5.

「どうして、お前がここに」

 問いかけるカーネの声は、冬の寒さに凍えるように震えていた。

 問いかけられたシンミアはなにも言わず、あるいはなにも言えず、立ち尽くしていた。色を失った顔には、絶望がありありと浮かんでいた。

 オリアスはその光景に違和感を覚えた。

 カーネの反応は当然だと思うし、シンミアがここにいたのが意外だったわけでもない。

 ならば、なぜか。

 一瞬遅れた脳の処理の後に、オリアスははたと気づく——銃弾が飛んできたのは、シンミアがいた方向からではない。

 尾行が下手なシンミアの他にもうひとり、むしろその下手な気配さえも蓑にするようにして潜んでいた者がいたのだ。

 気づくと同時に、再び銃声が鳴った。

 は、と息を飲んだシンミアがカーネの前に躍り出る。

 そのシンミアより前に、オリアスは魔法で強固な水の塊を作り、銃弾の勢いを飲み込み落とした。そして、狙撃手があるであろう茂みを狙って水で生んだ矢を放った。短い悲鳴が聞こえた。

 この世界に、墓守やら処刑人やら大天使やらはいても、魔法は存在しない。

 カーネとシンミアは目と口をあんぐりと開いてオリアスを見た。

 オリアスはその注目に多少の居心地の悪さを感じがらも、水の魔法で波を生んで茂みから気絶した男を引っ張り出した。

 頭から足まで全身真っ黒な身なり、だからこそ胸に飾られた金刺繍の馬のワッペンがこの上なく目立っていた。

 それを見たカーネの顔には、魔法を見た以上の驚愕が浮かべた。

「この紋章……カヴァロの家の……?」

「やっぱりな」

 シンミアが静かに零す。

「やっぱりって、なに。シンミア、君は、なにを知ってるの」

 カーネを一瞥したシンミアが、眉を顰め、深々とため息を吐いた。

「学生時代からずっと、カヴァロはお前に嫉妬してた。あいつはもともとガットさんの許嫁だったが、高校入学を機にガットさんの希望で破談になったんだ。それでもカヴァロはガットさんに執着していて……だから、あの頃からあいつはお前の側で、お前に気づかれないように、地味に嫌がらせしてたんだよ」

「カヴァロが……」

「持ってきたはずの教科書がなくなってたり、昨日買ったばかりの絵の具の中身がカラになってたこと、なかったか」

 カーネは言葉を詰まらせた。しかし、いっそう見開かれた瞳が、その問いかけの解をありありと表していた。

「それから……お前と仲が良かった俺に、デマを流したりな」

「え?」

「商会長とうちが小麦をおろしているパン屋のそりが悪いらしい、お前がカーネの近くにいたらそのうちふたりの恋はうまくいかなくなるかもしれない、って」

「じゃあ、シンミアが突然、僕のことを避けるようになったのは……」

「当時の俺はあいつの善人ヅラに騙されて、当人であるお前らにろくに確認も取らず、見事踊らされて。本当、馬鹿だよな。卒業した後にやっと、あいつの本性に気づいたんだ。酷いことして、ごめん」

 シンミアが深く頭を下げる。カーネはしばしその姿を呆然と見つめ、体側のこぶしをぎゅっと握った。

「……謝るようなことじゃない。じゃないけど。でも、それなら、言ってくれれば」

「正直、お前が歩み寄ろうとしてくれるたびに揺らいだよ。でも、そんな虫のいいことできない。易々と騙され、お前と過ごした時間を踏み躙り続けてきた俺がそんなことをしたら……俺はもっと俺が嫌いになりそうだった」

「シンミア……」

「それに、カヴァロの目を欺く必要もあった。お前へのせめてもの償いとして、あれからずっとカヴァロと親しいふりを続けて、監視してたんだ。嫉妬でお前に変なことしないかって。それで、お前の試練に、それが駄目だったら結婚式に横槍入れようとしてることを知ったから。大事な幼馴染……っていう資格は、もう俺にはないけど。でも、お前の晴れ舞台を、絶対にめちゃくちゃにされたくなかった」

「——だから、カーネの後をつけた」

 ユラが、苦しげな声で、しかしはっきりと告げた。

「そして、カーネを庇って、あんたは撃たれた」

 オリアス、カーネ、シンミア、三人の視線が一気にユラに集まる。

 そこで、は、と思い出したように、カーネがユラの怪我を見て慌てた。

「そうだ、ユラさん、撃たれて。街からお医者さんを、いや、背負って街のお医者さんに連れて行った方が」

「そんなことより、あんたを弔う方が先だ。カーネ」

 目を見開くカーネをまっすぐに見つめ、ユラが言う。

「俺とオリアスがいたから、展開が変わっただけで、本当は。俺が受けた銃弾は、カーネを庇ったシンミアに、当たるはずだった」

「え……」

「オリアスが防いだ、二発目は、カーネに当たるはずだった」

「ユラさん?」

「現実のお前たちは、この丘で、命を落としたんだ」

「なにを言ってるの」

「そして」

 激しく胸を起伏させながら、息を詰まらせながら、それでもユラは続ける。

「シンミアが、命を落としたこと。自分を庇うほどに、心身を尽くしてくれた、そいつと、ちゃんと、対話してこなかったこと……対話、できないまま、自分も死んでしまったこと。それが、あんたの未練だ」

 カーネは困ったような笑みを浮かべていた。それは本当に理解ができない、一体なにを語られているんだという困惑を描いているようにも見えたが、しかし瞳だけは、ずっと、微かに、揺れていた。

「訳が分からないよ、撃たれたのは、ユラさんで。僕たちは」

「カーネ。あんたは、死んだ。でも、未練を抱えて死んだから、まだ、その魂が、現世に留まっている。俺は、それを弔うために、ここにきた、墓守だ」

「墓守……」

「聞いたことがある」と口を開いたのは、シンミアだった。

「昔この街にも来たことがあって世話になったって、婆ちゃんが言っていた。特別な力を使って、死後の魂が悪霊になるのを防ぐ存在だって」

「違う!」

 振り絞るように、カーネが言う。

「僕は、シンミアは、生きてる。ここに生きてるじゃないか。死んでなんかいない。死んでなんか……だって、シンミアは、ここにいるのに」

 その目の縁には、涙が浮かんでいた。それはやがて、大粒の雫となって小麦色の頬を伝って落ちていく。

「ユラさん、だったか」

「ああ」

「本当に、カーネは死んだのか」

 静かに問いかけてくるシンミアに、ユラは浅く頷いた。

「そうか。俺は結局、カーネのことを守れなかったんだな」

 シンミアが、カーネに切ない眼差しを向ける。

「無事に結婚式を迎えさせてやれなくて、ごめん」

 シンミアのその言葉を聞いた瞬間、カーネは目を大きく見開いた。そしてシンミアの胸ぐらを震える手で掴んだ。

「どうして、そんなこと、言うの」

「事実だろ」

「死んでないってば!」

「俺はこの人たちのことよく知らない。けど、オリアスさんは明らかにただの人間じゃないし、ユラさんはこんな身を挺してまでそんな嘘を吐く意味があるとは思えない」

「っ……」

 くしゃりと顔を歪めるたカーネが、ふっとシンミアの胸ぐらを離し、その場に崩れ落ちる。

「 死んでない、死んでないよ……」

 鼻を啜り、溢れる涙を拭おうともせず、縋るようにこぶしを握りしめる。

「死なないで、死なないでよ……シンミア」

「カーネ……」

 シンミアはしばし躊躇を見せたが、やがてその場に屈むと、カーネの涙をシャツの袖で拭った。しかしそれを呼び水にしたようにカーネの瞳はいっそう潤み、大粒の涙を溢していく。

「君は……君は、どうして、どこまでも……あのときだって、そうだ」

 カーネが鼻を啜り、大きく肩を揺らす。

「僕のせいで、撃たれたのに。詰りもせずに、君は、言った。よかったって。なにも、なにもよくないよ。君のやさしさは、とても、酷いよ。君が」

 何度も声を詰まらせ嗚咽を漏らしながら、カーネは刺すように吐き出す。

「君が、やさしいことを、この世の誰よりも知っていたはずなのに。それをちゃんと分かっていなかった自分が、憎いよ」

 自身に必死に言葉の刃を刺しては溢れるカーネの涙を、そばからシンミアが慰める。

「どうして、生きているうちに、そう思えなかったんだろう。どうして、君と話してこなかったんだろう。どうして……もう、君に声が、届かないんだろう。神様が愚かな僕に与えた、罰なのかな」

「届いてる」

 悲しい微笑みをまっすぐに見つめ、シンミアが言った。

 カーネの眉間がひくりと震える。

「これは……僕の過去だ。君は、過去の幻に過ぎない」

 シンミアはそっと眦を綻ばせ、首を横に振った。

「俺には、シンミアには。お前がずっと、大事に思ってくれてること、伝わってた。こんなことになるなら、すべてをかなぐり捨ててその思いに答えるべきだったと思うほどに」

「……」

「だが、そうしていたら、俺の知らないところでお前を死なせてしまっていたのかもしれない。その世界の俺は、死んでも死にきれないだろうな。きっと、悪霊になってしまう。でも、お前を泣かせてしまうくらいなら、そうなった方が良かったのかもしれないな」

「そんなことない」

 最後の滴がカーネの頬を伝って落下する。西日に煌めいたそれは、白い花弁に乗って、土へと還っていく。

「答えてくれたらすごく嬉しかったと思うよ。でも、そのさきで君が悪霊になったら、こんなにもやさしい君が誰かを傷つける存在になったら、それは……すごく悲しい」

「ああ。俺も、悲しい。お前が、悪霊になったら」

「シンミア……」

 見つめ合うふたりを眺めていたオリアスが、ふと気づく。本来は日が傾くほどに暗く深くなっていくはずの自然の景色が、が少しずつ透けるように淡くなっている。

「これは」

「多分、刻限が、迫ってるんだと思う」

 呆然としたオリアスに、ユラが答えた。

「この魂の主……カーネが本来死ぬ時刻になったら、この世界は強制的に閉じる。そうしたら、もう、カーネを弔えなくなる」

 その言葉を聞き、カーネとシンミアの表情にもわずかに緊張が走る。それから、シンミアが。

「カーネ」

 と呼んだ。

 シンミアに呼ばれたカーネは、泣きそうに、けれどもう涙を零さずに、微笑んだ。

「死んでから、知ることになるとは思わなかったな。君はとてもやさしいけれど、とても残酷だってこと……それでも、僕はどうしようもなく、君が好きだってこと」

 カーネがシンミアに飛び掛かるように抱きつく。わずかに目を見開いたシンミアもまた泣きそうに笑み、カーネを抱きしめ返した。その姿は、幼いこどもたちが無邪気に戯れているようだった。

「これが夢だとしても、カーネにまた会えて嬉しかった」

「うん……僕もだよ。シンミア」

 惜しむように、けれどその背を押すように、シンミアはカーネから体を離す。そしてカーネもまた、それに答えるように、ユラの方に歩み出た。

「ユラさん。痛い思いをさせてしまってごめんね」

「大丈夫だ」

「……」

「もう。あまりオリアスさんを心配させないであげてね、ユラさん」

 明らかに色の悪い顔、詰まった息を零しながらも堂々と物を言うユラに、オリアスは眉を顰め、カーネは苦笑した。

「じゃあ、僕の魂を君に託してもいいかな」

「ああ」

 墓守は、本来はその血筋の者のみが力を受け継げるらしい血統職。その系図の外側にいる故に、不完全な死の状態の魂の夢想に潜り込めず、一度も弔えたことがない、それでも墓守に焦がれる、不完全な墓守。ユラ・エトランゼ。

 彼は、無事な右半身を軸にしてふらつきながらも体を起こす。

 無理はするな、と押さえつけたい気持ちを抑えつけたオリアスに介助されながら、やがてユラはどうにか二足を地につけ、この魂の主と向き合う。

 止血したとはいえシャツの半分は赤色に染まりきっている。息の乱れはいっそう酷くなっている。それでも、一度つけた足を決して離さないように踏み締めている。

 その使命に命懸けで焦がれ求め救わんとする男に、その望みに呼応した悪魔の名を冠された者は信じ、祈る。彼が望む結末を迎えられることを。

 ユラがカーネに向けて右の手のひらを向ける。そして、重たい瞬きひとつし、唇をゆっくりと開いた。

「エトランゼの名のもとに。あんたの魂を、不完全な死から往くべき道へと導こう」

 瞬間、下からぶわりと風と蛍が飛び交うような光が噴き上がり溢れ出す。景色がより急速に透け溶けだす。

 初めて目の当たりにする光景ながらも、オリアスは理解する——きっと、ユラは追い求めていた役目をついに果たしたのだ。

 オリアスがユラを見ると、彼の黒い瞳はわずかに見開かれていた。やがてそっと綻んだその縁が微かに煌めいて見えたのは、果たして噴き上がった光によるものか。

 カーネがユラとオリアスを見た。

「ユラさん。少ししか話せなかったけど、君はとても素敵な墓守だ。オリアスさん。いつか。もしいつかまた会うことがあったら、今度こそ君の絵、描かせてもらいたいな」

「ああ。借りがあるからな」

「ふふ。ふたりとも、本当にありがとう」

「俺からも。カーネを弔ってくれて、ありがとう」

 カーネが、シンミアが言う。

 そしてふたりは互いに、大事な幼馴染を見つめた。

「さよなら、シンミア」

「さよなら、カーネ」

 最後の視線の抱擁を見届け、世界は白銀に染まった。

 雪原のようでありながらもあたたかなその眩耀に、オリアスはたまらず目を閉じる。

 そして、再び目を開いたとき。

 オリアスは夕焼けの丘ではなく、朝日が降り注ぐケヤキの大樹の前に座っていた。

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