第3話 嫌われギフテッド ーあなたに好かれたかったー


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あなたのことを思い出すたび、胸の奥がかすかに疼く。

どうして、あのときもう一歩だけあなたに近づけなかったんだろう。


好きだった。

好きだった、好きだった。

たぶん、その気持ちは一度も言葉にならないまま終わった。


ほんとは、もっと仲良くなりたかった。

ただ一緒に歩いたり、たわいのない話をしたり、

誰より近い場所で笑い合いたかった。


――あなたに好かれたかった。


けれど私は、

あなたの前に立つたび、なぜかうまく呼吸ができなくなった。

胸がざわついて、心臓が跳ねて、どうしていいかわからなくなる。

そんな自分を悟られたくなくて、

“平気なふり”ばかりうまくなっていった。


弱さを見せることが怖かった。

嫌われるのが、もっと怖かった。

気づいた頃には、もう取り返しがつかなくなっていた。


それでも。

もし来世なんてものがあるのなら、

今度は、あなたの隣にいられる関係がいい。


できれば……あなたの姉になりたい。

「大好き」って、素直に言ってくれるような、

そんな距離にいたい。


今さら遅いけれど、

忘れようなんて、これっぽっちも思っていない。


あなたに出会ったあの日のまま、

私はまだ、あの場所に立ち止まっている。




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今日のテーマは――嫌われギフテッド。


はい、拍手いらないよ。 だって“ギフテッド”って言っても、みんなが想像するようなキラキラした才能じゃない。


私の場合はもっとこう…… 人が勝手に距離を置きたくなる感じのやつ。


勉強はできない。 要領も悪い。 でも、妙に目ざといし、空気の棘みたいなものがわかりすぎる。


そのせいで、気づけばいつも嫌われ側。 「なんか怖いんだよね、一ノ瀬って」 ……知ってる。私だって知らない間に怖くなってたんだから。


できれば静かに暮らしたい。 誰も傷つけず、誰にも触れられず、 ただ呼吸だけしていられたら、それで充分のはず。


――本当はね。


でも世の中、私の都合なんて知らない顔で回っていく。


たとえば、あの日みたいに。


厄介な先輩に絡まれて、 私の中の“何か”がひやりと動いて、 相手のほうが勝手に怯えて離れていったり。


ああいう瞬間があると、 「やっぱり私は普通じゃないんだな」って、どうしても思う。


そして――


そんな私を、なぜか真っ直ぐ見る子もいる。


黒髪で、落ち着いていて、 誰にでも優しいのにどこか影のある、 あの子。 篠原さん。


このあと私の人生がややこしくなるのは、 だいたいこの人のせい。


でも当時の私は、まだ知らない。 “嫌われギフテッド”なんて言葉じゃ足りないほど、 私の世界が変わり始めていることを。





第1章 嫌われギフテッド


人は「他人は自分の鏡だ」と言うけれど、私はそう思わない。

だって、私の中にあるものは他人には映らないし、

他人が私に向ける感情も、私の意図とはまったく関係がない。


「……おい一ノ瀬、最近お前、態度適当じゃねぇ?」


朝の昇降口で、クラスの先輩に詰められた。

私は返事をしない。ただ黙って、相手の目を真っ直ぐ見る。


胸の奥で静かに呟く。


――負けない。

  嫌われても構わない。

  強くあればいい。


それだけで、心の中に冷たい静けさが広がる。

怒りや恐怖が、あっという間に凪いでいく。

この静けさがある限り、私は折れない。


先輩の眉がひくりと動き、声がわずかに震えた。


「……お、おう。まぁ、気をつけとけよ」


やがて先輩は逃げるように視線をそらし、歩き去っていく。

私は小さく息を吐いた。

怖かったのは私なのに、どうしてか相手のほうが怯んでしまう。


――たぶん、私には“普通とは違う何か”がある。


でもその正体を語るつもりは、今はない。

言葉にしてしまえば、何かが壊れそうだから。


「一ノ瀬ちゃん、大丈夫?」


駆け寄ってきたのは、明るい同級生の子。

いつも優しくて、誰とでも仲良くできるような子だ。


私は癖で軽口を叩いた。

それだけで彼女は安心したように笑う。

こんなふうに接してくれる子がいると、少しだけ救われる。


その横で、静かに立っている影がある。


黒い髪。

細い指先。

遠くの水面みたいな、揺れる瞳。

篠原さん。


彼女は何か言いたげに見つめてくるけれど、結局言葉にならない。

真面目で、誠実で、余計なことを言わない子。

そんな彼女が、なぜか今日は少しだけ近く感じた。


視線が合った瞬間、

篠原さんのまつげが震えた。

胸のどこかが、ちいさく跳ねる。


私は、ほんの一瞬だけ笑ってしまった。


(――この人は、まだ何も知らない。

  私のことも、自分のことも。)


それがいいことなのか、

悪いことなのか、

この時の私はまだ分からなかった。


ただひとつ分かっていたのは――

この静かな朝が、やがて大きく崩れていくということ。


そしてその崩壊の中心に、彼女がいるということだけだった。



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第2章 「優等生なんて、私には関係ないと思っていたのに」


期末テストの答案が返ってきた。


惨敗。惨敗というか……もう清々しいレベルの壊滅。


机に置かれた答案用紙には、真っ赤な0点が並んでいた。 私は手を止めたまま固まる。


「え……0点って、ほんとにあるんだ……?」


隣の席の同級生が、半笑いでひそひそ言う。 耳ざわりな声。


――黙れ。こっちは生きてるだけで精一杯なんだよ。


心の中で毒づくけど、それを表に出すほど私は子どもじゃない。 そのかわり、胸の奥で冷たいものをゆっくり膨らませる。


怒りを飲み込むたび、心は逆に落ち着いた。


教室のあちこちで笑い声が上がる。


「また赤点だって」「落第じゃん」「勉強しなよ〜」


はいはい。好きに言えよ。 どうせ私のことなんか、誰も本気で見てなんかいない。


答案を雑に鞄に突っ込もうとした、そのとき。


「……良かったら、勉強、教えようか?」


静かな声がした。


その声は、私の世界の喧騒を切り裂くみたいに澄んでいた。


振り向く。


そこに立っていたのは――


篠原さん。


黒髪を後ろで軽く結び、白い肌が光を持っているみたいな子。 いつも整ったノートを使い、先生の話を真剣に聞く姿が印象的で、 クラスでは“近寄りがたい優等生”と噂されている。


けれど、面と向かうと意外にも柔らかい雰囲気だった。


「……え、私に? だって、迷惑じゃ……」


「迷惑じゃないよ。  教えると、自分の理解も深まるの。むしろ、ありがたいかも」


篠原さんは、控えめな笑みを浮かべた。


その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。


この人は、他のみんなみたいに私を値踏みしない。 “見下す目”が、ない。


それだけで十分だった。


放課後、同じ机を挟んで


二人きりの教室は静かで、勉強嫌いの私が珍しく緊張していた。


「ここ、基礎から一緒にやってみようか」


篠原さんは私のノートを見ても、一度も呆れた顔をしなかった。 間違えても、同じところで何度つまずいても、 そのたびに少し考えて、わかる言葉を探して説明してくれる。


「……すごいよ、一ノ瀬ちゃん。今の、自力で解けたよ」


ぱっと目を明るくして、そんなことを言う。


不意に胸が熱くなる。


“すごいね” そんな言葉を向けられたの、いつぶりだろう。


私は問題が解けたことより、 篠原さんが嬉しそうにしていることが嬉しかった。


それから、私は家に帰るとすぐ机に向かった。 眠くても、頭が痛くても、不思議と手は止まらなかった。


――この時間を、なくしたくない。


理由なんてそれだけだった。


再追試・結果発表


「……全部、合格した」


紙を見つめたまま、私は思わず息を飲んだ。 信じられなくて、指先が震える。


これは、奇跡でも何でもない。 私が頑張った――いや、頑張れたのは。


篠原さんが居たからだ。


気づいたら走っていた。


「篠原さん! 全部合格したよ!  本当に、あなたのおかげ!」


大声を出した瞬間、 篠原さんは「え……」と目を瞬かせた。


でもすぐに、柔らかく微笑んだ。


「よかった……一ノ瀬ちゃん、本当に頑張ったからね」


「私ね……篠原さんが教えてくれるのが嬉しくて…。  だから頑張れたんだ」


言ったあと、恥ずかしさで顔が熱くなる。


その時、篠原さんの表情がほんの一瞬ゆるむ。 驚きと、喜びと、何か言葉にならない色。


「……そう言ってもらえると、私、すごく嬉しいよ」


――あぁ。この人、優しい光を持ってる。


本気でそう思った。


けれど私はまだ知らない。


篠原さんの中で、この日生まれた“何か”が やがて彼女自身を追い詰めていくことを。


そして、 私の中の“嫌われギフテッド”が、


嬉しさと同時に―― 静かに、二人の関係へ亀裂を入れ始めていたことを



第3章 だけど信じてる


再追試に合格したあと、私は胸の奥がずっと明るかった。 あの机を並べて勉強した日々が、終わりじゃなくて—— これからもっと篠原さんと仲良くなる始まりなんだと、そう思っていた。


でも現実は、あっけなく元の距離に戻ってしまった。


教室で挨拶を交わしても、あの頃みたいに自然に言葉は続かない。 勉強という共通の目的がなくなるだけで、 こんなにも会話の糸をつかむのが難しくなるなんて思わなかった。


“このままじゃ、また離れていっちゃう……”


そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。


だけど——そこで終わりではなかった。 あの日々を思い返したとき、私はひとつの事実に気づいた。


私は、あれほど大嫌いだった勉強を、篠原さんのために頑張れた。 それが、どうしようもなく嬉しかった。


独りでいるのが当たり前で、 努力なんて長続きしなかった私が、 誰かの言葉や表情だけで踏ん張れるなんて—— そんなこと、今まで一度もなかった。


“すごい……私、できたんだ。  篠原さんがいたから、できたんだ。”


気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。


まるで世界がひとつ明るく見えるような、 そんな小さな奇跡を抱きしめた気分だった。


だから今度は、勉強じゃなくて“関係”を頑張ろうと思えた。


篠原さんと、ちゃんと友達になりたい。 そのために話題を探したり、話しかける勇気を出したり—— そういう努力なら、私にもきっとできる。


だって、それをやりたいと思わせてくれたのは篠原さんなんだから。


私にこんなに努力をさせるなんて、本当にすごい人だ。 誰にも踏み込ませなかった私の世界に、 自然と色を塗ってくれた。


この時の私は本当に前向きで、 嬉しくて、未来を信じていた。


——努力はちゃんと報われる。 ——篠原さんとなら、きっと仲良くなれる。


そう思って疑わなかった。




第4章 すれ違いのはじまり


朝、学校に到着した私は、真っ先に篠原さんの姿を探した。 胸の奥が、期待と緊張でそわそわと鳴っている。


ちょうど廊下ですれ違うところだった。


「篠原さん、おはよう!」


声が弾んだのは、自分でも分かるくらい。 だって、今日こそは仲良くなる一歩を踏み出せる気がしていたから。


「おはよう、一ノ瀬ちゃん」


篠原さんは、いつもの柔らかな笑顔で返してくれた。 その一瞬で私は救われた気持ちになったのに—— すれ違っても、その背中は振り返らずに遠ざかっていく。


私はまだ笑顔のまま、通り過ぎた後ろ姿を見つめていた。


“あ、天気の話でもよかったのに……。”


心の中で呟く。 私の頭の中には、いつもあとになって浮かぶ“言えたはずの言葉”ばかりが積もっていく。


***


休み時間。 今度こそ、と私は机に手を握りしめてタイミングを待った。 篠原さんが一人になった、その瞬間を逃さず声をかける。


「篠原さん、昨日ね、感動する出来事があったんだ!」


昨日の後輩とのやりとりを、私は嬉しさのままに話した。 本当に胸がいっぱいで、誰かに共有したかった。 だからこそ——篠原さんに聞いてほしかった。


けれど、話し終えたときの反応は、


「それは嬉しいよね」


困ったような微笑みだった。 優しさはあるのに、どこか他人事みたいに遠い。


私は笑って、「次の授業も頑張ろう、篠原さん」と言った。


「え、うん」


返ってきた声は柔らかいけれど、 私が期待していた“熱量の返し”とは違っていた。


“……私、何を求めてたんだろう。”


胸の奥に小さく沈むものがあった。


***


放課後、偶然教室に二人きりになった。 私は心の中で深く息を吸う。


「今日は帰りが遅いね、篠原さん」


篠原さんはすぐ理由を話してくれた。 生徒会が長引いたこと。 部活動の予算の板挟みになっていたこと。


相手を安心させるように、丁寧に言葉を選んで。


——なのに。


「……それは大変だったね」


私の返事は、薄っぺらい紙みたいだった。 生徒会のことをよく知らない私は、それ以上の言葉が出てこなかった。


沈黙が一拍落ちたあと、


「それじゃあ、一ノ瀬ちゃん、また明日」


篠原さんはいつものように優しく微笑んで、帰っていった。


教室の扉が閉まる音が、やけに遠かった。


***


——篠原さんは、私にほろ苦い経験もさせてくれる。


それでも、胸の奥はまだ温かかった。 やっぱり明日も話しかけたいと思った。


たとえうまくいかなくても、 たとえ沈黙が怖くても。


“きっと何か伝わるはずだ。”


私はそれを信じたかった。



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◆第5章 気づかないふりの終わり


今日も今日とて、私は篠原さんに話しかけに行った。

胸の奥は、いつものように小さく浮いている。

昨日より少しだけ近づけるかもしれない——そんな期待を抱えて。


「篠原さん! この前ね、パン屋でチュロス買ったんだ。すっごく美味しくて!」


この話題は“当たり”だった。

篠原さんの目がふっと明るくなる。


「え、どこのパン屋?」


「学校の近く! あそこのピザとかスコーンとかマフィンがさ、

パンより美味しいんだよ、もうウケるくらい!」


自分でも、浮かれているのが分かった。

やっと“興味のツボ”が掴めた気がして嬉しかった。


——篠原さん、美味しいものの話が好きなんだ。


もっと知りたい。

もっと近づける話題は何だろう。


そんなことを考えていたとき。


背後から、わざと聞こえるような声が落ちてきた。


「篠原ちゃん、可哀想。変なのに絡まれちゃって」


「一ノ瀬、必死すぎじゃね? キモ」


一瞬、時間が止まった。


普段なら、何も感じないふりをして終わっていた。

私に向けられた悪口なんて、慣れていた。

“あぁ、またか”と冷めた目で流してしまえばよかった。


でも。


——篠原さんが隣にいた。


その嘲笑が、私だけじゃなく

篠原さんも“同じ空気に巻き込んでしまった”気がして。


胸がひゅっと縮む。


“私のせいで、嫌なものを聞かせてしまった。”


“私がここにいるから、こんな目に遭わせてしまった。”


“どうして私は……いつもこうなんだろう。”


私が平気で悪口を言われる人間だから。

だから篠原さんまで巻き込んでしまった。

そう思った途端、いたたまれなくなった。


「……用事、あったんだ。じゃあね、篠原さん」


笑顔を作って、逃げるようにその場を離れた。


胸の奥がじわじわと熱く、そして苦しくなる。


“私が隣にいるから、篠原さんが変に思われる。”


“あんな場所に、もう立っちゃいけない。”


そんな考えが頭から離れなかった。


***


次の日。

私はいつも通りの笑顔で挨拶をした。


「おはよう!」


「……おはよう」


そっけない。

目が合わない。


——やっぱり、あのとき嫌な思いをさせたんだ。


心がざわつく。

でも“気のせいかもしれない”と自分に言い聞かせた。


休み時間になれば、いつものように話せるかもしれない。

そう思っていたのに。


篠原さんは友人たちと笑っていた。

あの柔らかな笑顔で。

私と話したときの固い表情がまるで嘘みたいに。


私は遠くから見ているしかなかった。


***


次の日も、その次の日も。

私は変わらず挨拶を続けた。


「おはよう、篠原さん!」


返ってくるのは、温度のない声。


それは、偶然じゃなくて——

ちゃんと置かれた“距離”なんだと分かってしまう。


そして、ある朝。

私はとうとう理解してしまった。


——ああ、嫌われたんだ。


期待しないふりも、

気づかないふりも、

もうできなかった。


胸の奥が静かに沈んでいく。

波紋も立たないほど深いところまで。


“嫌われる理由なんて、いくらでもある。”


“私のせいで篠原さんが変に見られた。”


“私みたいなのと一緒にいたら、迷惑だよね。”


そう自分で結論づけた瞬間、

世界の音が一つ消えた気がした。



‐‐‐



第6章 境界線



 朝の昇降口は、いつもより少しだけ涼しかった。

 靴を履き替えて顔を上げたとき、篠原さんが廊下を歩く姿が視界に入った。


「……おはよう」


 ほんの半歩、タイミングが重なった。

 けれど返ってきた声は今日も遅くて、温度のないものだった。


「……おはよう、一ノ瀬さん」


 目は合わない。

 はじめから線を引かれていたかのような距離感。

 昨日と同じ。おとといとも同じ。


 胸の奥が、ひやり、と冷えた。


 ——ああ、やっぱり。


 私は嫌われてしまったのだ、と理解した。

 勉強を教えてくれたのも、真面目な人の義務感。

 ノートを貸してくれたのも、断れない性格だっただけ。


そう思った瞬間、胸の奥がきゅっとした。

だって——どれだけ否定しようとしても、

あの子の言葉は妙に私の心に馴染んでしまうから。


 最近のそっけない態度は、その“本音”が少し漏れただけ。

心の中で、小さな沈黙が落ちた。

まるで、自分で自分に言い聞かせてるみたいに。


 そう思った瞬間、不思議なほど心は静かになった。


 嫌われたら距離を置く。

 それは子どもの頃から私が身につけてきた“安全策”だった。

 無理にそばに居続けて、もっと嫌われるほうが傷が深い。


 深く息を吸って、並んで歩く篠原さんへ向き直る。


「篠原さん、今まで……ありがとね」


 それは、礼儀でもあり、境界線を引くための言葉でもあった。


「もう私、気を遣わせたりしないから。大丈夫」


 言い終えた瞬間、篠原さんの足がぴたりと止まる。


「……え?」


 驚きと戸惑いのにじんだ小さな声。

 でも私は、それ以上言葉を続けられなかった。


 ——期待してしまいそうだったから。


 “違うよ”なんて言われたら、それが勘違いだとしても心が揺れてしまう。


 軽く会釈して、教室へ歩き始める。

 足は妙に軽いのに、胸だけがゆっくり痛んでいく。


 ——これでいい。

 嫌われてまで近くにいたいなんて、そんな図々しい真似はできない。


 そう唱え続けたけれど、背中に視線が刺さるような気がした。


 授業中にも、休み時間にも。

 ふとした瞬間に視線が触れたような錯覚が落ちる。


 けれど振り返らない。

 見てしまえば、決意がほどけてしまいそうだから。


***


 帰り道、校門を出たところで胸がきゅっと縮む。


(……もう、篠原さんと話すこと、ないのかな)


 考えたくないはずの後悔が、夜になるほど濃く染みてくる。


 明日にはきっと、ただの同級生に戻る。

 それを自分で選んだくせに、息が苦しくなるほど嫌だった。


 ——私は、本当はどうしたかったんだろう。


 答えが見えてしまうのが怖くて、逃げた。

 けれどもう、気づいている。


 “失いかけた途端、その人の存在がどれほど大きかったか。”


 そこだけは、ごまかしようがなかった。



‐‐‐



第7章 矛盾の始まり



 距離を置くと決めたのは、確かに私のほうだった。この1週間、篠原さんに近づくことをやめた。

 あの日、「今までありがとう」と言って、線を引いた。

 あれで終わったはずだった。

 普通の同級生に戻る。

 そう思い込もうとしていた。


 ——なのに。


 翌朝。

 昇降口で靴を履き替えていた私の横に、ふわりと影が落ちた。


「……おはよう、一ノ瀬さん」


 声は柔らかい。

 でも表情は、いつも通り静かで、感情の色が読み取れない。

 そのまま挨拶だけ置いて、去っていく。


 私はただ、その背中を目で追うしかなかった。

 胸の奥で、ざわ……っと波紋が広がる。


(……どうして?)


 あんなに線を引いたのに。

 嫌われたって、自分で悟ったのに。


 忘れようとした。

 距離を戻さないようにした。


 けれど、次の日も。

 その次の日も。

 さらにその次の日も。


「……おはよう、一ノ瀬さん」

「……昨日の、ノート……ありがとう」

「……新しいキーホルダー……かわいいね」


 挨拶は短い。

 でも、距離は——近い。

 気づけば、私の机の端にずれていたノートを、無言でそっと揃えてくれた日もあった。

 昼休みにペンを落としたときも、誰より先に拾おうとして、指先が一瞬だけ私の指と触れそうになって——

 その瞬間だけ、彼は小さく息を呑んで、固まった。


 好意を隠している人の反応。

 でも、それを自覚していない人の不器用さ。


 行動の端々が、言葉より先に気持ちを語ってしまっている。


 なのに、話しかけた瞬間だけふっと肩が強張る。

 緊張で、感情を外に出せない。

 けれど、毎朝の挨拶という“ルーティン”だけは絶対に壊せないらしい。


 嫌われているかもしれないなら、なおさら挨拶すべきだ——と。

 そんなふうに思ってしまうタイプなのだと、なんとなく伝わってしまう。


 矛盾だらけの態度。


 なのに、来る。

 必ず来る。

 目を逸らしているくせに、逸らした視線の奥で私を探している。


 ……わからない。


 本当にわからなくなってきた。


 嫌われているなら避けるはず。

好かれているなら笑うはず。


 そのどちらでもない態度は、私の中の秩序を崩す。


それでも、私はーー

期待することだけは、もうしたくない。



 だって私は、本来こんなふうに誰かに振り回されるタイプじゃない。

 距離は自分で決める。

 嫌われたと思えば離れる。

 傷つく前に引く。

 ずっとそうしてきた。


 なのに今、篠原は——

 そのどれにも当てはまらない。


 だから怖い。

 理解できないものは、私を不安にする。


私は人の好意を“自分向け”だと思える人間じゃないから。


(……なんで来るの?

 なんでそんな声で名前を呼ぶの?

 なんで、私のちょっとした変化にいちいち気づくの?)


 授業なんて頭に入らない。

 黒板の文字が上滑りしていく。

 ノートに書く手だけが勝手に動いて、心はどこにもいなかった。


 こんな状態になるのは、生まれて初めてだった。


 放課後、ついに我慢の糸が切れた。

 廊下の向こうを歩いていく小さな背中。

 その背を、気づけば声で追いかけていた。


「ねぇ、篠原さん——」


 篠原は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 相変わらず、感情の読めない顔。

 ただ、瞳の縁がほんの少し、揺れた。


「なんで、毎日挨拶してくるの?」


 沈黙が落ちる。

 廊下の空気がひゅっと細くなった気がした。


 そして——


「……だめ、だった?」


 その声だけが、震えていた。


 その瞬間、胸の奥で何かが崩れるように揺れた。


(……だめだったのは、私のほう……?)


 そんな考えが生まれた自分に、息が止まるほど驚いた。

 線を引いたはずなのに。

 終わらせたはずなのに。


 ——始まってしまった。


 理解できない矛盾に、私が振り回されてしまう日々が。




第8章 あなたを支えたい


篠原さんの様子が、最近おかしい。 いや、正しくは——“挙動不審”だ。


話しかけると肩がびくっと跳ねるし、 挨拶を返すと、明らかに動揺して目をそらす。 歩くときだって、どこか落ち着かず、指先がずっと震えている。


(……ストレス、かな? なんか悩んでるのかも)


だから、私は決めた。 距離なんて置いていられない。 大変そうなら優しくしてあげなくちゃ。


線を引いたのは私だけど、 困ってる子を放っておけるほど、私は冷たい人じゃない。


次の日の朝。 私はゆっくりと篠原さんに近づき、 なるべく柔らかく声をかけた。


「……おはよう、篠原さん」


すると——


「ぉ、おはよーーーっっ!!?」


叫び声みたいに裏返った声が、廊下に響いた。 クラス中がこっちを向き、 篠原さんは一瞬で顔を真っ赤にした。


私は“あ、逆にプレッシャーかけちゃったんだ”とすぐに悟った。


(やっぱり疲れてるんだ…… 声まで震えてる……かわいそうに……)


そっと声を落とした。


「ご、ごめん……驚かせた?」


でも、返ってきたのは違った。


篠原さんは、信じられないものを見るような目で 私を真っすぐ睨みつけていた。


(…………え? なんで怒ってるの……?)


篠原さんは唇を噛みしめ、 目を逸らすでもなく、怒りを隠しもせず、 ただ、私だけを睨んでいた。


恨み……? 怒り……? 悔しさ……?


どれでもなく、全部に見えた。


そして、耐えられないというように 篠原さんは駆け足でその場を離れていった。


残された私は、固まったまま動けなかった。


(……私、なにかした? どうして……どうして睨むの?)


胸が痛くて、理由がわからなくて、 息が少しだけ苦しかった。


でも、ひとつだけ確信した。


——篠原さん、やっぱり悩んでるんだ。 こんな状態になるなんて、よほど辛いんだ。


だから私は、決めた。


怒られようと避けられようと、 優しくしてあげなきゃいけない。


逆に、今こそ寄り添わなきゃいけないんだ。



第8章 あなたを支えたい(篠原視点)


一ノ瀬さんに「今までありがとう」と言われてから、私はどうすればいいかわからなくなっていた。


あれ以上近づけば、また勘違いしてしまう。 また勝手に期待して、勝手に傷つく。 それなら、最初から“ただの同級生”に戻ったほうがいい。


——そう思っていた。


でも翌朝。 私は、胸の奥がざわつくのを止められなかった。


だって、一ノ瀬さんが——


何事もなかったみたいに、私へ歩いてきた。


目の前に立つ姿はいつも通り。 表情は相変わらず読めない、静かで淡々とした顔。 だけど、その声だけが妙に柔らかかった。


「お、おはよう……篠原さん」


心臓が跳ねた。 いや、跳ねたどころじゃない。 胸の内側から急に手を掴まれたみたいに、息が止まった。


なんで優しくするの。 線を引いたのは一ノ瀬ちゃんだよ。 あなたは私のことが苦手で、避けてたはずなのに。


……なのに。


どうして、そんな顔で私を見るの?


……一ノ瀬ちゃんは、誰にでも優しい子じゃなかった。

むしろ、合わない相手には目を合わせないことさえあるのに。


なのに、どうして私には——あんなに真っ直ぐだったんだろう。


わからない。 わからない。 わからない。


私の頭の中はそれしかなかった。


そして、 どう返事したらいいかわからなかった私は——


「ぉおはよっっ!!」


……叫んだ。


声が裏返り、喉が裂けそうなほど変な声だった。 教室中の視線が一斉に集まる。


死ぬほど恥ずかしかった。


頬が一気に熱くなり、呼吸がうまくできない。 私は机につかまりながら、どうにか平静を装った。


そんな私を、一ノ瀬さんは 怖がらせないように 壊れ物に触るみたいに柔らかく見てきた。


その目の優しさが—— 逆に、私の心をかき乱した。


“ああ、これはきっと…… 優しいフリをしてるだけだ。 同情だ。 きっと、私が何か悩んでると思われたんだ。”


だって、私はあなたに線を引かれたと思った。 だから遠ざかったのに——


あなたは平気な顔で近づいてくる。


どうして。 どうして。 私の知らないところで、勝手に優しくしないで。


私の胸の中で、恥ずかしさと怒りと混乱がごちゃ混ぜになった。


そして私は——


一ノ瀬さんを睨んだ。


睨むつもりなんてなかった。 むしろ、本当は泣きそうだった。


けれど顔が熱くて、羞恥で震えて、 どうしようもなくて、 その全部が“怒りに見える表情”になってしまった。


一ノ瀬さんは驚いた顔をして、少しだけ目を伏せた。 その仕草が、また胸を刺した。


——こんなつもりじゃなかったのに。


わかってほしい。 私はあなたを避けたいんじゃない。 でも、好きで、怖くて、恥ずかしくて——どうしたらいいのかわからない。


私はただ立ちつくすことしかできなかった。




第9章 避ける


 一ノ瀬は鈍感ではない。

 むしろ——“人の感情には鋭いタイプ”だ。


 だから、篠原の目に“嫌悪の色が一度もなかった”ことには、とっくに気づいていた。


 それでも、あの日の“叫び挨拶事件”のあと。

 翌日から、篠原の態度は目に見えて変わった。


 廊下で一ノ瀬が近づく足音がすると、

 ノールックのまま進行方向を変える。


(……足音だけでわかるんだ)


 驚きと、少しだけ胸が温かくなる感覚。

 けれど、その直後に続く“避けられる痛み”が、上書きした。


 通学路でも同じだった。


 一ノ瀬を見つけた瞬間、

 篠原は普段より大きめの歩幅で距離を取る。


 その速度は、正直言えば——

 一ノ瀬が本気で追いつこうと思えば余裕だった。


 でも追いつかなかった。

 “それをしたら、もっと困らせる”とわかっていたから。


 声をかけた日のことは、もっと残酷だった。


「篠原さん、あの——」


「……あ、ごめん。急いでるから」


「いや……別に。なんでもない」


 目を合わせない。

 顔も向けない。

 声まで硬い。


 でも——“嫌う人の目”だけは、絶対にしなかった。


 むしろ苦しそうで、怯えるようで、

 隠しごとをする子どもの目だった。


 一ノ瀬は気づいていた。


(……あれは、嫌ってる目じゃなかった)


(むしろ……“見られたくない何か”がある目だ)


 気づいた。

 気づいてしまった。


 けれど理由はわからない。


 当の篠原は……


避ける。

避ける。

避ける。


 避けているくせに、

 避ければ避けるほど、一ノ瀬のほうに心が向いてしまう。


 そんな自分が恥ずかしくて。

 情けなくて。

 その羞恥がまた避ける行動を生み、

 ループになっていった。


 ——一ノ瀬は察した。


 避けられるたび、

「篠原さんに負担をかけている」

と理解してしまった。


 だからある日を境に、

 一ノ瀬は篠原へ“完全に近づかなくなった”。


 触れなければ、傷つけない。

 重くならなければ、逃げられない。


 その判断は、彼女なりの優しさだった。



第10章 LINE


 その夜、篠原のスマホが震えた。


 一ノ瀬:

「今日、寒かったね。風邪ひいてない?」


 本当にどうでもいい話題。

 気遣いも最小限。

 “踏み込みを避けている”文面だった。


 でもすぐにわかった。


——ああ、私を追わないようにしてくれてる。


 翌日も。

 その次の日も。

 1日1通だけ、欠かさず届いた。


「今日、猫が校庭歩いてたよ。かわいかった」

「今、紅茶飲んでるんだ。篠原さんは何派?」

「空き時間に読書してた。平和だね」


 どれも短い。

 どれも軽い。


 なのに、毎晩胸に残った。


 “待ってるよ”とは言わないのに、

 まるで静かに手を差し出されているみたいだった。


 ある夜、指が勝手に動いた。


篠原:

「……ミルクティー」


 たった5文字。

 それだけの返信。


 送信した瞬間、心臓が跳ねた。


 一ノ瀬:

「返信してくれて嬉しい。ありがとう。」

「無理しなくて大丈夫だからね。」


 その“ありがとう”が刺さった。

 優しすぎて、痛いほどだった。


 それから毎日、必要最低限の言葉だけ交わした。


「今日、本借りた」

「寒いね」

「歩き疲れた」


 素っ気ないのに——

 一ノ瀬は必ず丁寧に返してくれた。


 会いたいとも言わない。

 無理に話そうともしない。


 ただ、そっと寄り添って待つだけ。


 その距離感が、少しずつ心を軽くした。


 そして迎えた、ある朝。


 廊下の角で、偶然鉢合わせた。


 一ノ瀬が、小さく微笑んで言った。


「おはよう」


 たったそれだけで——

 胸がぎゅっ、と縮んだ。

 呼吸が浅くなる。


(……目の前だと、無理)


 わかってしまう。

 LINEでは話せるのに、

 本物の一ノ瀬を見ると、心臓が勝手に暴れだす。


 一ノ瀬は、それにもすぐ気づいた。


 優しい目だった。

 “追わないでおくね”と伝えてくるような目。


 篠原の弱さごと、受け止めてくれる目だった。




第12章 卒業の日(篠原視点)



あれから、月日は穏やかなに流れて

学校を卒業する日を迎えた。

明日からは一ノ瀬ちゃんの姿を

見ることがもうできなくなる。



私は人混みから少し離れた階段で、一ノ瀬ちゃんの背中を見つけた。 近づきたいと思った。 でも、踏み込む勇気はなかった。


——また、あんなふうに泣いてしまう。


そう思ったら、足が動かなかった。


その代わりに、LINEで送った。


『元気でいてね』


ほんとは「また会おう」って書きたかった。 でも、あのときの私はそこまで強くなれなかった。


一ノ瀬ちゃんの返信は短くて、いつもの調子だった。


『うん、篠原さんも』


そのあと私たちは、 半年間、一度も会わなかった。


でも、LINEは続いていた。 途切れそうになると、一ノ瀬ちゃんが必ず一言くれた。


「今日、空綺麗だったよ」


そんな何気ない言葉に、 知らないうちに支えられていた。


そしてある日、一ノ瀬ちゃんが言った。


『今度の日曜日、長崎に行くんだ 篠原さんが好きだって言ってた教会、行ってみたくて』


胸が跳ねた。


その瞬間、 私のほうから言っていた。


『私も行く。 ……行きたい』


行かなきゃいけない気がした。 逃げ続けた半年の答えを、 ちゃんと自分の足で確かめたかった。




最終章 再生の鐘(篠原視点)


半年ぶりに降り立った長崎の空は、思っていたより明るかった。 胸の奥がぎゅっと痛む。 今日ここに来たら、また心が乱れるかもしれない。 息が苦しくなるかもしれない。 泣くかもしれない。


——それでも、来たかった。


大浦天主堂の白い壁は、朝の光を受けて青みを帯びていた。 観光客の少ない静かな日曜。 石畳を踏む音さえ澄んで聞こえる。


私は深呼吸をして、胸を押さえた。 落ち着け。逃げないって決めたんだ。


そのとき、背後から名前が呼ばれた。


「……篠原さん」


振り返る。 そこに、一ノ瀬ちゃんが立っていた。


——ああ。まただ。 やっぱり、まだ全然だめだ。


胸が痛くて、呼吸が浅くなる。 涙が出そうになるのを必死に堪えた。


けれど一ノ瀬ちゃんは、すぐには近づかない。 私の“距離”を尊重するように、二歩手前で止まった。


「……来てくれて、本当にありがとう」


その声があまりにも優しくて、涙が堰を切った。


「……ごめん……」 声が震える。 「やっぱり……私、君とは無理なの……。 また迷惑かける……また泣くし……また怖くなる…… こんなの、絶対……迷惑でしかない……」


でも一ノ瀬ちゃんは、困った顔をしなかった。


「ねえ、篠原さん。言ってなかったことがあるんだ」


海風に髪を揺らしながら、静かに言う。


「私ってさ……嫌だと思った人には、とことん嫌われるの。 理由もなく、初対面でも。 でもね——」


私の目を見つめながら言葉を続けた。


一ノ瀬は、少し息を吐いて、遠くの鐘の音に意識を預けるように言った。


「私ね、小さい頃からよく分からないことがあるんだ」


その前置きに、胸がざわつく。

ああ、これが“一ノ瀬がずっと言えなかった何か”なんだって。


「誰かの気配に触れた瞬間……その人が私をどう思うか、だいたい分かっちゃうの。

近づいてくるか、離れていくか……手を伸ばす前に、もう見えてしまうの」


言葉が静かに落ちていく。


「だからね、嫌だなって思われたら……あっという間に遠ざかるの。

まるで、決められたみたいに。

でも……逆もあってさ」


一ノ瀬は、照れたように笑った。


「好きになった人の気持ちだけは……どうしてか、ちゃんと届くんだよ」


説明じゃない。

“持って生まれた癖”みたいな言い方だった。

それが逆に、胸にすっと入ってくる。


気づけば、私の張り詰めていたなにかが消えた。


光の中で、一ノ瀬ちゃんは小さく笑った。


「でも、どう見ても……篠原さんの目は“嫌い”じゃなかった。 むしろ逆で…… “あれ?好きなのかな?”って思ってた」


顔から火が出そうになった。 涙がまた溢れる。


「言ってよ……もっと早く…… そんなの……反則だよ……」


「だって、“特別に好き”なんて言ったら、 篠原さん、もっと泣くと思って……」


「もうっ……! 一ノ瀬ちゃんなんて、大嫌い……!」


声は震えていて、涙でぐしゃぐしゃで、 自分でも呆れるくらい情けない。


なのに、一ノ瀬ちゃんは微笑んだ。


「篠原さん。 会話が盛り上がらなくてもいいんだよ? ちゃんとしなくていいし、 泣いても、固まっても、困らせてもいい」


一歩だけ近づく。 光が揺れる。


「私はただ…… 篠原さんが、私と同じ場所にいてくれるだけで嬉しいの」


胸の奥が、そっと解けた。


そんな言い方されたら—— 手放せなくなるじゃない。


「……私……一ノ瀬さんが安定するまで待ってる」 震える息のまま言った。 「大丈夫だと思ったとき……連絡して。 そのときは……会いに行くから」


一ノ瀬ちゃんが、小さく目を潤ませた。


「うん……。 なら……もうひとつ言っていい?」


「……なに?」


「篠原さんに“好かれてる”って気づいたとき、 私……ほんとに嬉しかった」


心臓がきゅっとなる。


今度は、逃げなかった。


「……私も。 一ノ瀬ちゃんに……好かれてるって気づいてから…… ずっと……嬉しかった」


二人で視線をそらしあって、 情けないほど同時に笑った。


その笑顔は、半年前のどちらとも違う。 壊れる前よりずっと優しくて、 ずっと強かった。


風が吹き、遠くで鐘の音が鳴った。


——再生の音だ。


石畳の上、私たちの影はわずかに重なっていた。 まだ触れ合わない距離。 でも、もう離れない距離。


私は空を見上げながら思う。


今日、あの子と初めて同じ光を見た。


次はきっと——


◆あとがき


きょうのテーマは 「嫌われギフテッド」 でした。


……どうだった? 読んでる途中で 「こんな能力いらん!」 って一回は思ったんじゃないだろうか。


嫌いな人には秒で嫌われ、 好きな人にはなぜか好かれる—— 便利なのか不便なのか、作者も最後まで悩みました。


でもね、考えてみると、 これって人間関係あるあるの究極系みたいなものです。


・好き避けして嫌われる ・興味ない相手からなぜか好かれる ・好かれたい人にだけ挙動不審になる


……全部、現実でもよくあるよね? (作者はあります。胸に手を当てながら書きました)


一ノ瀬も篠原も、 ギフトとか呪いとかそんな立派なもんじゃなく、 ただの“人間の不器用さ”を極限まで強化しただけなのかもしれません。


さて、あなたはどう思った?


嫌われギフテッドの力、 欲しい? いらない? ……使いこなせる自信、ある?


もし「うわ、めんどくさそう……」と思ったら、 それだけで今日のテーマは大成功です。


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