第12話
バスは松江市内に入った。もうここから安来までは三十分あまりで着く。
時刻はまだ午後二時を過ぎたところだ。
有里紗は目をしっかり開けて、窓の外の風景を眺めていたが、顔つきがややこわばっているようにも思えた。
「どうしたの?」
「ちょっと緊張するわ」
「もう少しで安来だよ、大丈夫?」
「うん、でも何だか怖いわ」
有里紗は眉をしかめ、困ったような表情で言った。
そのとき、運転手がバスを走らせながら大きな声で何かを叫んだ。
「何ですか~?」
「時間がまだ早いじゃろから、松江城に寄っていくほ~」
運転手は右手でハンドルを持ちながら、左手で窓の前方を指さしながら言った。
そして私や有里紗の返事も聞かないうちに、国道九号線を左折して宍道湖の入口に架かる大橋を渡り、島根県庁の横をすり抜けると一気に松江城の駐車場に着いた。
「懐かしい場所じゃろ?一時間ほどしたら出発するっちゃね」
そう言って運転手はエンジンを止めた。
懐かしい場所となぜ分かるのか不思議に思ったが、私はもう何も訊く気にはならなかった。
約二十年ぶりの松江城の天守閣は昔の雄姿に変化はなかったが、驚いたのはお堀を渡って天守閣へ通じる道の途中にある観光案内所が、以前のままの瓦葺の平屋建姿で残っていたことである。
「前と一緒だ」
「何が?」
「観光案内所」
「フーン」
「有里紗ちゃんのお母さんと同じように、おじさんの知り合いの女性もここに勤めていたんだよ、懐かしいな」
江美は水郷祭が終わった日の翌日、私を松江城に案内してくれた。
再び昔の記憶がよみがえってきた。二十年近くも前の出来事だ・・・。
* * *
指示された「純喫茶・シオン」は松江駅の並びのビルの一階にあった。
私は昨夜の誘いは冗談じゃないのかという不安を抱えたまま、約束の時刻より少し早く店に入ってみると、入口から見える位置に彼女はこちら側を向いて座っていた。
「本当の話だったんですね」
正面に座って私は言った。
彼女は声をかけるまで気付かずに膝の上の本を読んでいた。
半袖の淡いピンクのサマーセーターにジーンズ姿がとてもよく似合っていて、昨夜とはずいぶん違った雰囲気だった。
「えっ、何が?」
「今日のランチの話」
「どういうこと?」
「いや、その・・・からかわれているんだろうと思っていたものだから」
「何言っているのよ、冗談で言うはずないじゃない。それよりコーヒー飲む?」
彼女はやや不機嫌な表情になって、読んでいた本をパタリと閉じながら言った。
「そうなんですか、すみません。女性に誘われるなんてこれまでなかったものだから。ところでここでランチを食べるのですか?」
「違うの、駅の反対側に美味しいレストランがあるの。じゃ、出よう」
昨夜のバーでの丁寧な物腰とは違った、テキパキとした彼女の言葉と態度に圧倒されていた。シオンを出て、松江駅の南側にある比較的新しいビルの地下に降りていった。
「ここよ、びっくりするくらい美味しいから」
店の扉には「ビストロ・マルコ」と書かれていた。
店内はちょうどランチタイムで混雑していたが、彼女は度々訪れているようで、勝手知った感じで奥の方の席に躊躇なく入っていった。
「ここのビーフシチューはすごく美味しいのよ」
女性スタッフが持ってきたメニューを私に手渡し、「食べたいものがあったら遠慮なくね」と言った。
「おまかせしていいですか。僕はあまり食べ物のことは分からないから」
「分かった。じゃあ私が勝手に注文するね」
スタッフを再び呼んで、彼女は前菜三種盛りとビーフシチューとビフカツ、それにシェフの気まぐれサラダなんてメニューを注文した。
「ビーフばかりになってしまったけど、学生さんは普段お肉ってあまり食べないんでしょ」
彼女はウフッと笑って言った。
間髪を入れずに出る言葉や、次々と変わる種類の異なる笑顔にドキッとし、こういう店にはなれていないこともあったが、私は戸惑いを隠せなかった。
「私、野口江美よ、江美って呼んで。夜のお店はバイトね。今日は昼間の勤めはお休みだけど、いつもは松江市の観光案内所で働いているの」
料理が運ばれてくるまで江美は自分について話をはじめた。
島根県安来市の生まれで、地元の高校を卒業後、関西が地盤の大手スーパーに勤務したが、二年ほどで辞めて実家に戻った。
実家のある安来には特に仕事がなく、実家は農家だが、父方の親戚筋が島根県庁に勤めていた関係で便宜を図ってもらい、松江の観光案内所に勤めるようになった。
目下は松江市内のアパートにひとり暮らしで今年二十四歳になる。
「私のほうが少しお姉さんね」とニコッと笑って彼女は言った。
* * *
松江城の駐車場にミステリアスなバスを待たせて、私と有里紗はお掘りに架かる橋を渡り、右手に懐かしい観光案内所を観ながらさらに奥へ歩いた。
天守閣は昔訪れたときの記憶では、石垣などない平坦なところにドカンと建っていたように印象として残っていたが、記憶違いだろうか、庭園を抜けると模型のように綺麗に積まれた石垣の上に黒い松江城の雄姿が現れた。
「やっぱりお城はいいね」
「私、お城を観るのは二度目だわ」
「最初はどこを訪ねたの?」
「修学旅行で萩に行ったとき、お城があった」
「萩城だね、あそこのお城も格好良いね」
そんな会話を交わしながら靴を脱いで天守閣の中に入った。
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