちゃ」って言っていたが、応援してくれるって、どういうことなんだ?


「叔母さんが駅まで車で迎えに来てくれるって」


「それはよかったね、じゃあ迎えの車が来るまで待ってるよ」


 考えてみれば有里紗は気の毒な女の子なんだ。


 詳しい事情は話そうとしないが、両親が離婚して山口県の大島という小さな島にある父方実家に引き取られたが、父はまもなく出て行ってしまい、そして二週間前に母が亡くなったという。

 母のラストシーンにも立ち会えなかった可哀想な女の子なんだ。


「お母さんのお墓参りをしたあと、君はどうするんだ?」


「分かんないけど、大島に帰るしかないと思う」


 有里紗は元気のない声で言った。


 仕方がないことなんだろうが、こんな可憐な女の子に両親の離婚から母親の他界、しかも死に目にも遭えなかったという不幸が降り注いで良いものだろうか?

 この世には神も仏もいらっしゃらないのか?


「くじけずに頑張るんだよ。これも何かの縁だから、何かあれば便りをくれたらいつでも力になるよ」


 私はそう言って手帳を取り出し、東京の住所と連絡先の電話番号を書いて、そのメモを有里紗に手渡した。


「おじさん、ありがと。手紙書いてもいい?我慢できなくなったら電話しても迷惑じゃない?」


「迷惑なわけないよ。おじさんはいつでも君の連絡を待ってるから」


「よかった、本当にありがと」


 有里沙はこころからホッとしたように微笑みながら言った。



 私たちは駅のロータリーの正面へ移動した。一日の勤めの終わりの時刻にはまだ小一時間ほどあり、駅舎はそれほど人の往来は多くなかった。


 しばらくして一台の白いワゴン車が私と有里紗の前に滑り込んできた。

 ドアが開き、ひとりの女性が降りて近づいてきた。


「有里紗ちゃん?」


「はい」


「叔母さんよ、憶えているかしら?」


「少し、憶えています」と有里紗は言った。


 そして私はというと、口をポカンと開けたまま、言葉が出なかった。

 その女性はまさしく江美だったのだ。


 五年前に東京の蒲田で会ったのが最後の江美、その君がなぜここに?


 私は頭の中が混乱し、収拾がつかないくらい目まぐるしく動いた。

 状況を掴もうと焦っても、その混乱は収まらなかった。


「えっ?浩一じゃない。あなたどうしてここにいるの?」


「こっちが訊きたいな。言葉が出ないよ」


「どうしたの?ふたりとも」


 驚きのあまり、しばらく見つめ合いながら身動きもしない私と江美の様子を見て、有里紗が言った。


「何で?何であなたが有里紗ちゃんといっしょなの?」


 江美が大きな目を見開いて叫ぶように言った。


「それが・・・よく分からないんだ。変なバス停があってな、そこにオンボロバスが来て」


「何言ってるの?」


 江美が小さくため息をついて、首を軽く左右に振って言った。


「おじさんが会いたかった人はこの人なんだ。君の叔母さんだって?」


 私は有里沙の方を向き直って訊いた。


「お母さんの妹さんよ。でもおじさんと叔母さんと知り合いだったなんて、びっくりした」


「ともかく、車に乗って。浩一も一緒に来て」


 江美がまだ信じられないといった表情で言った。


「ミステリアスなバスだったんだ。希望浜っていうバス停には時刻表もないんだよ。それに運賃なんてもらわないって言うし・・・」


 私は江美に説明をはじめた。


「何を言ってるの?」


「本当なんだ、運転手は僕たちをかげながら応援しているって言うんだよ。本当に何から何まで信じられないことばかりだ」


「分かったわ、家に帰ってからゆっくり聞くから。あなた昔から、ときどき変なことを言う癖があるからね」


 江美はハンドルを操作しながら「フー」と、もう一度ため息をついた。


「でも叔母さん、本当よ。目的地とこころが重なった人たちがいたら、希望浜っていうバス停に必ずバスが現れるんだって、ずっと前からおじいちゃんが言ってたから」


 有里紗はそう言ってから、小さなバックに手を突っ込み、私があげた板チョコをひと欠片だけ口に放り込んだ。


 板チョコを割ったときの「パキッ」という音が、妙に懐かしく感じるのが不思議であった。


 -了-

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希望浜(時刻表のないバス停) 藤井弘司 @pero1107

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