第3話

 お母さんが私たちを置いて自殺なんかするわけないじゃん!

 そう思いながら、梨乃は火葬場で妹と共に骨を拾っていた。

 普段同じ食べ物を二組の箸で掴むことを忌むのは、骨壷に入れる骨を二人ずつ二組の箸で掴むからだと言うことを、梨乃は初めて知った。


 あれから三日後。母はバラバラの骨になってしまった。

 遺体が他人に見せられるような状態でないので、死の翌日親戚が集まると、通夜と葬儀もそこそこに、母は荼毘に付された。


 母の出棺まで、梨乃は部屋に閉じこもっていた。駆けつけた祖母や叔母が心配してドアの前から声を掛けてくれたが、母の死と向き合う覚悟をするには時間が足りなかった。父が、お母さんとの最後の別れだから支度をしろと言うので、やっと何とか部屋から出てきたのだ。

 妹の紗千は小学生なのに、梨乃より現実に適応しているように見える。叔母が用意してくれた黒い服に身を包んで、通夜も葬儀も出たらしい。


 部屋にこもっていた二日とちょっとの間、梨乃に寄り添っていくれていたのは、どこの誰とも分からぬLUMINOUSの友人であった。莉乃の「母が死んだ、納得できない、私も死にたい」というつぶやきに対して、色々な人から寄り添うようなメッセージをもらった。「私も母を亡くしました。人生で一番辛く苦しい出来事でした」「死なないで」「私も母が死んで自分も死にたいと思いました。気持ちわかります」「辛いよね、今は自分を大切にして」「悲しみは消えないけれど、今は生きることを考えて」等々。梨乃は、自分も母を亡くしたのだという人を選んで、その人達の当時の気持ちや立ち直り自分の生活に戻る様をメッセージで言葉にしてもらっていた。

 母を失くすという悲しみは自分だけのものではない、ということに幾分救われもしたが、母が突然自殺したという人はそこにはおらず、自分はどうにも理不尽な目に遭っているという思いが強まりこそすれ、薄らぐことはなかった。


 学校の友達は、気を使っているのだろう、真由美が一度「大丈夫?・・・なわけないよね、できることがあったら連絡して」とメッセージをくれたきりだ。返事もしていない。まだ、冷静に話ができる状態ではないのだ。それに比べ、LUMINOUSでは相手が誰だか分からないので、気を使う必要がなく、思う存分悲しみを書き連ねることができる。メッセージをくれる相手も、大いに同情して言葉を尽くして慰めてくれる。相手が分からない故に、かわいそうがられることに自尊心を傷つけられたりしないので、それを嫌だとは思わずに済む。



 火葬場から戻り、精進落としとして飲み食いした後、親戚たちはそれぞれの家へ戻って行った。父方の祖母は「また来るから」と言っていた。


 家族三人になって、リビングの端に骨壷・位牌と一緒に置かれた母の遺影を見ながら、梨乃は父と紗千に問いかけた。

「本当にお母さんが自殺したと思ってるの」

 二人は梨乃を見つめた。父はため息をついた。

「お前が信じられないのも無理はない。お父さんだってまだ信じられない。でも、お母さんは死ぬ準備をしていたようなんだ」

 父が涙ぐみながら言う。

「繰り返しになるけれど、お母さんの持ち物はほとんど処分されていて、クローゼットや押入れの中身もすっからかんだ。計画的だろう。そんなに思い詰める前に、相談してくれればよかったのに!」

 父が亡き母に怒鳴る。

「何が原因かは分からないけれど、あの人間ができているお母さんのことだ。人生とか何か大きいことを考えて悩んでいたんだろう」

「そんな!そんなことのために、家族を置いていくなんて、お母さんはしないよ!何か訳があるんだよ!どこか、小学校のPTAでいじめられていたとか、近所で嫌がらせされていたとか、追い詰められるようなことがあったんじゃないの」

 梨乃は反論する。

「いつも笑顔で気付けなかったけど、嫌なことがあって悩んでたんだよ、きっと・・・」

 梨乃の目からポロポロと涙が落ちた。

「あのね」

 それまで黙っていた紗千が口を開く。やっぱりこちらも大粒の涙をこぼして泣いている。

「お父さんもお姉ちゃんも、毎日仕事やバイトで帰りが遅いでしょう。紗千が学校から帰ってきた時は、お母さん、よくスマホで誰かとやり取りしてたの」

「やりとり?みんなするじゃん」と梨乃は言う。

「うーん、今までお母さんて、家族とかママ友とかにたまにLINEで連絡するぐらいだったじゃん?スマホいつもどっかに置き忘れて家のことしてるくらい。でも最近、ずっとスマホいじってて、この前なんて紗千が帰ってきたことにも気づかないで、ずいぶん楽しそうでさ、何してるのって聞いたらすごい驚いて赤くなってスマホの画面隠しちゃったの。ゲームでもしてるのかなって思ってたんだけど、紗千がおやつ食べてる間にお母さんがスマホいじってるの見てたら、結構文字入力してるみたいだったんだよね」

 梨乃は父と顔を見合わせた。

「紗千ね、お母さんに仲良しの友達ができたんじゃないのかな、って思ったんだ。その人なら、何か知ってるんじゃないのかな」

 もちろん、莉乃や父の頭には、別の可能性も浮かんでいる。あの母に他に男がいたのかもしれない。唆されて家出して、殺されてしまった可能性だってある。

「お父さん、お母さんのスマホって残ってるの」

「ああ、手荷物は無事だったから、それですぐ身元が分かったんだ。今持ってくるよ」

 すぐに父は母のカバンをリビングダイニングへと持ってきた。父は母のカバンからスマホを取り出し、ダイニングテーブルの上に置いた。シンプルな黄色のケースに入った型の古いiPhone。

 電源ボタンを押すと、ロック画面が開いた。「ホームボタンを押してロックを解除」と書いてあるから押したのに、なお六桁のパスワードを要求される。

「指紋認証だったね」と梨乃は言う。母の指はもうない。

「パスワード、何か試してみる?」

「何回まで間違えても平気なんだっけ」と父が言う。

「えーとね」紗千がスマホで検索し「九回までだって。あ、でも四回間違えるとiPhoneが使えなくなるとも書いてある。よく分かんない」と答える。

「五回以上間違えると、一定期間スマホが使えなくなるって。四回まででロック解除したいね」と莉乃も検索して言う。

「誕生日とかかな」

「結婚記念日かもしれないぞ」

「まずはお母さんの誕生日から」

「待て、誕生日だけでも色々な組み合わせがあるぞ。まず西暦なのか和暦なのか。年月日の並び順になっているのか。アメリカ式、英国式の順番かもしれん。もしかしたら、逆順にしているかもしれん」

「もお、そんなこと言ってたらいつまで経っても試せないじゃん。まずは西暦下二桁で、お母さんの誕生日を試します。・・・お母さんが生まれたのって何年?」

 父もスマホで調べだす。

「昭和五十年だから・・・1975年か」

「751110」と梨乃は言いながら母のスマホに数字を入力する。

 ブーっとスマホが振動し、相変わらずパスワード入力画面が表示されている。違ったようだ。

「あと三回か」

「お母さんのことだから、きっと紗千の誕生日だよ!」

「何よそれ、私の誕生日かもしれないでしょ」

「いやいやお父さんの誕生日かもしれないぞ。いや、やっぱり結婚記念日だろう!」


 村山家のリビングダイニングには、ブーという振動音が何度か響き渡った。

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