8.困りましたと言えないで
「そう……ですね、私が残されましたから。残念ですね、あは、あはは……」
「どうして?」
「話すの、真昼の方が上手なので。昨日だって……まあとても、いや少し、僅かに。熱が入りすぎてはいましたけれど」
気を抜けば自分が何を言っているかが分からなくなる。頭に浮かべた言葉のパーツ達が乱雑に絡まってゆく。後に続いて駆け出したくてたまらない両の脚を宥めるのでもう精一杯。今の私はきっと陸上部と張り合える位走る事に対する意欲があります。意欲だけが。
「分かりませんよ、そんなの」
「はい?」
「昨日は自己紹介位しかお聞き出来ませんでしたから。湯田先輩のお話の巧拙に関しては、私には分かりません」
佐野さんの胸ポケットから小ぶりなメモ帳が取り出される。空いたもう片手には、シンプルな半透明のボディをしたシャープペンシルが握られた。
「なので、お聞かせ願えませんか。湯田先輩の『好き』について」
佐野さん、どうしてその話の流れで筆記用具を。まるでメモを取る気があるみたいではありませんか。いやいや、きっとそんなの私が自意識過剰であるだけで。多分私との会話とは関係無く、今なにか忘れるべきでない良いアイディアが思いついただけ。きっと偶然なのでしょう。
「差し支えなければ、記録して参考にさせていただければ」
偶然ではありませんでした。
「……えっと……」
正直話すのはとても気が引ける。けれどあんな条件が突き付けられるのを止められなかった手前、私は言えませんし紙媒体に残されるのも嫌ですなんて事は道理が通らない。そうであれど、どう話すべきか。
オタク同士のコミュニティですらいい顔のされないことはままある私達夢女子。佐野さんの趣味が全く推し量れない分、容易には始められない。
出方を間違う即ち死。さながら今の私は得物を構えたままの戦士。いえ、恋敗れし落ち武者が適当であるのでしょうか。でござる。取り敢えず今ここで腹を切ってよろしいでしょうか、腹を割る代わりに。
「……いけませんか?」
「いえそんな事はないです……!」
ああ、あのひとみたいな顔で眉なんか下げられたら。そう問われたら。
つい食い気味に応えてしまった私は、これですぐに言葉を紡ぐしかなくなった。
申し上げます。
私の物にはどうしてもならないあの人の事。
嫌われるのすら叶わなかった私の事。
受け取られる筈がなかった愛情の事。
「わ、私は……好き、でした」
「でした?」
罪の告白。美しい彼女の眼前へと広げて見せる為、自身で掻きむしって糸を引きちぎった。私の未だ膿み続ける胸の内の傷がまた開いてゆく。
すっかり過去形となった私の言葉尻を拾い上げて、佐野さんは小首を傾げている。
「……十年も前です。本なら何でもとりあえず読んでみる、私はそんな子どもで」
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