【中編】親子は語るよどこまでも

 二人は今までの時間を埋めるかのように語り合った。


「えっ。徹マンして海水浴!?」

「うん。しかも、準備運動しないで海に飛び込んだから、すぐ心臓麻痺でお陀仏。サークルの連中もびっくりしてた」

「そりゃそうだろう。父さんも若い頃は無茶したけど、お前には負けるな」

「だから、女神様にスカウトされたんだよ。あなたの蛮勇は勇者にふさわしいって言われた」

「褒めてないだろ、それ……」


 こうして話してみると、我ながらカッコ悪い転生理由だ。が、それはそれとして、父の呆れ顔はムカつく。拓斗は彼に促した。


「今度は親父の番だよ。おれだけ話すんじゃ損だ」

「ああ。だが、その前に――」

 

 父がジロリと拓斗を睨む。


「な、なんだよ」

「父さんに謝ってもらおうか」

「謝る? どうして?」

「よーく思い出してみろ」

 

 あれこれと記憶を辿るが、やはり理由がわからない。降参した拓斗に、父は告げた。


「お前は……お前たちは、父さんの夢を否定したんだ」

「夢?」

 

 父が語る理由は、このようなものだった。

 

 ◇◇◇


 その日、拓斗は台所にいた。夕食をつくる母と、珍しく仕事から早く帰ってきた父もいる。


「今日、よっちゃんが女の子ナンパしちゃってさ」

「あら、吉田君らしいわねー」

「お前たち、ちょっといいか?」

 

 他愛もない会話をしていると、父が話を切り出してきた。なんだろう、と拓斗と母は顔を向けた。


「いろいろ考えたんだけど、父さん会社辞めて小説で食っていこうと思うんだ」

 

 父の言葉に、二人は沈黙した。この男は、いったいなにを言っているのか――。


「最近は小説投稿サイトがすごい盛り上がりなんだよ。『カケヨメ』とか『小説家になったろう』とか。ベストセラーもバンバン出てる」

 

 二人は恐る恐る父の顔を覗きこんだ。……特に狂気は見られない。今ならまだ間に合う。二人は説得を試みた。


「お父さん、気持ちはわかるわよ。あれだけ小説が好きなんだから、自分で書いてみたくなるわよね。でも、仕事を辞めるのはどうかしら」

「そうだよ、親父。まず小説を書いてみて、ヒットしたら専業作家になればいい」

 

 だが、二人の言葉は父に届いていなかった。


「仕事をする八時間を執筆に当てれば、一日数万文字は書ける。十日でデビュー、書籍化だ!」

「いや、土日に執筆すればいいじゃん。ちょっと時間がかかるけど、ほとんどリスクはないよ」

「来月には、私の肩書きが『小説家』になる! お前たち、応援してくれるよな!?」

「……」

 

 きっと仕事で疲れているのだろう。二人は父をそっとしておくことに決めた。


「で、その娘の彼氏がよっちゃんに絡んできてさ」

「あら、吉田君大変ねー」

「コミカライズで数百万部、アニメ化もされれば一千万部は狙える。印税は何億だ? ウヒヒッ」

 

 なにやらブツブツ呟く声が聞こえるが、二人は無視した。一晩ゆっくり寝れば、明日には元通りになる。今までもそうだった。

 二人は心配するのをやめ、夕食に想いを馳せた。肉の焼けるいい匂いが、台所に満ちていった。

 

 ◇◇◇


「全然、元通りにならなかったな!」

 

 今さらながら拓斗は愕然とした。その日の夜、父は車に乗り込むと失踪してしまったのだ。


「お前たちに夢を否定されたショックで、父さんは車を走らせた。裏山のダム湖へな」

「ええっ。入水自殺だったの?」

「そんな怖いことするわけないだろ! 湖面に映る月を見にいったんだよ。心が落ち着くからな」

「でも――」

 

 父は帰ってこなかった。


「運転を誤って崖下にまっさかさまだ。あそこ街灯がないから、夜は真っ暗なんだよ」

「そ、そんな理由だったのか……」

 

 謎だった失踪理由がわかり、拓斗は脱力してしまった。その頭上から、父は言葉を浴びせる。


「さあ、父さんに謝りなさい!」

「な、納得いかないなあ」

 

 釈然としないまま、拓斗は父の顔を見た。まずい。親父は本気で怒っている。斬り落とされた角が再生しているのが、なによりの証拠だ。


「わ、わかった。俺が悪かったよ。親父、許してくれ」

「よしよし。これで仲直りだな」

 

 父は満足げに頷き、拓斗の手を取った。和解(?)の握手を交わした親子は、再び向き合った。


「母さんには悪いことをした。長年連れ添ったのに、まともな別れじゃなかったからな」

「俺も。とんでもない親不孝をしちまったよ」

 

 母親を思うと、胸が痛くなる。拓斗は話題を変えることにした。ちょうどいい。ずっと考えていた疑問があったのだ。


「俺は人間に転生したのに、なんで親父は魔族なんだろう?」

「この世に恨みを抱いて死ぬと魔族になる……わけじゃなく、転生担当の天使が引くクジで決まる」

「適当だな、おい!」

「偉くなってわかったが、意外と世界は適当に回ってるんだよ。だから私も魔王なんかになっちまった」

 

 自嘲するような響きだった。思わず拓斗は父を凝視した。


「他の魔王候補が食中毒で死んだり、女性問題で失脚しやがったから、私に役目が回ってきたんだ」

 

 どうやら魔界にもいろいろあるらしい。


「で、でもさ。やっぱりトップってのは、居心地いいものなんじゃないの」

「とんでもない! お前、魔王の仕事がわかってないな。愚にもつかない陳情を聞いて、膨大な書類の決裁に追われる。実につまらんぞ」

「うーん」

「まっ、お前もトップになればわかるよ」

 

 父は拓斗の肩をポンポンと叩いた。強い実感が込められているのがわかる。


「そうだ。トップといえば――」

 

 ここで父は姿勢を正し、拓斗を正面から見据えた。真剣な話をしようとしている。拓斗もそれに応じ、背筋を伸ばした。


「拓斗よ、お前が人間界を支配しろ」

「はあ!?」

 

 予想外の展開に、拓斗は大きく口を開けた。この親父は、また狂ってしまったか。


「私はいたって真面目だぞ」

 

 父の瞳には理性が宿っている。その眼差しは、拓斗を捕らえて放さなかった。


「人間界は腐敗しきっている。なぜか? 上に立つ者が、ろくでなしばかりだからだ」

「そ、それは言いすぎだろ」

 

 拓斗は反論しようとするが、言葉が続かなかった。すかさず、父はたたみかける。


「いや、お前はわかっているはずだ。魔族との戦争を煽るくせに、自分は安全な都にいる王侯貴族たち――」

「親父……!」

 

 周囲に誰もいないが、拓斗は父の口を塞いだ。こんなことを王都で言えば、縛り首になる。


「なにを恐れる? 衛兵や騎士団より、お前のほうが圧倒的に強いだろう」

 

 父の言葉に、拓斗は口ごもった。正直、武力で彼らを倒す想像をしたことがないわけではない。

 が、実行するには至らないし、これからもそのつもりだった。


「本来、平和を祈るべき教会も戦争を支持している。人間の支配地を広げて、魔族を教化すれば信者が増えるからだ」

「異端審問にかけられるぞ」

「ふっ。望むところだ。逆に生臭坊主どもを、生け贄として祭壇に上げてやる」

 

 父が不敵に笑った。その表情は、現実世界の頼りない彼とは別人だった。


「商人たちも戦争が終わっては困る。兵士の武器・衣服・食料。それらを用意するのは彼らだからな。戦争はビジネスチャンスだよ」

「もうやめてくれ」

 

 拓斗は耳を押さえた。なにも聞きたくなかった。

 薄々気がついていた。そんな連中の言いなりになって、殺戮をくり返した自分。勇者と言えば聞こえはいいが、ただの使いっ走りじゃないか――。

 苦悩する拓斗に、父が語りかけた。


「拓斗、覚悟を決めろ。お前が奴らに反旗をひるがえせば、人間の大半はお前につく。なぜなら、お前は英雄だからだ」

「……俺は人殺しだよ」

「だからなんだ? それを言ったら私も同じだ。我々がすべきは、死んでいった者たちが報われる世界をつくることじゃないのか」

「――平和で新しい世界か」

 

 拓斗は顔を上げた。憑きものが落ちたような、晴れやかな顔だった。


「やるか、親父」

「うむ。お前は反乱軍を結成して、一直線に王都を目指せ」

「言われなくても。流血は最小限で済ませる」

「そのあいだ、我々魔族も軍事行動は控えよう」

 

 二人は立ち上がり、部屋を出る準備をした。父はいつの間にか魔王の衣装に着替えている。


「問題は仲間の説得だ。いきなり国王に反逆するわけだからな。できるか?」

「余裕だよ。盗賊は俺に惚れてるし、魔術師は教会が大嫌い。戦士は馬鹿だからなんとかなる」

「そ、そうか」

 

 息子の意外な一面を見て、父は複雑な表情を浮かべた。そんなことなどつゆ知らず、拓斗は聞いた。


「来た道を戻ればいいのかな?」

「そうだ。仲間の拘束は解いておくよ」

 

 礼を言って、拓斗は部屋の外へ出た。後ろから声がかかる。


「次会うときは、世界が平和になっているぞ!」

 

 拓斗は振り向かず、手で答えた。父の顔を見るのも、平和になってからがいい。

 時空の狭間を通り、拓斗は元の空間にやってきた。すぐに仲間たちが駆け寄ってくる。


「タクト、大丈夫か!?」

「まったくもう、心配かけて……あんたなんか嫌いよ」

「呪いを受けていないかチェックします!」

 

 仲間たちの反応をよそに、拓斗はスタスタと歩き出した。


「タクト……?」

「気が変わった。俺が倒すべきは魔王じゃない、国王だ」

「え、ええー!?」

 

 勇者タクトの反乱――後年、英雄革命と呼ばれる戦いの始まりだった。

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