ぼくと妹《アイドル》と幼馴染《アイドル》の日常生活

武井 叶汰

プロローグ①

「レモンとグレフル、どっちが好き?」


 我が家のリビングでくつろぐ赤髪の女性から、唐突にそう尋ねられた。

 ぼくは台所で洗い物をしながら答える。


「レモンですかね」


「あー、やっぱり。レモン選びそうな顔してるもん」


「いやいや、どんな顔ですか」


「えーっとねぇ、なんていうか、柑橘系の顔立ち?」


「なんですかそれ。っていうか、その基準ならグレフルでも成立してるのでは?」


「あれ? グレフルって柑橘だっけ?」


「めっちゃ柑橘です。レモンと双璧をなす柑橘界の大御所ですよ」


「まあどっちでもいいや」どっちでもいいんかい。「そんなことより、そろそろこっちにおいでなさいな。早くしないと『Mサテ』の放送がはじまっちまうよ、高岳夏輝タカオカ ナツキくん」


 彼女は、座っている我が家のソファーをぽんぽんと叩きながら、ぼくのことをフルネームで呼んだ。

 彼女がいった『Mサテ』とは、番組名のことである。

 正式名称は『ミュージック・サテライト』。

 毎週金曜日の夜に生放送されている歌番組だ。伝統ある長寿番組で、この番組に出演することを目標として掲げているアイドルやミュージシャンも多いと聞く。


「いま行きまーす」


 蛇口のハンドルレバーを締めて、洗い物に区切りをつける。

 タオルで手を拭いて、台所の電気を消す。リビングに行き、ソファーでくつろいでいる女性の隣に腰をおろす。

 彼女の名前は、中村量子ナカムラ リョウコという。

 実は彼女、世間では少し――いや、かなり名が知られている人気ガールズバンド『ミッドナイト・ストレイシープ』のボーカル兼ギターを務めている御方だ。バンドの作詞や作曲のほか、華やかな容姿やトーク力を活かしたタレント活動、最近では他のアーティストへの楽曲提供も開始した。

 まさに八面六臂の大活躍。向かうところ敵なし状態。飛ぶ鳥を落とすどころか浮遊物全部落としそうな破竹の勢い。これから始まる『Mサテ』にも何度も出演経験があり、きっとこれからも何度も出演を重ねていくだろう。昨年末には紅白歌合戦にも初出場。抜群の歌唱力で響かせた生歌がSNSで絶賛されていたのは記憶に新しいところ。

 そんなすごい存在のお姉さまが、どうしてぼくの家にいるのか。

 どうして我が家のソファーで当たり前のようにくつろいでいらっしゃるのか。

 いろいろと事情があるのだけれど、それはひとまず置いといて。


「――あの、量子さん」


「どうしたのかな、夏輝くん」


「すごく今更なうえに遅きに失した感じの質問になっちゃうんですけど、今こうしてぼくたちは同じ空間にふたりきりでいるわけじゃないですか」


「そうだね。あたしがアポなしのゴリ押しで押しかけた結果ね」


「アポなしのゴリ押しで押しかけたという自覚はあったんですね」


「テヘッ☆」


 あ、ぶりっ子だ。


「無理しないでください。目尻と口元が引き攣ってますよ」


「テヘッ☆ ……はぁ、ダッッッル、死ねるわコレ」


「慣れないことをするからですよ。まあ、押しかけてきた件に関しては、ぼくは別に怒ってません。というか、むしろ心配してるんです」


「心配?」


「量子さんは、ぼくの家に遊びに来て大丈夫なんですか?」


「全然余裕で大丈夫だけど、逆にどうして?」


「ほら、写真週刊誌テキな媒体に張り込みテキな? 隠し撮りテキなことをされてるかもしれないじゃないですか。たとえば週刊文冬の文冬砲とか有名でしょ。虎視眈々と身を忍ばせてる文冬記者に帰り道を直撃されたらどうやって煙に巻くつもりですか?」


「そんなん決まってんじゃん。ぶちのめす」


「ちょっ、暴力事件はまずいですよ! 謹慎くらっちゃいますって! 今が大事な時期なんですから!」


「あんたはあたしのマネージャーか。嘘に決まってんでしょ」


「……嘘に決まってるなら、いいですけど……」


「あたしはね、常々思ってんのよ。暴力はよくない。本当によくない。いついかなる局面においても暴力が最適な解決法であるケースなんてひとつもない。そんな当たり前のことを当たり前に思ってる平和主義者なわけ。だからさ、もし仮に、週刊文冬に直撃取材を受けたとしたら、『高岳夏輝と会っていた』って、ありのままを話すだろうね」


「それ誰ですか? ってなりません?」


「それ誰ですか? って訊かれたら、高岳優希タカオカ ユウキの兄貴です、って答え方になっちゃうかな。キミにとっては不本意だろうけど」


「不本意? どうしてですか?」


「人気アイドルの兄です、なんて説明をされるのって嫌じゃない?」


「全然嫌じゃないですよ。むしろ誇らしいです。誇らしさしかないです」


「あぁ、そっか。そうだよね。キミはそういうタイプの人間だったね」


「そういうタイプ?」


「ううん、なんでもない。で、なんの話だっけ?」


「量子さんがここに居て大丈夫ですかっていうお話です。芸能事務所の後輩の兄貴と夜な夜なサシで過ごしていましたなんて事実が公表されたら、たとえそこに何も無かったとしてもファンの不興を買ってしまうんじゃないですか?」


「さあ? どうだろうね。不興を買うかもしれないし、買わないかもしれない。不興を購入してファンを辞めちゃう人もいるだろうし、逆にファンじゃなかったけど売り出されてた不興を衝動買いしたのがきっかけでファンになってくれる人がいるかもしれない。起こした出来事や下した判断で世界がどう動くのか正確無比に判るんだったら、あたしはミュージシャンやめてデイトレーダーにでもなってるよ。まあ、ひとつだけ断言できるのは、小さな疑惑ごときで芸能活動が立ちいかなくなるんだとしたら、それは最初っから魅力が不足してただけってことかな。デカい不祥事起こしても、それを乗り越えて第一線で活躍してる人はたくさんいるわけで、ちょっとの躓きで表舞台から姿を消すようなら、それはシンプルに実力不足なんだよ」


「……なるほど」


 プロの矜持に接して、凡庸な高校生でしかないぼくは、そう返すしかなかった。


「まあ、たしかにあたしは、アイドル的な売り方もされてる。それは否定しない。否定できない。でも一方で、あくまで本分はミュージシャンっていう自意識もある。別にアイドルをバカにしてるんじゃなくて、単なる起源の問題ね。あたしは、歌を作って歌うシンガーソングライター。歌を作って歌うことを生業にしてるから、その部分さえちゃんと誠実にやってれば、スキャンダルのひとつやふたつ、乗り越えていけるんじゃないかって捉え方をしてるわけ。いささか楽観的かもしれないけど、人生なんて所詮はどう転ぶか判んないんだから、だったらせめて転ぶ方向が判明するまでは、楽観してたほうがお得じゃん、ってね」


「……なるほど」


 てきとうな話をしてたと思ったら急に奥深いお話をなさる量子さんに、ぼくは「なるほど」を連投。

 テーブルに目を向ける。

 いろんなお菓子――酒のつまみに丁度よさそうなお菓子がならんでいる。個人的に柿の種が大好物なので、後でありがたくいただこう。

 飲料物も多々。主にお酒だけど、ミネラルウォーターや紅茶もある。紅茶はぼくが好きなレモンティー。そういえば以前レモンティーが好きだと伝えたことがあったっけ。その情報を覚えていてくれたのだろうか。だとしたらすごく嬉しい。

 開封済みのビール缶が三本ある。およそ1リットルのビールが、すでに彼女の腹におさまっているということに。

 ビール以外にも、缶チューハイも置いてある。手軽にコスパ良く酔えるという噂の『ストロングパラダイス』、通称『ストパラ』の500ml缶が二本。こちらは未開封の状態。

 味は、レモンとグレープフルーツが一本ずつ。

 さっきの質問の意味――レモンとグレフルどっちが好き? の意味が解った。

 同時に、正当な困惑を抱く。

 あの……自分……まだ高校二年生なんですけど……。


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