3.
「不自然な死の状態の魂が近くにある」
翌朝、目覚めるなりユラがそんなことを口にした。
首に提げた銀色の懐中時計を開いたかと思うと、どこぞへとぱたぱたと駆けだすユラを、オリアスは困惑しながらも追いかけた。
危うい動きで川を飛び越え、時々石などに足を取られ転びそうになりながらユラは駆けていく。どうやら懐中時計と思っていたそれは羅針盤のようで、ユラはそれに従って進んでいるらしい。
開けた場所に出ると、ユラは足を止めた。そこには、あたりに数多生えている木の中でも最も幹が太い、大樹とも呼べるケヤキだった。そのふもとに、白い光が漂っていた。
「これが不完全な死の状態の魂か」
「見えるんだな」
「普通の人には見えないものなのか」
「ああ。見えない人の方が多い、らしい」
ユラがその光のそばで腰を屈める。折明日はその背に問いかけた。
「それで、どうするんだ。お前、墓守の力ってやつがないんだろ」
「オリアスに、手伝ってもらいたい」
「俺?」
腕を組み、完全に見物の態勢に入っていたオリアスは、虚を突かれる。
「魂を弔う魔法なんて使えないぞ」
「墓守は不完全な死の状態にある魂の内側、魂の主の肉体が死に至るまでの二十四時間を描いた夢想の世界に入る力を持つ。そこで魂の主が自身の死を受け入れられたら、弔うための儀式が行える、らしい……けど、俺は、夢想に入ることができない。それは、きっと墓守の血統という鍵を持っていないから。正しい、墓守じゃないから」
ユラがきゅっと拳を握る。
「でも俺は墓守になりたい。墓守としての使命を担い、果たしたい」
それからユラは、オリアスを振り返った。
「オリアスは錠破りの魔法が得意、なんだろ」
真っ黒な瞳が、じっとこちらを見つめてくる。
昨夜のユラは落ち込んでいるのではなく、ただ寝落ちていただけだった。そして今朝起きてから今までも、気まずさを一切感じさせない立ち居振る舞い。叱責したことへの罪悪感はオリアスの中からすっかり失せ、むしろこいつと十年以上も一緒にやっていけるのだろうかという不安を覚えた。
ふたりの間にある主従契約は命懸けではあれど、命令が絶対的になるものではない。とはいえ、オリアスはここまでついてきて、資金の調達までしたくらいだ。こういった肝心なとき以外だってオリアスを頼ればいいのに、ユラはしない。
さっき、川を渡るときだって。なんならその前後の道中だって、オリアスに運ばせれば素早く安全に行けたはずだ。脱獄のときだって、そうしてみせたのだから。
ユラは基本的に自分でどうにかしたい性質なのか、それとも、しないといけない状況下で育ったのか。オリアスの叱責直後にあっさり寝落ちたところを見るに前者、凄まじいマイペースなだけな気がしてきている。
自分を大切にしないのも、自己犠牲というよりなにも考えていないだけなのではないか。だからといってその性質を放置すればいつ毒牙に掛かるとも知れないし、契約も結んでいるし、ユラは悪いやつではないから放っておくこともできない。
それゆえに、オリアスはずっとイライラ、モヤモヤしていた。
とはいえ。
「……やってはみるけど。できなくても文句言うなよ」
もう少し頼ればいいのに、と思うのならば、いざ頼られたときに無視をするわけにもいかなかった。
錠破りの魔法が得手なのは事実。魂の内側だの、夢想の世界だの、あまりぴんとこない未知の対象ではあるものの「墓守の血統という鍵を持っていないから、魂の内側に入れない」というユラの解釈通りにイメージすれば、そこに繋がる鍵を作り錠を破れそうな気もする。魔法において、イメージは重要な要素だ。
オリアスは白い光に向かって、右手を翳した。錠を思い浮かべ、それに応じた鍵を想像する——。
ややあって、オリアスの手に白い光で形作られた鍵が生まれた。
「手、出せ」
オリアスが左手を差し出すと、ユラはオリアスの顔を見てから自身の手を重ねた。
それから、オリアスは鍵を白い光に差し込むようにして回した。
すると、凄まじい引力が生まれる。
堪らず閉じた目を再び開けたとき、そこには先まで目の前にあった大樹はなく、見たことのない街が広がっていた。
三角屋根の家が点々と建ち、緑が豊かで、家畜や菜園などがある、牧歌的な風景。先まで朝だった空も、日が没しかけ橙色の光が溢れている。
錠を破って別世界に立ち入った経験はこれまでになかったが、おそらく上手くいったのだろう——きっとここは、先に見た不完全な死の状態の魂、その主の肉体が死ぬまでの二十四時間を描いた夢想の世界。
また別世界に飛ばされたのではないかと思うほどにリアルな光景や感覚にやや感じ入ってから、オリアスは気づく。
「ユラ?」
先まで隣にいたはずのユラの姿がどこにも見当たらなかった。
他人と魔法を分かつ際、体の一部を触れ合わせるのは常套手段だ。
例えば、魔法を使えないユラが結界に閉じ込められても、オリアスが傍にいれば、そして彼の手を握れば、錠破りの効果を共有し一緒に脱出することができる。
不完全な死の状態の魂に入る際も同じ要領で行けるのではないかと思ったのだが……錠破りの魔法で現実から夢想世界という別空間に入るのは、オリアスもこれがはじめてだ。この場合には適用されないのか、はたまた、オリアスとは別の場所にでも着地でもしたのか。
もし前者だった場合、なんとも、意味がない。オリアスは墓守ではなく、不完全な死の状態にある魂の弔い方もよく知らない。
それに——あたりには農業に勤しむ大人や、遊びまわるこどもたちの姿が見えるが、どれがこの魂の主なのか、オリアスにはさっぱり見当もつかなかった。
「一旦、ここから出た方がいいか……?」
錠破りで別世界に入った経験がなかったオリアスは、勿論脱出の経験もない。だがとりあえずもう一度錠破りの魔法を使ってみようか、と思ったとき。背後から声を掛けられた。
「君、ちょっといいかな」
振り向けば、そこにはひとりの青年がいた。
茶色の癖っ毛、翡翠の瞳、小麦色の肌、そばかすがかった顔からは朗らかな雰囲気が醸し出されている。頬や纏うシャツとズボンにはところどころ妙にカラフルな汚れがついていた。
「うわぁ、やっぱりかっこいいね、お兄さん。ここらじゃ見かけない顔だけど、もしかして旅の人?」
「あぁ、まぁ、そんなところだ」
「僕はカーネ。画家をやっているんだ。これでも新進気鋭って評判でね」
「はぁ」
「ねぇ、お兄さん。もし時間があったら、モデルになってくれないかな?」
カーネと名乗った青年は興奮気味に身を乗り出してくる。
「いや、そんな暇は……なぁ、黒髪、黒い目、俺の胸くらいの背丈のぼんやりした感じの男を見なかったか?」
「知らないな……あっ」
「なんだ、心当たりがあるのか」
「ねぇ、お兄さん。僕も探すのを手伝うからさ。その人が無事見つかったらモデルになってくれないかなぁ…!? 今は隣街に住んでいるけれど、生まれ育ったのはこの街だから、かなーり詳しい自信があるよ!」
きらきらと瞳を煌めかせたカーネは、張った胸をこぶしでとんと叩く。
ユラがこの世界にいる保証はないが、オリアスとは違う場所に着地しただけの可能性もないとは言いきれない。
初体験で未知ばかり、確信が持てないからこそ、再び錠破りの魔法を使うのは街に詳しい人間を伴ってとりあえず隅々まで探してみてからでもいいかもしれない。
「あっ、シンミア」
ふとカーネが横を向いたかと思うと、元気に手を振った。
オリアスもそちらを見れば、畑に挟まれた路地をこちらに向かって進んでいくる、カーネと同じ年頃の青年がいた。
藍色の髪、紫色の瞳は切れ長。カーネとは正反対の、クールな雰囲気があった。年季を感じる灰色のつなぎを着て、栗毛の馬を引いている。
シンミアと呼ばれた青年はオリアスたちの側で足を止めると、おもむろにカーネとオリアスを交互に見た。
「こんなところでなにしてるんだ」
「スカウト! ほら、このお兄さん、凄い綺麗だろ。だから、僕の絵のモデルをやってもらいたいと思って。あ、お兄さん、こいつは俺の幼馴染のシンミア。小麦農家をやってるんだ」
「……どうも」
会釈をするシンミアに、オリアス「ああ」と答える。
「こいつの小麦で作ったパンは絶品なんだよ。隣街のパン屋がそうだから、旅ついでに立ち寄ってみるといい。それで、こっちは、えーっと……」
「オリアスだ」
「そう、オリアスさん!」
「初めて名前を聞いたように見えるけれど」
「うっかりしてたんだよ。あ、そうだ、シンミア。オリアスさんは人探しをしているらしいんだけど、黒い髪に黒い瞳の男の人。知らないかな?」
「知らない」
「そっか……」
「じゃあ、俺はもう行くから」
つっけんどんに言って、シンミアが馬を引きながらオリアスとカーネの脇を通り抜ける。
「あ、あのさ!」
しかし、カーネがそれを呼び止めた。
足を止めカーネを振り返ったシンミアのその表情は、眼差しは、ユラよりもずっと平坦で冷ややかだった。まるでこの世界のすべてに興味がないようにさえ見える。
「なに」
「明日の結婚式だけど」
「出席しないって返事したはずだけど」
「それは、受け取ったよ……でも」
「父母は出席するし、どうせ飲んだくれる。仕事ができるやつがひとりもいなくなったら、困る」
「それは、そうだけどさ……」
「それに」
静かに、だがきっぱりとした音で、シンミアが言う。
「互いに祝い合うような関係じゃないだろ。今は、もう」
そうして視線を逸らすシンミアに、カーネもやがて瞳を伏せた。
「……そう、だね」
「……」
「……」
「……明日」
「えっ」
「カヴァロは来るのか」
「あ、ああ、うん。スイーツをたくさん持ってきてくれるって。経営してる、パティスリーの……もともと貴い家の出だけど、それでもこの歳で経営を任せられるなんて、本当、すごいよな。学生時代から常に学年一位の努力家だったから、当然っちゃ当然だけど……って、シンミアの方が、カヴァロと仲良くしてるから知ってるか」
「まぁ」
「……カヴァロも来るしさ、その」
「……」
「……ううん、なんでもない」
「……そうか。じゃあ、馬返しに行くところだから」
「あ……うん。じゃあ、またね」
カーネはシンミアが去っていく背をじっと見つめた。
しばらくしてその様子をオリアスが見ていることを思い出したみたいに振り向くと、カーネは力なく笑んだ。
「実家が隣でさ。昔はあいつの家の手伝いをしたり、絵を描いたり、毎日のように一緒に過ごしてたんだ。あいつ味があるなかなかいい絵を描くんだ。そう言うとあいつ拗ねるけど、僕は本当にいいと思ってて」
「ずいぶん仲が良かったんだな」
「うん。学生時代も途中まではつるんでたんだ。僕と、シンミアと。それから、カヴァロってやつと三人で。あ、カヴァロは隣街にある豪家の一人息子でね。この街には学校がないから、みんな隣街の学校に通うんだけど、そこではじめて知り合って。貴い身分なのに、それを感じさせないくらい気さくでいいやつでさ。すぐに仲良くなれたんだ」
その思い出を懐かしむようにカーネは遠くを目詰めたが、その瞳に次第に影がかかる。
「でも、二年生の途中で、急にシンミアが僕を避けるようになって。当時は僕も若かったから困惑よりムカッとして、最初は突っかかったり、そのうち張り合って無視するようになって……で、僕は他の友達をつるむようになった。カヴァロとは時々話してたけど、シンミアとは冷戦状態のまま卒業して。シンミアはこの街で家業を継いで、僕は本格的に絵を学ぶために隣街に引っ越して、会うことすらなくなった。久々に再開したのは、卒業してから二年後、今から数えて二年前の、成人の宴のときで。僕たちもいい大人だし、そろそろ仲良くできるかと思ったんだけど。時間が解決してくれることじゃなかったみたい」
保っていられなくなったように笑みを崩したカーネが、どんよりとしたため息を吐く。
「多分、僕があいつの気に障ることをしちゃったんだ。あいつは、愛想はないし、口下手ではあるけれど、すごく、いいやつだから……」
赤の他人の友情の問題について、オリアスが口出せることはない。これが、不完全な死の状態の魂とやらが見せる過去の幻影ならば、なおのこと。
オリアスは話の軌道を変えることにした。
「明日、結婚式なんだろ。人探しを手伝ってもらって大丈夫なのか」
「ああ、うん。式の準備は整っているし、ここいらの街の結婚式は日が変わる直前に始まるのが慣例だから」
「ずいぶん遅い時間に始めるんだな」
「夜を司る神様を信仰しているからね。あと、新郎は黄昏の試練も受けなくちゃいけないから」
「黄昏の試練?」
「黄昏時までにあの丘に行って、そこにしか群生しない海色の花を摘んで、式で花嫁に捧げるのさ」
カーネが遠くを指差す。そこには吊り橋によってこの街と繋がれた森が見える。
「ここらでは一番高いところにあるあの吊り橋を渡って、森を抜けないと辿り着けないんだ」
「度胸試しってことか」
「昔はね。吊り橋ももっとおんぼろ、森には獰獣が住んでいたらしいけど。今は吊り橋はしっかりと整備されているし、森はができるほどすっかり慣らされ猛獣の話はほとんど聞かない。出ても、タヌキやリスくらいなものだ。形骸化した儀式さ。だから、手伝えるのはその時間までになるけれど。でも、この街と隣街ぐらいは十分に巡りきれるはずだよ」
と、カーネがはっとしたように肩を跳ねさせた。
「って、話し込んでる場合じゃないね。君をモデルにするためには、一刻も早く君の連れを見つけないと」
「あ、ああ……そんなに俺をモデルにしたいか?」
「そりゃあこんな美人、なかなか出会えないからね。あ、今のはうちの奥さんには内緒だよ。とりあえずこの街中をぐるっと一周してみようか。そんなに広くないから今からでもそう時間はかからないし、見つからなかったら明日の朝、隣街の街中や周辺の森も軽く見てみよう。オリアスさん、宿は取ってる?」
「いいや」
「僕の工房で良ければ、泊めてあげるよ。多少散らかってるけれど、許してね。じゃあ、早速出発だ!」
にっこりと告げたカーネが意気揚々と歩き出す。なんとも人懐っこい彼の後をついていきながら、オリアスは思う。
ここは魂の持ち主の肉体が死ぬまでの二十四時間の世界。つまり、明日の夕暮れときその者は命を落とす——結婚式が開催される直前に。
まさに未練を残るシチュエーションと言えるが……この世界に入って最初に魂の持ち主に出会うなんて、しかも向こうから声を掛けられるとはあまりにできすぎている。それにもし、カーネがこれから死ぬとしても、これは過去。助けることもできなければ、今はただの悪魔でしかないオリアスには弔う術もない。
オリアスは軽く首を横に振ると、ユラ探しに専念することにした。
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