僕と先生の怪異録
のの
序章 夜を分け合う
あの頃、僕はありきたりな大学一年生だった。
郊外にある大きなキャンパスに通い、慣れない講義に出席し、名前を覚えきれない同級生に愛想笑いを返す。
新歓コンパではぬるいビールを流し込み、サークルでは先輩に雑用を押しつけられ、夜遅くまで拘束される。
人間関係は急に広がったけれど、その分だけ薄っぺらく感じられることも多かった。
――友人が増えたはずなのに、話の中身はほとんど覚えていない。
誰と何を笑ったのか、思い出そうとしても手応えがなかった。
それでも、僕には心から生きていたと感じられる時間があった。夜だ。
壁が薄いワンルームのアパートに帰り、蛍光灯を消してPCの電源を入れる。
モニターの光が机を照らし、開きっぱなしのノートや食べかけのカップ麺を浮かび上がらせる。
ログイン音が鳴ると、静まり返った部屋が一気に別世界へ変わった。
――講義で居眠りしていても、サークルで浮いていても、ここにログインすれば自分の居場所がある。そう思い込むようになっていた。
オンラインゲームの中では、僕は講義に追われる学生でも、無数の新入生のひとりでもなかった。ただのプレイヤーとして、見知らぬ誰かと並んでいた。
その中で、ひとり特別な存在がいた。僕はそのプレイヤーのことを“先生”と呼んでいた。
“先生”のアバターは女性型だったが、声は出さず、チャットの調子も淡々としていて、性別を感じさせない。
僕は内心、無口で神経質な年上の男性なんだろうと思っていた。
それでも、なぜか安心して言葉をかけられた。現実の友人より、よほど気楽に。
先生と呼ぶようになった理由は単純で、ゲームの知識を何でも持っていたからだ。
効率のいい狩場、ボスの弱点、レアドロップの条件。こちらが尋ねれば、即座に答えが返ってくる。まるで全ての攻略情報を頭に入れているかのようだった。
けれど、僕を本当に惹きつけたのは別の部分だった。
先生は、ホラーやオカルトに異常なほど詳しかった。
ゲームの進め方を説明するときでさえ、授業の合間に脱線する教師のように、現実の怪談を織り交ぜて語るのだ。
「このダンジョンの仕掛け、近くの中学の七不思議を思い出すな」
「このNPC、都市伝説がモチーフかもな。昔からある目撃証言だけの人影。」
「この謎解きはタロットに関係ありそう。地図みて。ケルト十字の形になってる」
そんな言葉を聞くたびに、僕は笑いながらも、背筋に冷たいものを覚えた。
――現実と虚構の境界が、少しだけ揺らぐ感覚。怖いのに、もっと聞きたくなる。
先生には、他にフレンドがほとんどいなかった。ギルドにも馴染めないらしく、ログインすると、いつもひとりで街の片隅に立っている。
だからこそ、僕と先生は毎晩のように二人で遊んだ。
人付き合いが苦手な先生は、僕にとって逆に心地よい存在だったのかもしれない。
大学のどんな友人よりも、僕は“先生”のことを信じていた。
昼は大学生活。夜はゲームの世界。僕はその二つを分け合うように過ごしていた。
そして、そのどちらにも“先生”がいた。
やがて先生との日々が、僕の青春そのものが怪談の形をしていたと気付くのはもっとずっと後の事だった。
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