第11話 幻の果てに
「正気に戻ったか!ユウタ!!」
ラウガンの声が飛ぶ。鳥型の魔物に刀を構えながら、短く説明を挟んだ。
「あれは
鋭く吐き捨てるように言い切り、ラウガンは斬撃で迫る爪を弾き飛ばす。
「嬢ちゃんをなんとかしてやれ! 俺は魔物とレオンを抑える!」
「わ、わかった!」
金色の瞳が大きく見開かれ、ミリアの顔が恐怖に歪んでいた。
彼女の視線の先には俺がいるはずなのに――その瞳は、別のものを映している。
「……やだ……来ないで……っ!」
震える声と共に、剣ががむしゃらに振るわれる。刃は掠めるだけでも鋭く、俺の頬を浅く裂いた。
熱が走り、血が一筋滴り落ちる。
「ミリア……俺だ!」
叫んでも、その耳には届かない。
彼女にとって俺は、もう“あのとき”の魔物にしか見えていないのだ。
――幼いころ、村を襲った強大な魔物。
彼女を恐怖で縛りつけた存在。
今、魔物の力で、それが俺の姿に重なっているのだろう。
必死に剣を振るう姿は痛々しいほどで、目尻には涙が滲んでいた。
その小さな背中が震えるのを見た瞬間、俺は悟った。
彼女は今、あの日に戻ってしまっている。
母親の手を握りしめ、ただ怯えて震えていたあの時に――。
「……もういい。大丈夫だ」
俺は剣を下ろし、彼女の懐へ踏み込んだ。
振り下ろされた刃が肩を掠める。鋭い痛みを堪え、そのまま彼女の細い体を強く抱きしめた。
「大丈夫だ、ミリア。俺がいる」
その言葉に、彼女の剣が力なく床へ落ちた。
「……お母さん……」
小さな声が漏れ、震えていた体が次第に収まっていく。
俺の胸に額を押し付けたまま、彼女は静かに嗚咽を漏らした。
そしてようやく、幻惑が解けたのだろう。金色の瞳に宿った恐怖が薄れ、俺を見上げた。
「……ユウタさん……」
その声に、俺は強く頷いた。
彼女を守ると心に誓いながら。
――その瞬間だった。
「退がれッ!!」
ラウガンの怒声が響く。
振り向いた刹那、熱気が押し寄せた。
レオンの両手から放たれた炎が膨れ上がり、巨大な火球が轟音と共に俺たちへ飛来する。
「くそっ……!」
反応する暇もない。だが、赤熱の奔流は俺とミリアに届く直前で弾かれた。
ラウガンの刀が閃き、火球を斜めに切り裂いたのだ。
爆ぜた火炎が左右に散り、焦げた風が頬を叩く。
「……ったく。新米の世話は手がかかる……」
低く吐き捨てると、ラウガンは地を蹴った。
「悪いな、少し眠ってろ!」
次の瞬間には刀が翻り、鋭い峰打ちがレオンのこめかみを打ち据えた。
青年は呻き声を上げ、そのまま地面に崩れ落ちた。
「ユウタ、嬢ちゃん! 鳥を仕留めろ!」
短く叫び、ラウガンは倒れたレオンを守るように位置を取る。
「――行くぞ、ミリア!」
「はい!」
再び迫る鳥型の魔物。その羽ばたきは霧をかき乱し、幻惑を撒き散らす。
俺は【看破】を発動し、視界に赤い光点を捉えた。
「ミリア、翼だ!」
「了解です!」
迅雷の軌跡が閃き、ミリアの刃が赤点を正確に裂いた。
翼を失った鳥が絶叫を上げ、墜落する。
その隙を逃さず、俺の剣がもう一体の胸の光点を貫いた。
【弱点特効】の光が瞬き、肉体を内側から爆ぜさせる。
「……終わったか」
俺は深く息を吐き、剣を下ろした。
霧に混じる血の匂いが薄れ、あたりはようやく静寂を取り戻す。
少し離れた木陰には、気絶したままのレオンが横たわっている。
ラウガンが軽く脈を取り、刀を鞘に収めた。
「大丈夫だ。時間が経てば目を覚ます」
静けさの中、ミリアが一歩踏み出した。
その金色の瞳には、迷いと決意が入り交じっている。
「……ラウガンさん」
「なんだ?」
「私……自分の力では速さで翻弄することしかできません。もっと……攻撃の力をつけたいんです。どうしたらいいでしょうか」
言葉を絞り出すような声。
普段なら強気に見える彼女の肩が、小さく震えているのが分かった。
ラウガンは腕を組み、しばし彼女を見据えた。
やがて、静かな声で答える。
「二つある」
短い言葉に、ミリアは息を呑む。
「ひとつは、鍛えることだ。体を強くすれば、斬撃も重みを増す」
「……はい」
「だが、それ以上に大事なのはもうひとつだ。速さを磨け。今以上にだ」
「速さ……を」
「お前の速さは、ただの逃げ道じゃねぇ。脚が武器になる。速さそのものを、攻めの力に変換できる地点がその先にある。……そこに辿り着け」
ラウガンの低い声が、濃霧に響いた。
それは説教でも檄でもなく、ただ一つの真実を告げる響きだった。
ミリアははっと目を見開き、強く頷いた。
「……やってみます!」
彼女の頬に、再び火が宿った。
その姿を見て、俺も心の奥で静かに誓った。
――必ず、この力を形にしてみせる、と。
◆
レオンは荒い呼吸を繰り返し、額に汗を滲ませていた。
寝返りを打つたびに苦しげに眉を寄せ、やがて小さく呻き声を漏らす。
「……まだ……もっと……」
途切れ途切れの声に、ミリアが心配そうに見守る。
「夢を見ているんでしょうか……」
ラウガンは片膝をつき、短く言った。
「うなされてるな。そろそろ起きるだろ」
やがてレオンが大きく息を吸い込み、目を見開いた。
「はぁ……っ!」
現実に戻った瞳は焦点が合わず、しばらく虚空をさまよっていた。
「落ち着け」ラウガンが低く告げる。
「お前は魔物の幻惑にやられてた。仲間に火球を放ったが、俺が弾いた。……誰も傷ついてねぇ」
「……俺が……!」
レオンの血の気が引き、うなだれた。
「気にするな。ヤツが出てきた時点で想定していた。次に備えろ」
ラウガンの言葉に促され、レオンは深く頭を垂れた。
「……すみません……」
◆
少し落ち着いたところで、俺は口を開いた。
「……どんな夢を見てたんだ?」
レオンは一瞬迷ったが、やがて苦笑を浮かべて答えた。
「……昔の鬼教官に、ひたすらしごかれてる夢でした。
『弱いままじゃ許さない』って、何度も怒鳴られて……」
その声には悔しさと、どこか吹っ切れたような色が混ざっていた。
「だからって、仲間に火球を放つなんて……絶対に二度としません」
拳を握る彼の横顔に、決意の色が宿っていた。
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