第7話


 運転手が言ったとおり、バスは午後二時ごろには益田市内に入り、町外れの路肩に停車して若いカップルは降りた。


 お互いに見知らぬ他人同士なのに、そのふたりは下車する前に「それじゃ、お先です。きっと会えますよ、お元気で~」などと、最前席のおばあちゃんや私と女の子に向かって言うのであった。


 バスは益田で国道百九十一号線に別れを告げて、海沿いの国道九号線に道路を変えた。


 鳥取の安来には江美の実家がある。

 地元の農協に勤める年下と結婚した江美は、相手の実家が営む長門温泉の旅館へ引っ越したと便りをよこしていた。


 その後、盆と正月だけ年に二回は葉書きが届いていたが、昨年の暑中見舞いと今年の年賀状が来なかったことが気がかりではあった。

 でも、便りが来ないのは幸せなのだろうと深くは考えなかった。


 長門温泉の江美の嫁ぎ先旅館の近隣の同業者に訊いたところでは、数年前に経営不振で旅館を手放し、どこかへ引っ越したと言っていたが、二年前の暑中見舞いは届いていたから、おそらくそのあとの出来事と推測された。


 江美が安来の実家に戻っているに違いないという思いは、まったくの根拠なき推測に違いなかったが、遥か昔のある日、江美が突如私の目の前から姿を消した時も、きっと安来の実家に帰ったんだと疑いもせずに訪れると、案の定彼女はそこにいたことがあったし、あながち根拠のない思いとは言えない。


 彼女の実家は古くからの農家で、立派な門構えを抜けて玄関にたどり着くまでは、大股で三十歩はあり、そこには大きな屋敷風建物が古いながらも堂々とした雰囲気で構えていた。


 江美は学卒後、島根県庁に勤めていた親戚の口添えで松江の観光局に就職できたと言っていたこともあり、彼女の実家は地元では有力な家柄のようだった。


 そんな江美の実家が没落しているはずもないだろうし、嫁ぎ先が不都合になったとしても、きっと安来に戻っているか、或いは実家にはいなかったとしても、何かが掴めるだろうと私は思ったのだ。


「江美とほんの少しでも会って東京に帰りたい」と思い続けて、はるばる山口までやってきたのだから。



 バスはあまりスピードを出さず、いや出せないのかも知れないが、がら空きの海沿いの道路をひたすら東へ東へと走り続け、午後四時前に道の駅・ゆうひパーク浜田に着いた。


「ここで三十分ほど休憩します。トイレと晩ご飯のお弁当なんかを買ってください」


 運転手はそう言って、彼も売店やレストランがある道の駅へ入って行った。


「何か買っておこうか?」と私は女の子に訊いた。


「おにぎりとお茶だけにする」と彼女は言った。


 道の駅は高台に位置していて、建物の裏手の公園からは日本海が見渡せた。私と女の子は並んでベンチに腰をかけた。


「そう言えば、君の名前をまだ訊いていなかったね」


「有里紗って言うのよ、大森有里紗」


「有里紗ちゃんか、いい名前だ」


 有里紗は布製のバッグからチョコを取り出し、残りの板チョコをパキッと音を立てて齧った。


「もうひとつチョコをあげるよ。おじさんの分はまだあるから」


「ありがと」と彼女は言い、「今夜はバスで寝るのね。どこで歯を磨こう?」と心配顔に変わった。


「ひと晩くらい磨かなくても虫歯にはならないよ」


「そうね」


 私の無責任な言葉にもかかわらず、困った表情から一気に笑顔に変わった。

 少女のあどけなさが確実に見えた瞬間であった。


 バスに戻ると運転手はすでにエンジンをかけて待っていた。

 私たちが席に座ってしばらくしてからお婆さんが戻って来た。

 運転手はお婆さんの手を引っ張って座席へ導いた。


「お婆ちゃん、出雲には明日の昼までには着くから、お孫さんのことが心配じゃろが、大したことはないっちゃ、安心しなよ」


「ほうけぇの?そりゃホッとしたで」


 バスは再び走り出した。夕陽がバスの後方に少しずつ落ちていった。

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