第14話 ミラナ村防衛戦①
村を包む夜は、ひどく静かだった。
焚き火は最小限に抑えられ、灯りは月明かりのみ。
畑の上に漂う霧が白く光り、辺りを薄ぼんやりと包んでいる。
今夜も交代で見張りを立てることになっていた。
俺は順番を引き当て、槍を持った村人と並んで柵の上に立っていた。
風が頬を撫でる。鳥の声もなく、虫の音すら聞こえない。
張り詰めた空気に、自然と剣の柄を握る手に力がこもった。
「……静かすぎるな」
思わず呟く。隣の男は肩をすくめて笑った。
「魔物なんざ、そう毎日来るもんじゃねえさ。気にしすぎだ」
そう言って柵の下に視線を巡らせる彼を横目に、俺は【看破】を発動した。
脳裏に光が走り、闇の中に浮かぶ赤い点が現れる。
──一つ。二つ。……いや、もっとだ。
柵の外。森の縁。じっとこちらを伺う影。
人の形をした小さな赤い輪郭が、軽く十を超えてうごめいていた。
「……ッ!」
思わず息を呑む。背筋に冷たいものが走った。
「どうした?」
隣の男が怪訝そうに振り返る。
「……来てる。ゴブリンだ」
声が震えないように絞り出す。
男の顔色が一気に変わった。
「本当か!?見間違えじゃねえよな……」
「間違いない。すぐに村長に知らせろ」
赤い光点が、じわりと柵へ近づいてくる。
やがて夜の闇を裂くように、甲高い咆哮が響いた。
ゴブリンの群れが、ついに動き出した──。
◆
やかましく村の鐘を叩き、俺は駆け下りて村長の家を叩いた。
ほどなくして飛び出してきた村長の顔は青ざめている。
「魔物か!?」
「ゴブリンだ、群れで来る!」
村長の叫びが合図となり、男衆が次々と家から飛び出してきた。
手にしたのは槍や斧、鍬や鎌といった農具。慣れた顔つきだが、瞳の奥には緊張が揺れている。
「起きろ、全員! 武器を持て!」
「女と子どもは家の奥へ隠せ!」
ガランの怒鳴り声が夜気を裂き、村中がざわめきに包まれる。
その中を駆けてきたのはミリアだった。
寝間着の上に急ぎ革鎧をまとい、短剣を腰に差している。
「ユウタさん!」
息を切らしながらも、俺の隣に並び立った。
「……大丈夫。来ますね」
金色の瞳が闇を射抜くように細められる。
俺は剣を抜き、深く息を吐いた。
柵の向こうでは、赤い光点がじわじわと動いている。もう隠れる気配はない。
ガランをはじめとする男衆が柵の上に並び、俺とミリアも肩を並べる。
月明かりの下、黒い影がいくつも揺れ、低い唸り声が押し寄せてきた。
「……来るぞ」
張り詰めた沈黙の中で、村の全員が息を呑んだ。
そして次の瞬間、闇の奥から無数の咆哮が響き渡った。
◆
ゴブリンの咆哮が夜気を裂いた。
闇に潜んでいた影が一斉に動き出し、村を取り囲むように殺到してくる。
「来たぞ! 備えろ!」
柵の上から矢が放たれ、槍の穂先が月明かりを弾いた。
農具を構えた男たちが必死に声を張り上げ、村を守ろうとする。
ゴブリンたちは我武者羅に柵へ取りつき、爪で削り、棍棒で叩き、押し倒そうとする。
木材がぎしりと悲鳴を上げ、土台が震えた。
「まだだ、耐えろ!」
ガランの怒鳴り声が響く。
村人たちは柵上から槍で突き、内側から長柄を押し出して応戦する。
俺は【看破】で浮かぶ赤い光を見つめながらも、まだ剣は抜かない。
今は柵上から弱点を叫ぶだけだ。
「頭を狙え! その胸だ、左胸!」
声に従って槍が突き出され、悲鳴が重なった。
それでも数は減らない。柵は揺さぶられるたびに大きく軋み、まるで悲鳴を上げているかのようだった。
「ユウタさん!」
背後からミリアの声が飛ぶ。月光に照らされた横顔は険しく、けれど迷いはなかった。
俺は短く息を吐き、頷いた。
「よし、そろそろ出るぞ」
俺たち二人の作戦は、極めてシンプルなものだ。
ミリアの迅雷で敵を翻弄し、動きを乱す。
その隙を俺が【弱点特効】で確実に仕留める。
複雑な作戦は必要ない。いや、今の俺たちに複雑さを扱う余裕はない。
経験が乏しいからこそ、単純で確実にできる方法に絞る。
「行くぞ!」
剣を抜き放ち、俺は柵の外へと飛び降りた。
すぐ隣に、稲妻のように駆けるミリアの影が並ぶ。
着地と同時に、ミリアが一気に前へ走り込む。
「はぁっ!」
迅雷の発動と共に、金色の残光が夜闇を裂き、ゴブリンの群れを縫うように駆け抜ける。
「ギィッ!?」「グルァッ!」
翻弄されたゴブリンが体勢を崩し、隙を晒した。
俺は剣を振り抜く。
【弱点特効】が脈打つように走り、赤く光る弱点を貫いた。
「ッらあ!」
一体目が喉を裂かれ、崩れ落ちる。すぐに二体目、三体目と続けざまに突き刺す。
刹那、三体同時に内側から破裂、爆風めいた衝撃が周囲を震わせる。
「ギィッ!?」「グ、グルァ……!」
予想もしなかった惨状に、周囲のゴブリンが後ずさりし、互いにぶつかり合ってうろたえた。
その赤い瞳に、明確な恐怖の色が宿っていた。
ミリアが迅雷で揺さぶり、俺が確実に仕留める。
呼吸を合わせた反撃は、最初の衝突で数体を沈め、ゴブリンの前列を削った。
「ユウタさん、次っ!」
「任せろ!」
背後からは村人たちの叫びが聞こえる。
「押せ! 槍で押し返せ!」
柵の上から突き出される槍と、弓矢が飛び交い、俺たちを援護する。
それでも、ゴブリンの群れは止まらない。
次から次へと飛び出してきて、柵や門を叩き続ける。
「まだまだ来るな……!」
汗が頬を伝い落ちる。
俺は柵の方に視線を走らせ、【構造理解】を発動した。
歪み、緩み、限界点。柵の耐久度が減っているのが分かる。
──このままじゃ押し潰される。だが、仕掛けがある。
二重構造。
内と外、二列に丸太を組んだ防壁。そのうち外側だけが、楔を抜けば敵の方へ倒れる仕掛けだ。
内側の柵は残り、村の守りは維持される。
「今だ、梁を抜け!」
俺の叫びに、柵上の男が必死に楔を外す。
ごうん、と地鳴りが響いた。
外側の丸太列が一斉に傾き、柵に群がっていたゴブリンが押し潰された。
木と肉が潰れる音に、耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴が重なる。
「おおっ!」
「やったぞ!」
士気が一気に高まった。外側の列は倒れたが、内側は無事。二重の構造が村を守り続けていた。
だが俺は剣を握り直し、【看破】を発動する。
視界の奥、森の影──。
……消えていない。赤い光点が、まだぞろぞろとうごめいている。
「……まだ終わっちゃいない」
熱気に沸く村人たちの声を背に、俺は静かに呟いた。
夜は、まだ長い。
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