第10話 歪みの形成

「あの名門中学で早々に学年一位だなんて、やっぱりこの子は特別だよ!」

「えぇ! 本当に鼻が高いわ! 来栖家自慢の息子よねぇ」


 夕食が終わり、団らんを楽しむごく普通の家庭の風景。

 父と母は成績表を眺めながら満面の笑みで声を上げていた。


「そんな、大袈裟だよ。まだ一年なんだし、ちゃんと授業を聞いてればこれくらい出来るって」

 成績を褒められたのにも関わらず、息子はまるで普通の事のように言ってのける。

 

「ま、この子ったら謙遜しちゃって。たまにはもっと喜んだらどう?」

「そうだぞ! お前は生まれた時から特別なんだから、もっと自信を持ちなさい!」

 両親は喜びが収まらない様子で息子を持ち上げ続けた。


 その時、小学校低学年ほどの少年が遠慮がちに声をかける。

「か、母さん……今日、算数のテストが返ってきたんだけど」

 少年の声に母はピタリと動きを止め、作り笑顔で微笑んだ。


「あら、どうだったの?」

「……63点」

 点数を聞いた瞬間、母の笑顔はスッと消え、父と顔を見合わせるようにため息をついた。

「はぁ……ほんと、お兄ちゃんと比べてなーんにも出来ないんだからぁ。ねぇお父さん?」

「何でもっと頑張れなかったんだ。怠けてたんじゃないのか? お兄ちゃんを見てみろ、もう十分賢いのに、毎日遅くまで努力してるんだぞ?」


 両親に責められ、少年は暗い顔で俯いていた。

「そんな風に言っちゃダメだよ。63点でも、きっと一生懸命頑張ったんだ。ねぇ? 

 兄にトンと背中を叩かれ、宰斗の体はビクッと跳ねる。


鳳雅ほうが……」

 母はうっとりするような顔で兄の名前を口にする。

「はぁ、宰斗。こんな立派なお兄さんがいるんだぞ? お前も見習って、もっと頑張りなさい」


 両親の大きな笑い声に、「はい」と呟く宰斗の声はかき消された。


 (いくら頑張ったって、兄さんのようにはなれない……兄さんなんて、いなくなればいいのに)


 皆が笑い合うリビングで、宰斗はひとり妬むように鳳雅を睨み、そんなことを本気で考えていた。


――――数年後


 今でも両親からは兄と比較され続け、宰斗は勉強に打ち込む日々を続けていた。

 そして良くも悪くも、その努力のお陰で成績は常に上位。文武両道の兄に倣い、運動部にも所属。

 中学に上がってからは身長も伸び、大人びた端正な顔立ち成長する。

 まるで兄を模倣するように、周囲にも気さくな優等生として接する宰斗は、次第に同級生から注目の的となっていく。

 

 中学3年生の夏。宰斗は放課後、クラスの女子生徒から校舎裏に呼び出されていた。


「さ、宰斗くん……私、宰斗くんの事が好きなの。その……私と、付き合ってください!」

 女子生徒は顔を赤らめ緊張した様子で、勢いのままに気持ちを打ち明けると深々と頭を下げた。


 宰斗はにっこりとした笑顔を崩すこと無く、白々しくも優しい声色で返事をする。 

「ありがとう、嬉しいよ。これからよろしくね、田中さん……あ、美帆ちゃん」

 名前を呼び微笑む宰斗に、美帆はガバッと顔を上げ、乱れた長い黒髪を恥ずかしそうにサッと直す。

「ほ、本当にいいの!?」

「うん。僕も美帆ちゃんの事好きだし」

 信じられないといった表情の美帆に、宰斗は笑顔のままさらりと言う。


「嘘みたい! ねぇ、途中まで一緒に帰っていい?」

「もちろん」

 そう言って宰斗はスッと手を差し出し、美帆はその手を握ると宰斗の肩にコツンと頭を預ける。

「ふふ、嬉しい」

 

「そうだね」


 (馬鹿な女……正直微塵も興味ない。けど、鳳雅もちょうどこれくらいの時に彼女いたし、作っとかないと俺が劣るみたいだしな。ま、見た目だけはギリ合格かな)


「ま、ちょうどいいか」

「ん? 何か言った?」

「ううん、別に」


 宰斗は密着する美帆の顎に手を添えると、軽く唇を合わせる。

「可愛いなって」

 美帆は目を丸くすると、唇を指で触り、熱のこもった瞳で宰斗を見つめるのだった。

 

 しかしその1ヶ月後、美帆は精神科に入院した。

 夏休み明けに学校に来なくなった美帆に、クラスメイトは様々な噂を口にする。


『美帆、どうしたんだろう。もう2週間も休みだけど』

『知らないの? なんか、精神病院に入院してるらしいよ』

『マジ!? 確か夏休み前に彼氏出来たって喜んでたじゃん!』

『そうそう。聞いた話だと、その彼氏のストーカーみたいになっちゃって、自傷行為とかも繰り返してたって』

『うわー、あの子そういうタイプだったんだ。ねね、その彼氏って誰なの?』

『私も気になってるんだけど、誰に聞いてもわかんないんだよねー』


 休み時間。教室で噂話が広まる中、宰斗は窓の外を眺めながら何食わぬ顔で器用にペンを回していた。


 (しつこかったなー、あいつ。家教えなくて正解だったわ。別れるなら死ぬー、なんて。そんな根性もねぇくせに)


 美帆の事を思い出しながら、宰斗は肩を震わせ、顔を伏せて堪えるように笑った。


 両親の愛情を兄〈鳳雅〉に独占され、幼少期から比較され続けた宰斗の心は歪み、特に愛情と言うものを軽蔑するようになっていた。

 それは、母の偏った愛情を見続けてきた結果なのかもしれない。

 いつしか宰斗は兄の後を追い、自分が鳳雅より優位に立つ事を目標に生きるようになった。それが唯一、自分の存在意義だと信じていた。 

 

 ◇


 高校2年になった頃、宰斗は移動教室で一人の男子生徒に出会う。

 隣の席に座った彼は、初対面の宰斗に穏やかな笑顔を向けた。2クラス合同の授業で、普段顔を合わせない生徒だった。

 宰斗はほんの一瞬怪訝な表情を浮かべるが、すぐに普段の笑顔を返す。


 (コイツ確か……いつも俺の下くらいにいるヤツか。顔がいいって、クラスの女が騒いでたっけな)

 

「よろしく、来栖宰斗です。君は?」

「よ、よろしく。僕は望月暁那……」

 暁那は少し緊張したように笑うと、じっと宰斗の顔を見つめる。


「……俺の顔、何か付いてる?」

「え? あ、ごめん……あのさ、何か、辛いことあった?」

「は?」

 初対面の男に突拍子の無いことを言われ、宰斗は思わず地声で反応してしまう。


「いや、勘違いならいいんだけど! ごめんね、初対面なのに変なこと言って」

 暁那は慌てて目を逸らし、照れたように笑って誤魔化した。


「ううん、大丈夫。ちょっとビックリしたけど。暁那くんて、優しいんだね」

 にっこりと微笑むと、暁那の顔はあっという間に真っ赤に染まる。

「そ、そんなこと、ないよ」


 (はは、そっか……コイツ)


 恥じらうようにシャツの首もとをパタパタと仰ぐ様子を眺め、宰斗は目を細めて愉しそうに笑った。


「ねぇ、よかったら連絡先交換しない? 俺、暁那くんと友達になりたいんだけど」

「……うん! もちろんいいよ」

 暁那は嬉しそうに顔を綻ばせ、慌ててポケットからスマホを取り出した。


 (ほら……結局どいつもこいつもチョロいんだよ。けど、男か……ま、見た目は合格だし、よく見りゃその辺の女よりマシかも)


 張り付いたような笑顔の裏で、宰斗は底知れない支配欲に駆られていた。


 宰斗の思惑に気付きもしていなかった暁那は、スマホの登録画面を見つめ、少し赤くなった顔で微笑んだ。

 

 (宰斗くん……生徒会の役員で、成績はいつも僕より上の優等生。さっきは少し暗い顔してたけど、話しやすくていい人だな)


「……友達か」

 暁那は無意識に噛み締めるように呟く。

「ふふ、これからよろしくね」

「え!? あ、ごめん……嬉しくて、つい」


 この時はまだ、優等生二人の何気ない会話のワンシーン。ただ微笑ましいだけの、同級生の姿そのものだった。


 ◇


 真っ暗な部屋の中。

 暁那はベッドの上で目を覚ます。

 目を擦ると、生ぬるい雫が手に触れた。


「どうして、あんな夢見たんだろ」


 目に溜まった涙を拭い、暗い天井を見上げる。

 いつもなら、彼が出てくる夢は決まって悪夢。

 しかし今日は違った。宰斗と知り合った、友達だった頃の初々しい記憶。


 あれから、宰斗とはよく一緒にいるようになった。昼はこっそり生徒会室でご飯を食べたり、時間を忘れるくらい話し込んだり。

 そんな幸せな記憶も、今となっては虚しく、胸が抉れるほどの悲しみが広がるだけだった。


 暁那は布団の中で体を丸め、両足を擦り合わせる。

 無性に人恋しくなりスマホを手に取ると、時刻は2時を回っていた。

 まばゆい明かりに目をしばたたかせ、暁那は海星のメッセージ画面を開いた。


「カイ……」


 (どうしても、カイの声が聞きたい……でもこんな、自分勝手に連絡なんて。寝てたら、迷惑だし……でも)


「ごめん……寝てたら、諦める」


 言い聞かせるように呟き、暁那は海星にチャットを送る。


『カイ、寝てる?』


 欲に負けて送ってしまった罪悪感に、暁那の体はさらに縮こまる。

 そして、1分も経たないうちにスマホが震え、海星からの返事は届いた。


『起きてる。アキも眠れないの?』


 メッセージを見た瞬間、暁那は考える間もなく反射的に通話画面を押す。


「……もしもし。へへ、こんばんわ。アキから連絡くれたの、初めてだね」

 ワンコールで通話に出た海星は、真夜中のせいか普段よりも落ち着いた声色だった。


「……カイ、ごめんね」

 海星の声を聞いて、暁那は振り絞るようにそう伝えた。


「アキ? 泣いてる?」

 心配そうに尋ねる海星に、暁那は電話越しにも関わらず静かに首を振る。

「……僕、海星の声が聞きたくなって……こんな、自分勝手に連絡して、迷惑かけてるから。情けなくて」

 子供のように辿々しく話す声に、海星はしばらく黙り、ゆっくりと深呼吸をする。


「あのさ、普通に嬉しいんだけど」

「え……う、嬉しいの?」

「うん。夜中に俺の声聞きたくなって電話するとか、喜ぶしかなくない?」

「そう、なんだ」

 嬉しいと言う海星だが、その声は少しムッとした様子で、まるで説教でもしているような口ぶりだった。

 そのせいか、暁那はいつの間にか体を起こして話を聞いていた。


「ねぇ、どうして急に、声が聞きたくなったの?」

 暁那は言葉に詰まり、しばらく沈黙する。

「……ごめん、言いたくなかったら大丈夫」

 そう言って一息ついた時、電話口から途切れ途切れに声が聞こえ始める。


「ゆ、夢……見たんだ」

「夢? 何か、怖いやつ?」

 暁那はまた黙って首を振る。

「……違う。いつもと違くて、その……壊れる前の、何気ない夢」


 抽象的な言い方に、海星はひとり首を捻った。

「そしたら、虚しくて……どうしようもなく、寂しくて。カイの声が、聞きたくなったんだ」

「アキ……」


 海星はドクドクと速くなる鼓動に胸を押さえ、スマホを持つ手に力を込める。

「……俺さ、アキに伝えたい事があるんだ」

「な、何?」

 いつになく真剣な声に、暁那はゴクリと息を飲む。


「ごめん、今は言えない……けどいつか、絶対言うから! その時は逃げないで、ちゃんと聞いてほしい」

「……うん。わかったよ」

 真剣な声は、僅かに不安を孕んだような声に変わる。

 海星の変化を電話越しに感じ、暁那は安心させるような声で返事をした。


「カイ……ありがとう。カイの声聞いたら、何かホッとした」

「へへ、よかった……あ、でも」

「ん?」

「声聞いたら、今度は俺が会いたくなっちゃった」


 照れたような海星の声に、暁那の頬は赤くなる。そして締め付けるような胸の痛みは、心地よささえ感じるようだった。


「……僕も、カイに会いたい」


 電話だからか、海星の熱がうつったせいなのか、その言葉は自然と暁那の口をついて出た。


 

 

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