21.救いの舟は何処ですか

 イチカワアカネ。イチカワ、アカネ?

 聞き覚えがある。けれど、どこで?


『決闘を申し込むわ市川赤音!』


 頭の中で勢い良く啖呵を切る市川さんの声がリフレイン。ああ、そう。入部テスト当日、市川さんはお姉さんに食って掛かって――ん?


「っ……お前なぁ、マジで……」


 ゆらり、振り向く帽子の人。鍔の下から覗く顔は市川赤音、市川さんのお姉さんその人だった。あの日の余裕は何処へやら、顔には薄ら赤がさしている。対する市川さんはまだ余裕綽々。まるで逆だ。


「マジで、何かしら? 少なくとも咎められる謂れはないわ、こちらにはね。大嘘つきのオネエサマよりずうっと白よ」


 腕を組んで鼻を鳴らす。そのまま、また市川さんはお姉さんのほうに近付いた。私はというとまだ陰から覗く態勢のままだったけれど、こうなったら仕方がない。ぬいぐるみをそっとバッグにしまい、そろそろ後をついて市川さんの隣へ。


「どどど、どうも……はは……いやあ、いい天気ですね……」

「屋内だし外は曇りよ。ほら、わざわざ休日に部長が駆り出されているわよ。申し訳なく思わないのかしら?」

「十中八九お前が無理言ったんだろ」

「無理じゃないわよね、ねえ?」

「無理ではないんですけれども、ですけれども……」


 こんな姉妹喧嘩に巻き込まれるなんて聞いていません。承諾した当初はちょっと市川さんの言い回しが変になってしまっただけで、普通に二人でオタ活して帰る感じだと思っていたんです。お姉さんの秘密を無理に暴くなんて事するつもりなかったんです。

 思えど今日も上手く言葉は出ない。きりきり痛む胃。ぐるぐる回る目。

 私がそんなふうに言葉に詰まっていれば、はあ、とお姉さんが溜息をついた。荷物を手早くまとめ立ち上がる。座っていた椅子を寄せ、私達の間を抜けて行く。


「ちょっと! 逃げ――」

「場所変えんぞ、小さなお友達の迷惑になんだろ」


 ◇


 からり、氷が鳴る。シロップ一つ溶かしたコーヒーには、まだ口をつける気になれなかった。

 場所を移し同じ建物の中にある喫茶店。一番奥の席に私達三人は座っていた。陽キャ向けSNSで流行っていそうな軽快なBGMが流れていたけれど、私達の纏う雰囲気は暗い。いやいつも暗かったですね。だって陰キャですもん。


「で?」


 お姉さんはすぐ落ち着いてきたらしく、スコーンをコーラで流し込んでいる。背もたれに深く体を預け顎をしゃくり、対面の私達をじろりと見た。学校では上手く隠していたのだろう、耳に下がったピアスが揺れる。

 佐野さんに並ぶくらいかっこいい顔から、とてつもない圧が放たれている。


「あんたを不合格にしたい理由、部長に見せに来たの」

「男みたいなツラした奴があんな合わねえ事してまーす、ってか」

「違う! ……違う」


 ここは気心知れた仲間で固まる部室でも、音に溢れたゲーセンでもない。であるからなのだろう、ボリュームを上げかけた声を市川さんは潜めた。えらい。上げかけた手も膝へ。


「……今のあんた、は」

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