プロローグ③

 CMが明けた。

 すぐに『チェリーブロッサムクラブ』の歌唱がはじまる。

 量子さんが作って優希たちが歌唱する『パラダイストリップ』は、ポップでアップテンポな明るい楽曲だった。優希が話していたように、恋に関する応援ソングで、キャッチーな曲調にまっすぐな歌詞が乗っている。

 見惚れ、聞き惚れ、あっという間にパフォーマンスは終了。

 観覧席から拍手が送られる。ぼくも呼応して画面のむこうに拍手。

 テレビ画面が、ふたたびCMに移行。


「仕上がってたねぇ」量子さんが、にんまりと微笑む。


「仕上がってましたねぇ」


 共感しながらスマホを操作。SNSを覗いて評判をチェック。評判は良好だ。


「みんな凄いなぁ。若くしてプロフェッショナル。感心感心。特にセンターの優希嬢の存在感たるや素晴らしいね。輝いて、煌いて、オーラがビンビンただよって、まさに天性のアイドルって感じで。存在としての強度が強いね」


 存在としての強度が強い。

 目からうろこな評論だ。

 たしかに優希を端的に言語化すると、そういう表現がしっくりくる。


「優希はむかしから大勢の人の前に立っても緊張や物怖じをしないんです。常に堂々としていて。心臓に毛がボーボーに生えまくってて」


「たしかに優希嬢は強心臓の持ち主だよねぇ。意識が高いし向上心も抜群だ。高校時代のあたしにも見習わせたいよ」


「量子さんはどんな高校生だったんですか?」


「もうヒドかったよ。怠惰で頭からっぽで。お手製の黒魔術で理科室を粉まみれにしたりとか」


「マジでなにやってるんですか……」


「でも高校生なんてさ、遊びたいじゃん。遊びたい真っ盛りの年頃じゃん。そんな時期に仕事に情熱注いで、アイドルっていうエンタメに身を捧げる姿勢たるや、率直に尊敬しかないよ。素晴らしすぎて仰ぎ見るばかりだね」


「若くしてエンタメに身を捧げているのは量子さんも同じじゃないですか。だから量子さんもまた、人々から尊敬されて仰ぎ見られるべき存在だと思いますよ」


「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃないのよ。そんなに褒めても吐瀉物しか出ないぞっ」


「サラッとなんちゅーもん出そうとしてるんですか」


「でも安心して。あたし、吐くときは便器にって、決めてるから」


「当然の決まり事をキメ顔でいわないでください」


「まあ、最悪の場合は廊下に吐くかもしれないけど」


「その場合は尊敬を軽蔑に更新しますのでご理解のほどを」


「おおっ、年下男子から向けられる軽蔑の眼差し……イイね……」


「妙な癖を晒さないで!」


 CMが明けて、今週の音楽シーンであった出来事を紹介するコーナーがはじまった。

 それを見て、量子さんがリモコンの消音ボタンを押す。


「あれ? 音消しちゃうんですか?」


「うん、ちょっとね。キミとおしゃべりしようと思って」


 おしゃべり。

 既にかなりしゃべっていたと思うけど……。


「まあ、おしゃべりにも色々あるじゃんね。取るに足らないよもやま話とか、取るに足りすぎてあふれちゃうような大事な話とか」

「……」


 量子さんのあらたまった言動に身構える。

 要は今から大事な話をするってわけだ。

 ソファーに座りなおす。彼女の話にしっかりと耳を傾ける。


「実は今回、あたしが楽曲を提供するにあたって、メンバーと――とりわけ優希嬢と、けっこう密にコミュニケーションを取らせてもらったんだよね。それでひとつ、関わり合いを持ってきたなかで、明確に解っちゃった事実があって」


「明確に解っちゃった事実……」なにそれ怖い。「……一体、どんな事実ですか?」


「知りたい?」


「そこまで露骨に匂わせたのに教えてくれないなんて、もはや軽い犯罪ですよ。教えてください。明確に解っちゃった事実とやらを」


「いい食いつきだね。いいよ、教えたげる。あたしが明確に解っちゃった事実っていうのは……」


「事実っていうのは?」


「……優希嬢は、キミのことが大好きなんだってこと」


 量子さんは、微笑みを浮かべてそういった。

 ――優希が、ぼくのことを大好き。

 どうやらそれが、明確に解っちゃった事実とやらの内容らしい。もったいぶった答えの中身らしい。

 ……なんじゃそりゃ。

 正直、拍子抜けしちゃった。肩透かしをくらった気分だ。

 もちろん勝手にハードル上げて期待しちゃったのはぼくの落ち度かもしれないけど、それにしたって内容が凡庸すぎるのでは?

 ぼくたちは兄妹だ。優希がぼくのことを好きだなんて満を持して述べるほどのことじゃない。ぼくだってもちろん優希のことは大好きだ。妹として日頃から可愛がってるし大切に想ってる。当然だろう。たったひとりの妹なんだから。


「……明確に解っちゃった事実って、それだけですか?」彼女に訊く。


「うん、それだけ」


 量子さんがさっぱりと応じる。


「……なんていうか、もっとこう、衝撃的事実ガー、みたいな展開を覚悟していたので、意外とふつうのことだなーって思っちゃいました。まあ、確かに兄妹仲はそれなりにいいほうだとは思いますけど――」


「いやいやいやいやいや」


 量子さんが、手を動かしてぼくの言葉を否定する。


「それなりに仲がいいなんてレベルじゃないでしょうよアレは。レベチ。桁外れ。浮世離れ。格が違う。キミのことを語る優希嬢の瞳は、完全に恋する乙女のそれだった。もうね、すぐに解ったんだから。優希嬢はキミに対して好意を――れっきとした恋の相手としての好意を持ってる。たくさんの愛情を注ぐから、同じぶんだけ愛情を返報してくれなきゃ嫌だっていうクソデカでエゴイスティックな願望を、ほかの誰でもないキミに対して抱いてる。あたしの見立て、間違ってるかな?」


「……いやぁ、さすがに無いでしょう」


 詰問されたぼくは、そう応じるしかなかった。

 恋の相手としての好意だって? そんなの考えたこともない。

 ぼくと優希は兄妹で、とても仲がいい。それ以上でも以下でもない。


「あぁ、ごめんごめん」量子さんが苦笑する。「誤解されないように宣言しておくと、あたしは別に兄妹のあるべき関係性についてあーだこーだと上から目線で教え説きたいわけじゃなくて、っていうかむしろその逆で。要するにあたし自身、私的な立場も含めて、いろんな愛の形が許容されて然るべきだと思ってる側の人間で、もちろんそこには兄妹愛もちゃんと漏れなく含まれてるわけ。家族っていうグループの定義づけが血の繋がりの有る無しっていう呪縛じみた掟から段々と解放されつつある令和の現代において、兄妹という関係性が恋の枷になっちゃう掟もまた無くなればいいって思うんだよね。だからもう、あたしは熱烈応援スタンスですよ。そんでもって、他人の恋路の動向が大好物な恋バナ大好きお姉さんと致しましては、キミたちが普段、どんな感じで接し接され触れ合ってるのか是非とも知りたいという願望がムクムクと、それはもう心の底からムクムクと、わきあがってる次第なんでございますよ」


 量子さんの瞳に、メラメラとした好奇心が。

 彼女は、ぼくと優希の日常について詳しく知りたいらしい。

 ぼくと優希の日常に、取り立てて隠蔽すべきことは全く無い――とまでは言い切れないけど、ほとんど無いと言っていい。まして相手は量子さん。優希とも繋がりがある。語るのに支障はない。

 ――だけど。

 ぼくの胸中に、別の角度の不安が。

 はたして、ぼくと優希の日常なんてものを第三者が聴いたとて、ちゃんと面白いと思ってもらえるだろうか?

 語り部を担う者としては、期待値を上げられて興ざめを招きそうで。

 無事にショーアップできればいいけど――。

 でも量子さんは興味津々。獲物を捉えたハンターみたいにぼくのことを強い眼力で。

 口を割るまで絶対逃がしてくれなさそうだ。

 だからぼくは、しっかりと前置きを。


「あらかじめ忠告しておきますけど、ぼくと優希の日常に、大きな事件や劇的な出来事は皆無ですからね。そこんところはくれぐれもご了承くださいね」


「まったく問題なーし! むしろそーいうヤツこそ好みですから! 仲良し兄妹の愛おしい日常風景! そんなんニーズしか無いっしょ! いくらでも摂取できるし!」


「……分かりました」ぼくは首肯する。「精一杯、飽きさせないようにお話しますので、過度な期待はご遠慮くださいって感じでご清聴ください」


「うぇーい!」


 量子さんは叫び、ストパラのレモンをぷしゅっと開封。

 ぼくのエピソードトークを酒のつまみにするつもりらしい。プレッシャーだ。

 期待に応えられるかどうかは分からない。どう転んだって他愛もない与太話にしかならないのだけど、それでもいいっていう量子さんの言葉を信じて、ぼくは、優希とのありふれた日常を物語ることにした。

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