第二話 「商店街の謀」
街に戻る道すがら、リィナさんが私に話しかけてきた。
「ところでオルデンさん、どうして一人で街にいたの?お家は遠いの?」
私は少し躊躇してから、歩きながらスケッチブックに向かった。
『就職活動をしていました』
「就職活動?」
リィナさんが驚く。
「まあ、大変ね。それで良いとこは見つかった?」
『今日は7社全てだめでした』
「え、今日だけで七社も!?どうして?」
私は書きながら、胸が痛くなった。
『魔法が使えないのと、話すことができないので』
リィナさんの表情が心配そうになる。
「それは大変ね...でもどうして急に就職を?」
『母が病気で働けなくなって、医者に診てもらいたいのですが、お金が…。 家を失ってしまうかもしれません』
リィナさんが立ち止まって、私の手を握った。
「そんなに大変だったの...一人で抱え込んで辛かったでしょう」
ガルドさんが振り返る。
「どうした?」
「店長、この子...」
リィナさんがガルドさんに私の事情を簡潔に説明する。
ガルドさんは黙って聞いていたが、最後に私を見た。
「……頑張れよ。」
私の胸に小さな、とても小さな光が灯った。
話せない私にも、できることがあるのだろうか。
その時、街の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。
「また商店街で何かあったみたいね」
リィナさんが街の方を見る。
ガルドさんがため息をつく。
「面倒だ...リィナ、俺は先に戻ってるぞ。」
「分かりました、お疲れ様です」
商店街は確かに騒然としていた。
魔法道具を売る店の店主と、薬草を扱う店の店主が激しく言い争っている。
周りには野次馬が集まり、治安維持局の制服を着た少女が困った顔で仲裁を試みていた。
「またか...面倒なことに」
見知らぬ少年が舌打ちする。茶色の髪を無造作に撫でつけ、15歳くらいだろうか。
調停師の制服を着ているが、どこか素っ気ない印象を受ける。
「もう今月で三回目だ。学習能力ないのか、ここの奴ら」
リィナさんが二人の店主の間に入る。
「お二人とも、落ち着いてください。何があったんですか?」
「この薬草屋が、俺の客に嘘を吹き込んだんだ!」
魔法道具店の店主が叫ぶ。
「『あの店の魔法石は効果が薄い』『副作用がある』って言いふらしてる!」
「嘘じゃない!薬草の方が体に優しいと説明しただけだ!」
薬草店の店主が反論する。
私はその様子を見ながら、無意識にスケッチブックにペンを走らせていた。
魔法道具店の店主の表情。怒りの奥に、困惑と不安が見える。
薬草店の店主の表情。反論しているが、視線が時々泳いでいる。
そして、野次馬の中に一人だけ、異様に興味深そうに見ている男性がいた。
薬草店の店主が話している最中、その男性を一瞬見つめ、男性が小さく頷いているのに気づいた。
私は絵を描きながら、じっと観察を続けた。
「具体的にはどんなことを言われたんですか?」
リィナさんが魔法道具店主に尋ねる。
「『あの店の魔法石は偽物が混じってる』『薬草の方が安全で確実』って客に言いふらしたんだ!この一週間で売上が半分になった!」
「それは...それは薬草の方が体に優しいという意味で...」
薬草店の店主が言い訳する。
私はその瞬間を見逃さなかった。
薬草店の店主が再び野次馬の男性を見て、男性が慌てて視線をそらしたのを。
私は新しいページに、その男性の絵を描いた。
そして、薬草店の店主と男性の間に小さな矢印と「?」マークを付けた。
先ほどの少年が私の絵を覗き込んだ。
「これは...何だ、この絵?」
私は振り返る。近くで見ると、緑がかった茶色の瞳をしている。
調停師の制服を着ているということは、仲寄屋なかよせやの人だろうか。
私はスケッチブックに文字を書いた。
『あの、何か……?』
少年の表情が変わる。私の絵をじっと見つめる。
「...まさか。でも、この程度で決めつけるのは早計だろ」
少年がリィナさんに小声で話しかける。
リィナさんも私の絵を見て、目を見開いた。
「オルデンさん、この人が気になるの?」
私は文字で説明した。
『薬草店の店主が二度、この人を見ています。何かの合図のようでした』
治安維持局の少女が私たちに気づいて近づいてきた。18歳くらいの、元気そうな赤毛の少女。
「調停師の方ですか?私、治安維持局のニーナ・カスタードです」
リィナさんが答える。
「仲寄屋なかよせやのリィナです。こちらは...」
「レオンだ」
少年が素っ気なく名乗る。
「で、こいつは?」
ニーナさんは私を見て、少し困惑した表情を見せた。
「あの...この子は?」
『筆談でおねー─』
続けて名前を書こうとしたが待たずに彼女は続ける。
「ひ、ひつだんさん……? じゃないか、話せないんですか?でも、その絵...すごく詳細に描けてますね、一体何の絵でしょう?」
「質問攻めはやめろ、見りゃ分かるだろう」
レオンさんが刺々しく言う。
私は少し驚いた。
庇ってくれたのか、冷たい物言いだけど、もしかして優しい人なのかもしれない。
「あ、すみません!」
ニーナさんが慌てて頭を下げて、あわあわと続ける。
「とにかく、この喧嘩を止めてもらえませんか?もう一時間も続いてるんです!」
「分かりました」
リィナさんが頷く。
「レオン、あの野次馬の中の男性に話を聞いてもらえる?」
「...面倒だな」
レオンさんがぶつぶつ言いながら歩いていく。
リィナさんは再び店主たちに向き合う。
「薬草店の店主さん、お客様に説明された内容を、もう少し詳しく教えていただけますか?」
薬草店の店主の顔が青くなる。
「そ、それは...ただ薬草の効能を説明しただけで...」
「でも魔法道具店さんの商品について、何か言及されませんでしたか?」
私は新しい絵を描いた。
薬草店の店主と野次馬の男性が、こっそりと何かを話している様子。
そして金銭のやり取りを示唆する絵。
もちろん想像だが、二人の視線の交わし方から推測した。
リィナさんが私の絵を見て、頷く。
「オルデンさんの絵を見ると...もしかして、どなたかに相談されていませんか?商売のことで」
「そんなことは...」
その時、レオンさんが野次馬の男性と一緒に戻ってきた。
男性は観念したような顔をしている。
「話を聞いたぞ」
レオンさんが淡々と報告する。
「この人、『商売の手伝い』をしているそうだ。具体的には、競合店の評判を下げる噂を流すことでな」
ニーナさんが驚く。
「それは...営業妨害では?」
野次馬の男性が観念して口を開く。
「薬草屋の店主に頼まれたんです。『魔法道具店の石は効果が薄い』『副作用がある』って噂を流してくれって...報酬ももらいました」
薬草店の店主の顔が真っ青になる。
「あ...あぁ...」
薬草店の店主がついに白状した。
「客足が減って...生活が苦しくて...つい魔が差してしまった...」
魔法道具店の店主が激怒する。
「それで俺の商売を邪魔していたのか!この一週間でどれだけ損したと思ってるんだ!」
リィナさんが間に入る。
「お気持ちは分かりますが、まずは事実確認をしましょう。薬草店さん、いくらお支払いになったんですか?」
「金貨三枚です...」
「そのお金で、魔法道具店さんにはどの程度の損害が?」
魔法道具店の店主が考える。
「この一週間で、いつもの半分も売れなかった...少なくとも金貨十枚分は損したはずだ」
ニーナさんが半信半疑で私を見た。
「すごいですね...でも、話せないのにどうやって分かったんですか?」
『絵と観察です』
私が答えると、ニーナさんは複雑な表情を見せ、元気いっぱいに告げた。
「……なんか、凄い気がしてきました!」
結局、薬草店の店主は金貨七枚で魔法道具店に賠償することになり、野次馬の男性は治安維持局に連行された。
事件は無事に解決。
事件解決後、仲寄屋なかよせやに戻る途中でレオンさんが私に話しかけてきた。
「あの二人の関係、どうして分かった?」
私は歩きながら文字を書いた。
『表情を見ていました。嘘をついている人は落ち着きがなくて、隠し事がある人は無意識にその対象を見てしまうんです』
「へえ...」
レオンさんが興味深そうに眉を上げる。
「俺にはさっぱり分からなかった」
『でも、偶々だと思います』
「そうなのか?」
レオンさんが首をかしげる。
「でも、話せなくても推理ってできるものなんだな」
私は少し嬉しくなった。
褒められる事に慣れていない。
『昔から人を見るのが好きでした。街の人たちの表情を見ていると、いろんなことが分かって面白いんです』
「面白い...か」
レオンさんが小さく笑う。
「変わってるな、お前」
でもその笑い方は、馬鹿にしているのではなく、純粋に面白がっているように見えた。
『父がよく言っていました。人の心は表情に表れるって』
レオンさんの表情が少し変わる。
「...父親、か」
何か言いかけて、でもすぐに口を閉ざしてしまった。
「今日は...ありがとな。お前がいなかったら、あの事件はもっと面倒なことになってた」
私は嬉しくなって、慌てて文字を書いた。
『私こそ、ありがとうございました』
「別に、俺は何もしてない」
レオンさんがそっぽを向きながら続ける。
「それに、絵で推理なんて初めて見たし...まあ、その、カッケーじゃん」
私は大きく首を横に振った。
褒められて、胸の奥がもぞもぞする。
さっき、ニーナさんに質問攻めにされた時、レオンさんが「やめろ」と言ってくれた。
あんな風に男の子に庇ってもらったのは初めてで、なんだか胸の奥が温かくなった。
不思議な感覚だった。
「...ほら、着いたぞ」
レオンさんが
でもその表情は、元の固い雰囲気に戻っていた。
仲寄屋なかよせやに戻ると、ガルドが豆を挽いてコーヒーを淹れていた。
丁寧に湯を注ぎ、カップに滴る波紋をじっと見つめている。
「お疲れさん」
ガルドが振り返ることなく言った。
「どうだった?」
「店長!」リィナさんが興奮気味に報告する。「オルデンさんがすごいんです!絵で人の心を読んで、事件の真相を見抜いたんです!」
「ほう」
ガルドがようやく振り返る。レオンが詳しく説明する。
「なるほど。やはり人を心ごと描けるか」
リィナさんが前に出る。
「それで店長、オルデンさんを仲寄屋なかよせやで雇っていただけませんか?この子、とても困っているんです」
ガルドが私を見る。
「お前、仕事を探してるのか?」
私は頷いた。
ガルドはコーヒーを一口飲んで、しばらく考えていた。
「...気持ちは分かるが、ダメだ」
私の胸が沈む。
「調停師の仕事は、魔法石での通信、契約書の魔法認証、証拠保全の魔法...基本的に魔法ありきの業界だ」
ガルドが机の上の帳簿を見る。
「それに、今月の売上がまだ金貨5枚。家賃の金貨8枚にも届かん状況で、新人を雇う余裕はない」
場の空気が重くなった。
「でも店長!」リィナさんが食い下がる。「オルデンさんには特別な才能が...」
「才能は認める。だが慈善事業じゃないんでな」
私は震える手でスケッチブックに向かった。
『分かりました。お忙しい中、ありがとうございました』
立ち上がろうとした時、ガルドが呟いた。
「…待て、スケッチブックを見せてみろ。」
私は振り返る。
「お前の絵を、もう一度見せろ」
私は困惑しながらスケッチブックを差し出す。
ガルドがページをめくっていく。
しばらく黙って見ていたが、ある絵で手を止めた。
「これ…広場の模写は今日のか?」
『はい』
ガルドは思った。
「ブレている…」
噴水の周囲を歩く人々の中、走っていたであろう人間や、飛ぶ鳥、風で揺れる干された布。
それらがブレたように描かれていた。
「店長?ブレてるって……どういう」
「魔法鑑定でも不可能な精度と範囲……」
リィナが話しかけたが、構わずブツブツと続けページを捲る。
「この薬草店と男の関係図も...証拠がない状況で、観察だけでここまで」
ガルドが私を見直して口を開いた。
「お前、見たものを記憶できるんじゃないか?」
私は驚いた。
『え?』
記憶?見たものを記憶?
私は困惑してスケッチブックに向かった。
『みんな、できるものじゃないんですか?』
場が静まり返る。
レオンが目を見開く。
「は?みんなって...」
リィナさんも驚いた顔をしている。
「オルデンさん、普通の人は一度見ただけでこんなに正確に描けないのよ」
『でも、集中して見れば...』
私は混乱していた。
昨日見た広場の風景。噴水の水滴一つ一つまで、頭の中で鮮明に思い出せる。
一週間前に見た人の顔。着ていた服の柄。髪の毛の一本一本まで。
それが普通だと思っていた。みんな同じように覚えているものだと。
ガルドが私をじっと見つめる。
「それはお前だけの力だ。しかしまさか実在したなんてな。」
『どういうことですか?』
「普通の人間は、見たものをこんなに正確には覚えていられない」
レオンが呆然と言う。
「俺なんて、昨日の夕食すら思い出せ──」
「それはそれでお前どうかしてるぞ」
「まじか……」
ガルドが被せ気味に言い、レオンはショックを受け、リィナは少し目が泳いだ。
私は愕然とした。
私だけ?私だけが、こんな風に見たものを覚えているの?
『でも、お父さんも...』
そこで言葉が止まった。
お父さんも、私と同じように記憶が良かった。でも、それも特別なことだったの?
ガルドが深く頷く。
「なるほど…特殊な血筋かもな。お前の父親も同じ能力を持っていたのかもしれん」
彼が珍しく興奮したような顔で続ける。
「実は先月、大きな案件を逃した。契約書の偽造事件だったが、魔法で証拠隠滅されて手も足も出なかった」
彼がコーヒーカップを置く。
「でも、お前の能力があれば...燃やされた契約書も、隠された証拠も、全て記憶から再現できる」
私はまだ混乱していた。
これまで当たり前だと思っていたことが、実は特別な能力だった。
父も私も、普通じゃなかったの?
ガルドが立ち上がる。
「条件つきだ。試用期間1ヶ月。固定給はなし。案件成功時のみ報酬の1割を支払う」
私は驚いた。
「魔法に頼れない分、お前の観察眼と記憶力を武器にしろ。それが証明できれば正式採用も考える」
ガルドが私を見据える。
「ただし、仕事は厳しいぞ。時には全員から憎まれることもある。それでもやるか?」
私は迷わずスケッチブックに文字を書いた。
『よろしくお願いします』
ガルドが小さく笑う。
「よし。じゃあ今日から、ウチの見習いだ」
その瞬間──
私の胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
涙が、止まらなくなった。
一粒、二粒と頬を伝い落ちる涙が、やがて堰を切ったように溢れ出す。
私は慌てて手で顔を覆ったが、涙は指の隙間からこぼれ続ける。
今朝まで、私には何もなかった。
就職先も、希望も、未来も。
母さんの薬代も、明日の食事も、来月の家賃も、何一つ見通しが立たなかった。
何十社にも断られて、最後の面接官には人としての尊厳まで踏みにじられて。
もう駄目だと思った。私はこの世界で生きていけないんだと、諦めかけていた。
それなのに──
今、私を認めようとる人がいる。
私を理解しようとする人たちがいる。
私の絵を「才能」だと言ってくれる人がいる。
そして、働く場所がある。
「シュリちゃん!」
リィナさんが慌てて私の肩を抱いてくれる。
「大丈夫よ、もう大丈夫」
レオンも困ったような顔をしながら、でも優しい声で言った。
「泣くなよ…試用期間だぞ……」
ガルドが少し照れたように頭を掻く。
「そんなに泣かれると、……そのなんだ、こっちも困るんだが」
でも彼の声にも、確かに温かさがあった。
私は震える手でスケッチブックを取り出した。
『ありがとうございます』
文字がにじんでいる。涙で見えない。
『本当に、本当にありがとうございます』
何度も同じ言葉を書く。他に言葉が見つからない。
私には声がない。でも、今この瞬間、心の中で叫んでいる。
嬉しい。嬉しすぎて、どうしていいか分からない。
母さんに報告したい。医者に診てもらえる。薬も買える。家も失わずに済む。
そして何より──
私は一人じゃない。
十年間、母にも頼れずずっと一人だった。
話せない私を理解してくれる人なんて、いないと思っていた。
でも今、こんなにも温かい人たちに囲まれている。
『必ず頑張ります。お役に立てるように、精一杯頑張ります』
『私を信じてくださって、ありがとうございます』
歪んだ文字を書きながら、また涙がこぼれる。
リィナさんが私の手を握ってくれる。
「期待してるわ、シュリちゃん!一緒に頑張りましょう」
レオンも、優しい表情で頷いてくれる。
「まあ…給料はないけどな…」
ガルドがコーヒーカップを置く。
「泣いてばかりいないで、明日から本格的に調停の基礎を教える。部屋は二階を使え。」
私は力強く頷いた。
涙を拭いて、顔を上げる。
新しい人生の始まり。そんな予感。
「ちょ……店長!俺は寮に入れてくれなかったじゃねえか」
「お前は掃除しない、そういうやつだ。」
「……そんな、証拠だ!証拠をだせ!」
「昼飯にバーガー・クイーンを食っただろ。」
「……まじ、かよ」
リィナが笑いがら、レオンの胸元を指差す。
「確かにあそこの胡麻粒は普通より大きめですからね。」
話すことはできなくても、私には絵がある。
そして今、それを理解してくれる仲間ができた。
胸の奥に、太陽のような温かさが広がっていく。
きっと父も、天国で見守ってくれている。
『お父さん、私、やっと見つけました。私の居場所を』
心の中でそう呟いて、私は新しい明日への第一歩を踏み出した。
涙は止まったけれど、心の中の温かさは消えることがない。
これが、幸せというものなのかもしれない。
その日の夜、お母さんへ手紙を書いた。
【第2話 完】
調停ダイアリー 水秋 @mizuaki
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