Ⅲ.冬籠り
1.
オリアスは小屋を建てることにした。
オリアスとユラは山を下り、平地に出たばかりだった。
ユラが歩き出してすぐに足を止めると、空を仰いで「雪、降りそう」と呟いた。ユラは天候に関する感が鋭いようで、こういった予報はよく当たる。オリアスもあまり得意ではない気候読みの魔法を使ってみたら、数時間もすれば吹雪になると出た。
次の街まではしばらく距離がありそうでホテルに泊まることは望めない。かといって、吹雪の中テントを張って野宿をするわけにもいかない。
幸い、山を降りたばかりで辺りには木々がたくさんあったから、オリアスは小屋を作ることにした。
Ⅲ. 冬籠り
錠破りの次に得意な水魔法を駆使して、オリアスは木々を切っては組み合わせていった。
ユラはオリアスが最初に切った木を椅子にして、ぼんやりと空を仰いだりこちらを眺めていた。
手伝うどころか応援ひとつしない、ときどきあくびまで零している呑気っぷり。だが、前の街でユラに似合うと思って半ば衝動的に買ったファーのポンチョを纏う姿がかわいらしく、オリアスはちっとも文句を言う気が起きないどころか時折見惚れてしまう。
そも手伝わせたところで、ユラはそそっかしいところがある。手に木の皮を刺すくらいならまだかわいいもので、木と木の間に手を挟んだりだとか、組み立てた木をうっかり倒してその下敷きになったりしかねない。
それに万が一、木を切ったり運んでいる最中に眠ってしまったら。
心配でこちらの作業が手につかなくなるから、なにもさせないのが妥当ではある。
ユラが八度目のあくびを零したあたりで、小屋は完成した。四方ともオリアスが三歩も行けば壁から壁まで辿り着けるほどの広さだが、ふたりで寝起きするには十分だろう。東の壁にはそこらに落ちていた石を組んだ簡易的な暖炉を、西の壁には葉っぱの山の上に毛布を重ねがけたベッドも用意した。
オリアスは暖炉に火を灯すと、ベッドに座ったユラにカップを渡した。そこには水と火の魔法を組み合わせて作ったお湯と、紅茶のティーバッグが入っている。
ユラは両手でカップを握りちびちびとお湯を飲んでは、ほっと息をついた。オリアスも一杯の紅茶を飲んでから、まだ外に雪の気配がないのを見て、森の入り口に向かった。
保存食もそれなりに持ち歩いてはいるが、吹雪がどれくらい続くかも分からない。念のための食材調達として、木の実、鹿を一頭、兎を何羽か見つけて狩った。
外でそれらを捌き終えたあたりで、オリアスの鼻先に一粒の雪が落ちた。
間もなく空から無数の雪が降り出したかと思うと、それは次第に激しい風と伴い出す。
水魔法でざっと洗った毛皮と、葉に包んだ肉を抱えて、オリアスは小屋の中に戻った。
ユラは葉と毛布のベッドに横になり本を読んでいた。ユラの養父が遺した手記だ。ユラはその全内容を暗誦できるが、それでも暇さえあれば、読み込んでいる。
オリアスは毛皮は壁にかけ、魔法で熱風を起こして乾かした。それから、肉を氷漬けにする前に下処理をしようとしたところで、ユラがいつの間にか本を閉じこちらを見ていることに気づく。
「お腹空いたか?」
オリアスが尋ねると、ユラは小さく首を横に振った。それからユラは上体を起こすと、のそのそとオリアスの側に来る。
「ご主人?」
ユラはただ無言でオリアスの側に座っていた。オリアスはユラを気にしながらも、肉の腱や筋膜を除いていく。血抜きのために調味料を入れた水に漬ければ、作業は一段落だ。
「器用だな」
オリアスが手巾で手を拭ったところで、ユラがぽつりと呟いた。
「そりゃあお前と比べたら、それなりに器用な自覚はあるけど」
ユラはわずかに唇を尖らせながら、オリアスにも凭れかかった。
「とある冬の日。男が、凍えて弱っている蛇を見つけた」
いきなりなんだと思いながらも、オリアスはユラの訥々とした語りに耳を傾ける。
「男は蛇を哀れみ、家に連れ帰って温めた。生気を取り戻すとともに食欲も蘇った蛇は、本能のまま男に噛みつき、その心臓を食らいつくした」
「……」
「満腹になったところでようやく理性を取り戻した蛇は、自分がいったいどうやって衰弱から回復したのかを考えて、その真相に気づく」
「…………」
「蛇はその場で恩人を哀悼し続け、やがて干からびて死んだ。ちゃんちゃん」
「ちゃんちゃん、じゃねぇよ。なんだその話」
「昔聞いたおとぎ話……寓話? なんとなく、思い出した」
ユラがオリアスの手を取る。人差し指と親指でふにふにと手のひらや指を揉んでくる。
「でも、あんたは、理性的だから。きっと、どれだけ腹が空いていても、器用に下拵えして、丁寧に調理してから食べる」
気まぐれで頑固な、太々しくも繊細な、冷淡で甘美な野良猫が尻尾を絡めるように、ユラはオリアスの指に自身の指をひとつずつ絡めた。
「悩ましいな」
「なにが」
「あんたには、美味しく食べてもらいたいけれど。でも、俺は丸齧りされる方が、嬉しい」
オリアスは密に絡んだ手を引き寄せ、ユラに顔を近づける。
「してやろうか。今」
ユラはきょとんと目を丸くして、オリアスを仰ぐ。
「今? 今はまだ——」
オリアスはユラの身体を抱き上げ、葉っぱと毛布で作ったベッドにそっと置いた。そしてユラに覆いかぶさると、彼のケープを脱がし、シャツのボタンを外していく。
ぱちぱちと瞬いたユラは、上目にオリアスを見る。
「するのか」
その眦はかすかに朱に染まっていた。
オリアスは小さく笑い、はだけたシャツから覗く、雪のように白いユラの肌に手のひらを添わせる。腹まで胸までゆっくりと撫でて、左胸に五指から順に手のひらをゆっくりと重ねる。心臓を持つ生物なら持ちうる鼓動を感じる。顔を寄せればそれがより明瞭に聞こえる。ユラの音は、オリアスの鼓動よりもやわらかく感じる。
「冬の遭難の定番だろ。まぁ、俺たちは別に遭難したわけじゃあねぇけど」
「定番?」
「こうやって、体を温め合うの」
「……オリアスはそういう経験があるのか?」
ちょっぴり低くなったユラの声に、オリアスの皮膚はぞくりと震える。
「さっきお前がしたのと同じだ。架空の物語。それで、たまに見る展開ってやつ」
「俺は、見たことがない」
「俗っぽいのは読まなさそうだもんな」
「……別に、そんなことはない」
「張り合うところじゃないと思うけど」
しばし思案したユラが、閃いたように言った。
「アニメ。アニメは好きだった」
「アニメって?」
オリアスがきょとんと首を傾げると、ユラはわずかに眉を顰め視線を彷徨わせた。
「テレビで……いや、それも別に説明がいるか。えっと……板? の中で絵が動く物語みたいな……あ、ぬるぬる動く紙芝居ならどうだ」
「ぬるぬる動く紙芝居」
脳裏に思い描こうとしてみるも上手く像が結びつかない。そんなオリアスの様子を見て、ユラは「説明が難しい」としょんぼりと首を竦めた。
「この世界でも聞かない言葉だが、お前が前にいたっていう世界にあったものか」
「ああ。見ているだけで、明るくて、面白い物語が展開されていくんだ。でも、時間が経ったら終わっちゃうのが少し悲しかった」
「その感覚は分からないこともないな。俺もそれなりに観劇や小説は嗜んでいたから。どんな作品にもいつかは終わりがくる定めだから仕方ないことではあるけれど」
小さく頷いたユラは「でも」と言う。
「あるとき、思った。物語は窓なのかもしれない」
「窓?」
「俺がいる世界から、別の世界を覗くための窓。自分がいる世界のことだって、一から十まですべて知れるわけじゃないのに、他所の世界のすべてが見られるわけがない。それでも見てみたいと願った人が、物語という窓を作って、覗けるようにした。俺が覗けるのは窓の範囲だけだけれど、その枠外で世界は続いている。その世界を勝手に想像すると、少しだけ、寂しくなくなった」
ユラがオリアスの下瞼のあたりに指を添わせる。
「そしてそれは、物語に限ったことじゃないかもしれないって。墓守になって思った。例えば、不完全な死の状態にある魂に潜るときだって、この目で見て知れるのは、その魂が宿っていた肉体が死ぬまでの二十四時間だけ。けれど当然、その魂が歩んできた過去が、そしてこれから進む未来がある。オリアスについても、そう」
ユラはオリアスの頭を両手で包み、犬でも愛でるように髪を無造作に撫でていく。
「俺は、俺と出会う前のオリアスを見ることはできない。未来だって、どこまで一緒か分からない。でも、今一緒にいるオリアスを通して、オリアスを知ることはできる。あんたが悪魔だってこと。魔法を使えること。器用なこと。料理が上手なこと。世話焼きなこと。冬に遭難した人が体を温め合う物語をたまに読んでいたってことも、今、知れた」
「そう言われると、なんか人聞き悪いな」
目を眇めたオリアスに、ユラはそっと眦を綻ばせる。
ユラがオリアスの頭を撫でていた手を軽く引く。それに促されるままに、オリアスはベッドに手をついて上体を浮かし、ユラの側に顔を寄せた。ふ、と微笑むように吐息を零したユラが、オリアスの唇を食んだ。
「もっと、オリアスのことを知りたい」
凄まじい誘い文句に、オリアスの胸の炎が一層大きく育つ。その熱は瞬く間に全身に広がっていく。
ユラに噛みつき返してから、彼の唇の間に舌を差し込んだ。舌を絡ませると、ユラの瞳はあっという間に潤んで蕩けて、口端からは雛鳥もかくやという甘やかな声が漏れる。
外は吹雪。しばらくここから移動することは叶わず、不完全な死の状態にある魂に遭遇することも、下手くそな似顔絵の指名手配書を律儀にチェックしている警吏たちに負われることもない。
つまり、果たすべき使命も逃れるべき厄介もない状況下。
「じゃあ、とりあえず、俺がたまに物語で読んだ体の温め合い方ってやつから教えてやろうか」
契約した主人に尽くすには、愛らしい男を貪るには、時間はたっぷりとある。
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