第6話
「おじさん、早く、早く!」
女の子の声が私を呼んでいた。
ようやくやって来たバスはかなり年季が入ったオンボロバスで、エアコンなんて洒落たものはもちろん付いていなくて、座席の皮シートのところどころに破れが見え、中のクッションが剥き出しになっていた。
でもそんなことよりも、バスが到着したことにホッとして、女の子と並んで真ん中あたりの座席についた。
バスには三人の乗客がいた。
ひとりは運転席のすぐ後ろの席にいた老婆で、あと二人は最後尾の長いシートに座っている若いカップルだった。
バスは私たちが座ったのを確かめてから、ブルンブルンと大きなエンジン音を立てて出発した。
少し開いた窓から土埃が入って来そうだったので慌てて閉めようとしたが、留め金が錆び付いていてまったく動かなかった。
「埃が入ってくるから席を替わろう」
「じゃ、空いてるから向こうの通路側に座るわ」
私と女の子は通路を挟んで並ぶように座り直した。
バスは出発して海沿いの道路をひたむきに走った。
途中、バス停の目印が何箇所か見えたが、バスは気にもせず素通りして走り続けるのであった。
「ねえ、このバスは次にどこに停るの?」
「分かんないわ、だって私も初めて乗るんだもん」
ほかの三人の乗客の様子を眺めてみると、最前席の老婆は居眠りをしているし、最後尾のカップルといえば笑いながら戯れ合っている風で、それぞれの目的地は知る由もないが、不安な表情ひとつ見受けられなかった。
私は揺れるバスの通路を注意深く歩き、運転席の横に立った。
「運転手さん、このバスは次にどこに停車するんですか?」
もう初老近くにも見える運転手は、前方にしっかりと目を据えて、大きなハンドルを左右に小刻みに動かしながら、チラッとこちらを見た。
「次は後ろのふたりが降りるところだで、まだずっと先だな」
「ずっと先って、どこです?」
「益田で降りるちゃ」
運転手は前方と私の方とを交互にチラチラ見ながら言った。
「その次はどちらですか?」
「なしてそげなこと訊くんね?」
「いえ、皆行き先をちゃんと告げているんですね」
運転手は私の言葉に不思議そうな表情を見せ、「アンタは安来に行くんじゃろ?そやけど、今日は江津までしか行かんからね。昨日もろくすっぽ寝ちょらんでな」と言った。
なぜ行き先が安来だと知っているのか唖然としている私に、さらに彼は「一緒のお嬢ちゃんも安来に行くんじゃろ?そう指示が出とるっちゃ」と言うのであった。
「今夜は江津で停るから、バスの中で寝ればよかろうって。婆さんは出雲じゃけ、明日の昼までには着くがね」
運転手はこちらを向いてニヤっと笑い、「心配せんでもちゃんと明日のうちには安来に連れて行くっちゃ」と言った。
「なぜ、安来って分かるんです?行き先をまだあなたに告げてないですよ」
「このバスは必要としたお客さんがいるときだけ走るっちゃ。行き先もお客さんが思ったところへ行くことになっちょる」
「そんな・・・」
運転手はそれきりこちらを向かず、注意深く前方を睨みつけながらバスを走らせた。
私は呆然として席に戻り、女の子に「ねえ、君は安来に行くの?」と訊いてみた。
「そうよ、安来よ」
「おじさんも同じなんだよ。ちょっと頭が痛くなってきた」
女の子は「フフッ」と微笑んで、バッグからチョコの箱を取り出し、またひと欠片をパキッと音を立てて割り、ゆっくりと口に運んだ。
これはおそらく夢に違いない。
いつ夢が覚めるのだろうと、私は窓の外に広がる日本海を見ながらため息を吐いた。
つづく・・・
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