2.

 邸の外に出ると幾人もの街民が控えていた。

「どこへ行かれるのですか」「案内しましょう」「ほら、籠を用意して」などと忙しなく声をかけてくる人々にも、ユラは「過剰な奉仕はいらない」と強く宣言した。

 街民たちは「しかし」「でも」と言って後追いを続けたが、オリアスが「あまりしつこく食い下がるもんじゃない。機嫌を損ねた墓守様が明日の宴への参加を取り止めてもいいのか」と言えば、彼らは渋々引き下がった。ユラは「神様ってなんなんだ」と静かに呟いた。

 羅針盤の指す方角を辿って着いたのは、岬だった。

 岬は長さが奇麗に整えられた芝で覆われていたが、それを分け入るように大人ひとりが通れる幅で舗装された道が一本あった。ところどころうねりながら、それは塔へと続いていた。

 岬の先端からいくらか手前のところにしんみりと建つ、ところどころ焼けたりひびが入った、年季のある白い塔。

「街に着いたとき、この塔を見てたよな。羅針盤がなくても不完全な死の状態にある魂を察知できるようにでもなったのか?」

「さぁ。ただ、なんとなく気になったんだ。羅針盤からして、あの塔の中にありそうだな」

 潮風に吹かれ、カモメの鳴き声を遠くに聞きながら、ふたりは塔のふもとに着く。立てつけられた木のドアを、ユラが三度ノックする。

 しばらくして、きぃ、と軋んだ音とともに開かれたドアから覗いたのは、ユラのへそ当たりの背丈の少女だった。金色の髪をふたつに結び、街民とは異なる、純白のワンピースだけを纏っていた。

 少女は怪訝にユラを仰いだが、それよりさらに高い位置にあるオリアスの顔を見つけると、いくらか慄いた様子を見せた。

「……おにいちゃんたち、だれ?」

「こら、勝手に出てはいけないといつも言っているだろう」

 少女の背後に、黒のキャソックを着た男がやってくる。頬がこけ、銀縁の丸眼鏡の向こうにある茶がかった細い目は狐のようにつり上がっていた。

「うちの子が失礼しました。見ない顔ですが、旅人さんでいらっしゃいますか。この街に訪れるなんて珍し——」

 ふと男はユラが手に持つ羅針盤に目を留めると、細い目を見開いた。

「墓守、様」

 男はしばし呆然としていたが、やがてはっと意識を取り戻すと、少女の前に出て、跪いた。

「気づかず、大変失礼いたしました。いやはや、街から聞こえたベルの音はあなた方の来訪を報せるものでしたか。わたくしは当教会で司祭を務めております、ナレノと申します」

「はかもりさま……」

 呆然と呟く少女に、男ははっとしたように声をあげる。

「カトルも頭を下げなさい」

「下げなくていい」

ユラが言うも、ナレノは首を横に振る。

「いいえ、墓守様はこの街では神様なのですから……ほら、カトル。言う通りにしなさい」

 カトルと呼ばれた少女はわずかに唇を尖らせながらも、ぺこりと頭を低くした。ユラは小さくため息を吐き、少し疲れた声で言った。

「悪事を働かれたわけでもない相手に頭を下げられるのは気分がよくない。だから、上げてくれ」

 カトルはちらりとナレノを見る。ナレノは躊躇いながらもゆっくりと頭を上げ、カトルはそれに合わせてぱっと勢いよく頭を上げた。

「俺はユラ。こいつは、オリアス。ふたりで旅をしている。あんたの身なりを見るに、この塔は教会として使われているのか」

 頭は上げてもなお信心を示すように胸に手を当て、ナレノが頷く。

「ええ、そうです。墓守様がここにいらしたのは、不完全な死の状態にある魂を弔うためですよね」

 オリアスとユラは揃ってきょとんとした。

「あんた、不完全な死の状態の魂が見えるのか?」

 悪霊は誰でも目視することができるが、不完全な死の状態の魂が見れる者は多くない。

 血統である墓守。特殊な修行を積んだ処刑人。それから、ごく一部の人間含む生き物。

 ごく一部の人間含む生き物に選ばれる法則性は定められておらず、中央にはそれをテーマとして熱心に研究に勤しむ科学者もいる、らしい。これまでに立ち寄った街の図書館でオリアスが読んだ新聞にそういった記事があった。

 オリアスとユラも分類するのであればそこなのだろうが、オリアスは悪魔、ユラは元は別の世界で生きていたと聞いている。それが揃って不完全な死の状態の魂が見れる体質なのは、特例な気もする。中央でそのことを口に出せば、白いベッドに横にされ解剖でもされるかもしれない。

ナレノは「いいえ」と首を横に振った。

「つい先日、この教会でこどもがひとり、亡くなったのです。この街を出て冒険家になることを夢見ていた子でしたので。そこに墓守様が来たとなれば、そうだろうなと思ったまでです。どこにあるのかは私には見当もつきませんので、どうぞ、教会内を好きに見てください」

「ダメ!」

 ナレノがドアの前を開けようとしたが、カトルがその袖を力いっぱいに引いて引き留めた。

「なかにはいらないで!」

「カトル」

「アンのたましいを、とむらわないで!」

 舌足らずに、必死に、カトルは叫びをあげた。ナレノがそれを止めようとカトルを抱き上げたが四肢をじたばたを動かして抵抗する。

「おろして、せんせい。せんせいだって、いやでしょ。なのになんで、はかもりさまをなかにいれようとするの!」

 ついにカトルはナレノの腕を逃れると、教会の近くに生える芝をぎゅっと摘まんで千切り、ユラに向かって投げた。

「こないで! こないで!」

「墓守様に向かってそんなこと、やめなさい、カトル!」

 再びカトルを捕まえようとするナレノの手をオリアスが掴み止めた。

 その間に、ユラは屈んで、カトルと視線を合わせた。

 それでもお構いなしに、カトルはユラに芝を投げ続け、ついには抜けた芝のふもとの土をぎゅっと握り、振りかぶる。

 ユラ以外の人前で、オリアスは無暗に魔法を使うわけにはいかない。

 それでもと手を伸ばしたくなるオリアスの気持ちを察してか、ユラがちらりとオリアスを見た。

 オリアスは苦味を飲み下し、引き続き命じられるままに、ナレノを止めるに務める。

 カトルが放った土が、ユラの顔に土が掛かり、頬がいくらか汚れる。

 汚した張本人であるカトルは、土を投げるのはさすがにやりすぎたと思ったのか、その顔にわずかに罪悪感を滲ませた。それでもやるしかないとばかりに新たな土を握る。

「弔われたら困る理由があるのか」

 しかし、カトルがそれを投げるより先に、ユラが問いかけた。相変わらずの起伏の少ない、澄んだ声。カトルは振りかぶろうとした手を止め、握っていた土をわずかに零す。茶がかった大きな瞳からも、ぽたりぽたりと涙が溢れ出す。

「だって、とむらったら、はかもりさま、どっかいっちゃうんでしょ。ふかんぜんな、しのじょうたいのたましいをとむらうのが、はかもりさまのしめいだって。ならったもん」

「ああ、そうだ。この街に留まり続けることはできない」

「やだ、ずっとここにいて。ここにいてよ! はかもりさまがいてくれたら……もうだれもしなないで、すむもん!」

 不穏な言葉に、ユラはすぐさまナレノを睨み上げた。ただならぬ状況であることを察したのはもちろんオリアスも同じで、ナレノの手首をいっそうきつく捻りあげる。

「話、聞かせてもらえるよな」

「……あなた様方に聞かせるような話は、なにも」

「なにが起こってるのか知らねぇが、墓守絡みなんだろ。墓守がここにきている今以上にその問題どうにかするチャンス、あんのか?」

「……」

「それとも、お前はどうにかしたくないのか」

「そっ、れは……」

 ナレノはどんどんと顔色を悪くしながら、何度か薄く唇を開いては閉じてを繰り返した。やがて小さな声で「分かりました」と答えた。



 塔の中に入ってすぐの空間には、上方と地下、それぞれに伸びる螺旋階段だけがあった。ナレノに導かれるまま、地下の方へと続く階段を下りていく。

 やがて見えてきた部屋には、大きな丸いテーブルとそれを囲むように数脚の椅子が設置されていた。壁に面するようにしてコンロがあり、そばに置かれた箱には穀物が入った袋や野菜が積まれている。生活感に溢れたそこには、カトルと近しい年頃の少年がふたり、少女がひとりいた。

「だぁれ」

「まちのひと?」

「あかいふくじゃない」

 好奇心たっぷりの顔でわらわらと群がる彼らの頭をナレノが撫でていく。

「先生のお客さんです。少しお話をしてくるから、君たちは隣の部屋で、次のお勉強の時間の準備をしてきなさい」

「はぁい」

 こどもたちはナレノの言葉に素直に従うと右手側にある部屋に行く。そのうちの少女のひとりがカトルのことも連れて行こうとしたが、彼女は頑として動かなかった。

「どうしたの? お勉強の準備、しに行こう?」

「ドゥ、あのね……」

「カトル」

 ナレノは屈んでカトルと目線を合わせると、首を横に振り、唇の前に人差し指を立てた。

「大丈夫。先生の方からちゃんと相談するから」

「……さっきは、してくれなかったのに?」

 ちくりとした棘を孕んだ言葉に、ナレノは眉を下げる。

「ちゃんと、する。もう君たちが悲しい思いをしないように頑張るから、もう一度だけ、先生のことを信じてくれないかな?」

 カトルは瞳を揺らしながらも、やがて「わかった」と小さく頷いた。

 ドゥとカトルは手を繋いで右手側にある部屋に入っていった。オリアスとユラはナレノに導かれ左手側にある部屋へと入る。

 大人が三人も入れば窮屈になるその部屋は、本で溢れていた。

 本棚にはぎっしりと、机や床にも古びた本が所狭しと積み重ねられている。机上にはノートが広げられていて、児童文学らしいセンテンスの横に、指導法のような内容が書きかけてあった。

「狭苦しい場所で申し訳ございません。普段は、新しいこどもを引き取るときと、儀式のときぐらいしか来客がないので、客間などを設えておらず。かといって、広間だとこどもたちが来てしまうかもしれませんからね」

「それは構わねぇが、ずいぶんな量の本だな」

「街の西方に書庫があるのですが、ここからだと少し遠いものでして。定期的に廃棄本を一気に貰っては溜め込んでしまっているんです。どの本にも、生活や教育に役立つ知識が散らばっていますから」

 ナレノは部屋のドアに鍵をかけると、慣れた様子で床の本を壁際に押し寄せ、どこからか持ってきた折り畳み椅子を二脚広げた。机に面していた椅子の向きも変え、みっつの椅子で輪を作る。

「どうぞ、お掛けください」と促され、オリアスとユラが椅子に腰を下ろすと、ナレノも座った。

「さて……なにからお話ししたものですかね。この教会……もとい街の事情を外の人に話す機会なんて、少なくとも私がここの司祭になってからは一度もなかったものですから」

 短く息を吐いたナレノは丸眼鏡を外すと、眉間を軽く揉む。それから眼鏡をかけ直した彼の顔には積年の疲労が滲んでいるように見えた。塔の前で会ったときよりも数歳老けたようにさえ見える。

「街の方を通ってきたのならばご存じかと思いますが、我が街は墓守様を神様として信仰しております。その歴史についても、きっと私の愚兄……現神代より聞かされているでしょう」

「あれの兄弟だったか。言われてみれば、少し面影があるな」

「ここの司祭は神代の親族が務める定めとなっていますから」

 ナレノは力なく笑むと続けた。

「この街は悪霊災害時の歴史から中央に対する、敵意というべきか、羨望というべきか……そういった類の感情を強く持っているのもあり、長年、街の中だけですべてを賄ってきました。海が近く海産物もよく獲れますから、基本的には成り立っています。ですが、荒天に苛まれると、あっという間に食糧難に陥ってしまうのです。昔は年に一度ほどでしたが、近年は、季節に一度ほど起きるようになりました。荒天が兆すたびに、人々は口にするのです——ああ、墓守様の加護が遠ざかっている、と」

「天気と墓守に一体どんな因果関係があるんだよ」

 げんなりと言うオリアスに、ユラも力強く頷く。

 小さく笑った、ナレノが答える。

「墓守様は、神様ですから」

「だいたい、それだけ荒天に苛まれるんなら対策を練るもんじゃないのか。荒天は退けられずとも食糧難は、保存食を作るようにするとかやりようがあるだろ」

「提案した者はいたようですよ。提案した一週間後には、この街の民じゃなくなりましたが」

「は?」

「日持ちするものは外に流通させられるでしょう。外交をする気かと嫌疑をかけられ、迫害されたんです。もっとも、この街の歴史書では悪に鉄槌を下した正義として記録されていますが」

 ナレノはもともと細い瞳を、さらに細めた。それは自嘲的にも、なにかを懐かしむようにも見えた。

「神様に目を向けてもらいたいとき供物を捧げる街があるらしい、という知識を得てしまったのも、そんな歴史の中でのことでした」

「そこから、人身御供がはじまったのか」

「その通りです。民の命を捧げるほどに尊崇している意を示しながら、不完全な死の状態にある魂を生むことで墓守様の来訪を希う方法を思いついたのです」

 オリアスは隣に座るユラの背にそっと手を当てた。ユラの黒い瞳が、悲しいほどに陰鬱な影を湛えていた。

「この街には学び舎がひとつあるのですが、定期的に「将来の夢」をテーマとした作文を書くんです。それを街の大人全員で読んで、不完全な死になり得そうな子を選抜し、神様への供物として教会で隔離し、純粋さを伸ばし汚れを削ぎながら育てていきます。そして災害が発生するたびに神様の加護を希うべく、この塔の上方にある儀式の間で天に捧げます。つい数日前の荒天明けにも、ひとりの少女が捧げられました」

「……墓守の使命は、不完全な死の状態にある魂を弔うことだ」

 ユラが、膝の上できゅっとこぶしを握り締める。

「悪霊になってしまう魂を、抹消されてしまう魂を少しでも減らすことが使命なんだ。その墓守の使命を知りながら、神様だのなんだのと言いながら、命を捧げたり、不完全な死の状態にある魂で釣ろうとするなんて、馬鹿げてる」

「墓守様」

 椅子から降りたナレノが、床に膝と手をつき、深々と頭を下げる。

「この街はきっと、あなた方にとって住みよいものではないでしょう。みんな、みんな、おかしいです。それでも、命を懸けた狂気を止めるために……子どもたちを少しでも哀れんでくださるのであれば……この街に、留まってはくださらないでしょうか」

 先に見た彼の兄の叩頭に比べると、なんと疲弊と悲哀に満ちた姿だろうか。

 ユラは、椅子から立ち上がると、軽く裾を払う。

「この街に長くとどまる気もなければ、不完全な死は弔う——だが、墓守として。過剰な尊崇は勝手にしろと言えても、それで人命を散らしているのは見過ごせない」

 たとえ陰りを帯びたとしても、それでもどこまでもまっすぐで、艶やかな黒い瞳がオリアスを見下ろす。

「オリアス」

 オリアスは瞳を細め、唇に弧を描く。

「なんだ、ご主人」

 躊躇も外連もなく、ユラは言った。

「俺と一緒に災厄になってくれるか」

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