光の魔王

如月六日

読み切り



 星々が次々と爆ぜていった。

 光の奔流が銀河を飲み込み、無数の文明の営みを焼き払う。


「……これが奴の力か」


 艦橋のモニタ越しに、地球艦隊司令のアラトは滅びゆく宙域を見つめた。

 連合艦隊――宇宙の千種万様の知的種族が集い、全存在を賭けて魔王に挑む最後の戦。

 それでも、抵抗は虚しく光に呑まれていく。


 戦場に、巨大な光の宙域がある。

 その中にいる百万隻もの魔王軍艦隊が次々に光学兵器や質量兵器を投射してくる。

 そして、その光の中心に人影があった。


 ――『魔王』


 宇宙の全てを無に帰する恐怖の存在。

 彼の軍団は今までに幾つもの文明を滅ぼし、星々を消滅させてきた。

 だが彼の周囲に広がる光は、魔王という名にふさわしくない美しさを持っていた。

 破壊の炎ではなく、まるで静謐なる海のように見える。


「戦え! まだだ! 我らが母星の敵を討つのだ!」

 咆哮する連合艦隊指揮官たちの声も、やがて一つまた一つと途絶える。


 アラトは知っていた。

 この戦いがただの魔王討伐ではなく――宇宙の存亡そのものを賭けた試練であることを。



************



 地球人類がワープ航法を手に入れたのは23世紀のことだった。

 22世紀に起きた第三次世界大戦は、過去の歴史の通り科学技術を進歩させた。

 陸海空に加え、宇宙軍同士による戦闘が初めて行われた。

 激しい戦闘の中、科学者達はついにワープ航法を見いだした。

 そして、その瞬間、異星人からのコンタクトがあった。


『地球の人々よ、争いはやめて下さい。あなた方はワープ航法の開発に至りました。それは、我ら宇宙を自由に航行する知的生命体と同じ科学技術のレベルに達したことを意味します。そんなあなた方が内戦をするのは困るのです。それは命と物資とエネルギーと時間の浪費です』


 地球中が大混乱に陥った。

 突然のファースト・コンタクトが第三次世界大戦の停戦勧告。

 しかも、彼らは地球の目と鼻の先に10数万隻もの大艦隊で現れたのだ。

 その内の一隻が月に一発の攻撃をした。

 それだけで、月の表面が大きくえぐれてしまった。

 人類は恐れおののいた。

 彼らは圧倒的な強者だったのだ。

 各国の政府は至急首脳会談を行い、即時停戦条約を締結した。

 たった一発で月の地図を大きく書き換える存在が争いをやめろと言っている。

 これを無視する勇気は、さすがに地球人は持っていなかった。


 そして、異星人の艦隊から特使がやってきた。

 複雑な心境で彼らを歓待した地球代表に向かって、特使は更に驚くべき事を告げた。


「地球の人々よ、どうか我らに協力して下さい。宇宙は今、『魔王』とその軍団によって滅びの危機に瀕しています」


 直立歩行をするトカゲのような姿の特使は会うなり、そんなことを言い出したのだ。

 地球代表団は互いに顔を見合わせた。

 自分達より強い異星人達が恐れる魔王。

 そんなものに対抗しろ、仲間になれと言われも困ってしまう。

 だが特使はそんな事情を無視して説明を続けた。


「あなた方は最低限ではありますが、我々と同じレベルに達しました。これで宇宙条約に基づき、接触が可能となった。必要な技術は我々から提供します。ですからお願いです。地球内部での争いをやめ、我らと共に魔王と戦って下さい」


 その声には嘘と思えない真摯さと必死さがこもっていた。


「いや、その……そう急に言われましても。そもそも魔王とは何なのです? あなた方のような強力な兵器を持つ方々でも勝てないのですか?」

「魔王とは、全ての知的生命体を星ごと消滅させている存在です。数千年前から活動を確認され、今やこの銀河系にいる知的生命体のほぼ全てが滅ぼされました。彼と彼の軍団は知的生命体を星ごと光に変えてしまう力を持っているのです」


 そう言って特使は首を振る。

 そして手をかざすと空中に幾つもの立体映像が現れる。

 いずれも宇宙空間での戦闘と、星が何らかの力によって光に変換される光景だった。


「悔しいことに、我々の艦隊はこの銀河系で最後の戦力です。今お見せしたように、我々の星は既に無いのです。近々、地球もその対象となるでしょう。時間がありません。どうぞご協力をお願いします。今すぐに地球人も、この宇宙を救う戦いに参加していただきたい」


 特使は地球の習慣に合わせたのか、綺麗なお辞儀をして見せた。

 地球代表達は一度持ち帰らせて欲しいと答え、国際会議を開いて連日に渡って協議した。

 特使の持ち出した話はにわかには信じがたい。

 だが、相手の力は圧倒的だ。NOと言えば、どんな報復を受けるか分からない。

 そんな会議場に科学者達が集団で押しかけた。


「大変です。ここ数日の間に、観測可能な星系が突然発光した後に消滅する事象が多発しています。いずれも知的生命体の存在可能性が検討されていた星です。特使の持ち込んだ話は、もしかすると事実であるかもしれない」


 慌てて特使に確認すると、YESという答えが返ってきた。


「その通りです。彼らは既に地球の近傍まで迫っています。ワープ航法を使いながら、押し寄せてきます。おそらく、数十年以内には地球に到着するでしょう」

「そんな、それではこの地球も、光に変えられてしまうのですか?」


 地球代表の一人が顔を真っ青に変えて尋ねる。


「はい。これまでの経験から、先ず間違いありません。だからこそ、我々に協力していただきたいのです。前にも申し上げたように、我々の持つ技術は全てご提供します。ですから、奴らが来る前に戦闘態勢を整えて欲しいのです。そして、一緒に戦って下さい。同じ銀河系に住む仲間として」


 地球側にはもう、嫌が応もなかった。

 暫定ではあるが地球統一政府を作り、地球宇宙軍艦隊の創設を急いだ。

 宇宙空間を自在に航行できる宇宙船、ワープ航法をより効率的に使う技術、水爆をも超える強力な兵器、それらの技術が異星人達からもたらされた。

 全産業が地球軍の創設にリソースを割き、また全人類から地球軍兵士が徴募された。地球全体の危機なのだ。多少、宗教や主義主張の違いなどがあっても揉めている時ではない。


 アラトは小学生の頃に異星人来訪と魔王の存在を知り、子供心に戦わねばならないと思った。彼は高校を出ると地球軍の士官学校に入り、優秀な成績を収めて、尉官として軍人となった。

 アラトが少佐になる頃、ついに魔王軍の先遣隊との間に実戦の火蓋が切られた。

 すさまじい戦いだった。

 多くの戦友を失った。地球人も、異星人達も。

 誰もが「魔王軍を倒してくれ」、「宇宙に平和を」と言い残して死んでいった。

 涙をこらえながらアラトは生き延び続けた。

 彼らの死を無駄には出来ない。

 アラトは常に前線に出て、実績を上げた。魔王軍の行動パターンを見抜き、数千隻の魔王軍を殲滅したこともあった。

 何時の間にか、アラトは地球の『勇者』、『英雄』と呼ばれるようになった。

 そして、今では元帥となり、地球軍艦隊10万隻を預かる艦隊司令にまで昇進していた。

 異星人達の協力により、地球人は僅か20年でそれだけの戦力を蓄えたのだ。

 異星人との連合艦隊は規模にして20数万隻にまで膨れ上がった。

 それでも彼我の戦力差は5対1はある。

 ランチェスターの法則を持ち出すまでもなく、圧倒的な戦力差だ。

 だが、勝機が無いわけでは無い。

 魔王軍の要は魔王自身だ。

 彼を討ち取ってしまえば、魔王軍は瓦解する。

 アラトは連合艦隊総司令部と何度も作戦会議を行い、狙いを魔王一人に絞ることにした。

 魔王は特定の乗艦をもたず、宇宙空間に一人で浮かんでいる。

 連合艦隊の誰でも良い、魔王に自分達の矛を届かせるのだ。

 この作戦は指揮官だけではなく、全兵士に通達された。

 もとより生きるか死ぬかの戦いだ。

 兵士達には一切の躊躇もなかった。

 そんな彼らをアラトは誇らしく思う。



「魔王軍艦隊本体、光学兵器の有効射程まで10光秒。接触は90分後と推測」

「短距離ワープによる急襲の兆候は?」


 オペレータの報告に、アラトは質問で返す。


「はい。いいえ、司令官閣下。現在、敵艦隊の周辺空間に歪曲率の変化は見られません。観測チームによると、この宙域は魔王軍の位相攪乱で短距離ワープが封じられているようです。サブライトでの接近以外に手はないと考えます」

「そうか。なら奴らの性質上、急襲はないだろう。おそらく通常の、正面からの戦闘に入ることになる。各艦に通信。作戦計画は基本通り。現場の判断は中級指揮官に委ねる。ただし、常に連携を怠らないように」


 そして思い出したように付け加える。


「営倉を空にしても構わんから、兵士達に美味いコーヒーと煙草を振る舞うように。景気づけだ、多少の飲酒なら構わんとも伝えてくれ」

「はい。承知しました」


 オペレータがすぐさま麾下の艦隊に指示を伝える。

 それを見ていた従卒がそっと近づいてきた。


「閣下もいかがですか?」

「ああ、私にもウィスキーを1フィンガー、ストレートで。あとお気に入りの葉巻を取ってきてくれ。グラスは二つ。君も一緒にどうだい?」

「はい、閣下。喜んでご相伴致します」


 そう言って敬礼すると、従卒はアラトの個室に向けて歩き出した。

 その背中を見送ると、友軍から通信が入る。

 艦橋に現れたのは、各星の艦隊司令官達の立体映像だ。この20年共に戦ってきた戦友達である。


『戦の前に嗜好品を嗜むのは、地球の儀式だったかな?』

「ああ。諸君らも色々とあるのだろう?」

『我が星では、戦の前に瞑想を行うぞ』

『うちでは、戦の神に祈りを捧げるよ』

『我々は……』

『『『お前は言わなくて良い』』』


 彼の星の習わしでは、戦闘の前に生殖行為をするのだ。それも好き合っている番とではなく、その辺にいる誰とでも、年齢、性別を問わずだ。皆それを知っているので、一斉につっこみをいれた。これも、長らく一緒に戦う間に出来上がった儀式のようなものだ。


「閣下、お持ちしました」


 従卒がグラスとボトルと葉巻ケース一式を持ってやってきた。

 走ったのだろう。軽く息が弾んでいる。

 アラトはウィスキーをグラスに少し注ぐと、戦友達に向かってグラスを掲げた。


「我らに勝利を。宇宙に平和を」

『『『宇宙に平和を!』』』



************



「連合艦隊全艦突入開始より10分経過! くさび形陣形で魔王軍中央にいる魔王を目指しています!」

「遮蔽シールドの負荷が、限界値の半分まで上昇! このままでは10分ももちません!」

「戦闘に不要なブロックへのエネルギー供給を全てカット。遮蔽シールドに廻せ!」


 艦橋では怒号が飛び交っている。

 連合艦隊は一本の槍のように魔王に向けて突撃している。

 遮蔽シールドは主に前方に展開しているので、上下左右からの攻撃を受けてしまう。

 一応、装甲の厚い防御艦を外側に配置しているが、そう長くは保たないだろう。

 救いがあるとすれば、魔王軍の外縁部にいる艦からの攻撃が来ないことだ。

 数が多いが故に、一点突破を図る連合軍相手だと、味方を撃ちかねないため遊兵が出来てしまうのだ。連合軍に攻撃できるのは、連合軍と直接接触している艦艇だけだった。

 艦隊の布陣や運用に関しては、どうやら地球軍がもっとも優れているらしい。皮肉なことに、内輪の戦いを数千年も続けてきた蓄積があるからだろう。

 既に魔王軍の中心にいる魔王までの距離を半分に詰めた。


「あと少し、あと少しだ! 何とか耐えてくれ。そして魔王に一発くれてやれ!」


 アラトが声を荒げる。

 そこへ隣に布陣していた艦隊から通信が入る。


『……よう、アラト。そっちの様子はどうだ?』

「まあまあだな。あと少しだ、相棒。魔王の奴に一撃入れるまでお互い頑張ろうぜ」


 戦友の姿を見て安心したのか、アラトの口調が砕けたものになる。

 だが、直ぐにアラトの顔色が変わる。

 相棒と呼んだ戦友の腹から大量の出血があることに気がついたのだ。


「お前、その傷は?」

『さっき、激しいのを一発食らってまってな。こっちの艦橋はボロボロだ。正直、そう長くは保たん』

「何を言ってる。お前は何時も、自分は不死身だと言ってただろうが。ここまで来て弱音を吐くんじゃねえ」

『へっ。俺の墓にはそう書いておいてくれよ。アラト、俺たちの艦隊が前に出て攻撃を引き受ける。お前らはなるべく無傷で魔王のところへたどり着け』

「バカを言うな。むしろこっちの背後に回れ。遠距離攻撃に切り替えて支援をくれれば良い」

『忘れたのか、アラト。地球軍の艦艇は、俺たちが最高の技術を提供して作り上げた、最強の船なんだぜ。それをこんなところで傷物に出来るかよ』

「だが……」

『頼むよ、アラト。俺たちは生まれた星を失っちまった。奴らに奪われた。もう帰る場所がないんだ。だがお前ら地球人は違う。まだ地球が残っている。帰れる場所があるんだ。絶対に守れ。お前の星を。お前の家族を、同胞を』


 アラトは答えに詰まった。

(こいつは、死に場所を求めていたのか……)


「閣下! 連合艦隊の一部が我が艦隊の前に出ました! 遮蔽シールドを全開にして魔王軍の攻撃を防いでくれています!」


 オペレータが報告を挙げてくる。

 アラトは一瞬目をつむると、すぐさま指示を出した。


「地球艦隊は友軍を盾にこのまま前進する。彼らの厚意を無駄にするな。絶対魔王にたどり着くぞ!」

「はい、閣下! 全軍へ通達。このまま進軍。友軍の隙間から魔王軍を狙い撃て!」

『……そうだ、良いぞ相棒。それでいい。俺の拳は魔王に届かん。代わりにお前が魔王をぶん殴れ……あとは、任――』


 通信が途絶えた。と同時に前方で大きな爆発が起きた。

 長年、共に死線をくぐり抜けた友。色々な記憶が甦る。だが、アラトは地球軍の司令官だ。私情を挟む余裕などない。すぐさま思考を切り替える。


「魔王までの距離は? 時間的距離で教えてくれ」

「はい、閣下。このままの進軍速度なら、3分もしないうちに魔王を射程内に捉えられます!」

「よし、全軍に通達。防御は友軍に任せる。我が艦隊は遮蔽シールドを最小限にし、光学系兵器にエネルギーを廻せ。実体弾も用意。射程に入り次第、ありったけの量を魔王にたたき込め。ここで出し惜しみをするなよ!」

「了解です、閣下! 全軍へ通達します」


 次々と友軍が撃破されるが、その隙間を埋めるように別の艦艇が前方を埋めて、盾になってくれる。

 地球軍兵士の誰もが、その姿に拳を振るわせ、怒りを新たにした。この怒りは魔王にぶつけるしかないのだ。


「敵陣突破! 魔王がいる光空間を視認! 間もなく、光学系兵器の射程です!」

「射程に入り次第斉射する。全艦、データリンクでタイミングを合わせろ」


 アラトの指示が艦隊全体に行き渡る。

 そして魔王を射程に捉えた瞬間、地球軍10万隻から弾着を合わせるタイミングで光学系兵器が発射された。

 その総エネルギー量は、オーストラリア大陸をも消滅させるほどの膨大さだった。

 魔王は他の異星人同様、直立歩行型の姿をしている。身長は8mほどだ。そこにそれだけのエネルギーがたたき込まれたのだ。

 魔王の肉体は、瞬間的に蒸発し、分子や原子どころか陽子や中性子すら崩壊してしまう――筈だった。


「……そんなバカな」


 呆然とするオペレータをアラトは怒鳴りつけた。


「何をしている。結果を報告せよ!」

「――っは、はい! 魔王に変化無し。あ、いえ、観測チームから連絡です。光学系兵器のエネルギーが魔王に届く前に消滅。信じられませんが、魔王の周辺にも何の影響も出ていません」

「エネルギー保存則をねじ曲げたのか? さすが魔王様と言うところか」

「観測チームの推測では、照射エネルギーは魔王周辺の真空へ結合し、局所的な基底の再正規化に吸収された可能性が高いとのことです」

「構わん、実体弾も射程に入り次第続けてぶっ放せ。ここが踏ん張りどころだぞ」

「はっ。実体弾射程に入り次第斉射します!」


 直ぐに船体が実体弾発射の反動で揺れる。

 さらに誘導弾も次々発射されるのが見える。

 その時、アラトの、そして連合艦隊の全兵士の頭脳に直接話しかけてくる声が聞こえた。

 それはとても優しく、慈愛に満ちた声のように感じられる。


『迷えるもの達よ。もう諦めなさい』


「なんだ、これは?!」そう言う声で艦隊中がざわめいた。

 アラトが代表してその声に応える。


「この声は、まさか魔王か?!」

『然り。我は今、この宙域の全知的生命体に思念を送っている』

「何のつもりだ? 今更命乞いか? それなら残念だな。地球人も連合艦隊の連中も、お前を許す気はさらさら無いんだ。幾つもの星を滅ぼした報いを受けろ!」


 アラトの言葉に艦橋にいる全員が頷いた。

 魔王経由で伝わっているのか、他の艦隊からも『その通りだ!』という通信が入ってくる。


『否。我を滅ぼすことは、我以外の何者にも出来ない。戦って苦痛を覚えるのはそなたらだ。だから提案する。戦闘をやめよ。そして静かに消失の時を待つがよい。そして消えることを幸いであると理解するのだ。さすれば苦痛はなく、安寧を得られるであろう』


 アラトをはじめとした全員の思考が一瞬固まった。

 何を言っているのだ、こいつは?

 消失が安寧だと? 

 だが、直ぐに我に返ったアラトは静かな怒りを込めて、艦橋のモニタから見える光を、その中にいるであろう魔王に言い返した。


「死が救いだとでも言うのか? あいにくだが、俺たちは虐殺されることをよしとする宗教観は持ち合わせていないのでな、お前の言うことが全く理解できない。それとも、さすが『魔王』様、とでも言って欲しいのか?」


 全兵士もそれぞれの持ち場で強く頷いていた。

 アラトの従卒も、普段の礼儀正しさをかなぐり捨てて怒りを表してる。


『そなたたちは我を「魔王」と呼ぶが、それは悪を意味するものと理解している。であれば、我は魔王ではない』


「じゃあ、何だって言うんだ」


『覚醒者である』


「覚醒者?」


『然り。我は長年の修行の末、ついに苦しみから解放される手段を発見した』


「……まさか、それが星と知的生命体を滅ぼすことだと?」


『然り。知的生命体が存在するからこそ、苦しみがあるのだ。ならば、苦しみの連鎖を断つためには、この宇宙をエネルギーに変えてしまうのがもっともよい方法だ。物質の存在は生命を作り出し、生命は進化して知的存在へとなる。故に全てをエネルギーに変えてしまえば、知的生命体は生まれてこなくなる』


 アラトは怒りの余り持っていたグラスと葉巻を床に投げつけた。


「ふざけるな! 貴様のそのいかれた理屈で宇宙中の生命を殺しまくっているというのか! 生命は生き続けることが使命であり、存在理由なんだ!」


『なぜ、あらがう? 我が真の力を発揮するには、そなた達知的生命体の抵抗する思念が邪魔なのだ。我の意思を受け入れるのであれば、わざわざ攻撃して滅ぼしたりしないものを』


 魔王が不思議そうな声で尋ねる。


『我が求めるのは、究極の穏やかな世界。

 全ての物質を光子エネルギーに変えることで物質の輪廻はなくなり、命も無くなる。

 苦しむ心もなくなる。

 世界に静寂が訪れる。

 もう全ての生命は苦しむことも悩むこともない」


 完全に狂っている。アラトは、こいつとの対話は無意味だと感じていた。だが、それでも言わずにはいられない。怒りが収まらないのだ。


「今、お前に従って戦っている魔王軍はどうする? あいつらも殺すのか?」


『然り。あの者らにも、いずれ生の苦しみからの解放が与えられる。

 その為に、我の配下として従ってくれている。

 我が本願が成就したとき、全てがなくなる。

 全ての物質が光になったあとも宇宙は加速膨張を続けていくだろう。

 そして輝くだけの世界は、宇宙の加速膨張に伴い暗き世界へと至るだろう。

 残るのはごく稀に通過する光子のような無質量粒子と場の揺らぎだけ。

 変化がない世界では時間も意味をなさなくなる。

 これぞ真の平和。

 我が目指す究極の安寧。

 すなわち涅槃である』


「この糞野郎! 生きることに苦痛があっても、いずれ寿命を迎えると分かっても、生の中に幸せを見つけ、次世代に受け継ぎたいんだ! お前の勝手な願望とやらに巻き込むな!」


『なにゆえ、そなたらは生に執着する?

 今、活動している恒星もいずれ寿命を迎え、輝きを失う。

 そこに住む生命達もいずれは終焉を迎える。

 どうせ滅びるのだ。

 なら、苦痛をなるべく早く取り去ることこそが、我の役割である』


「いずれ死ぬなら、最初から生まれてくる必要も無いと?」


『然り。

 この宇宙を見よ。

 あらゆる方角から、生命の苦しみが伝わってくる。

 我はこれを見逃すことが出来ない。

 彼らを苦痛から解放しなくてはならない。

 いずれ終わるものなら、なぜ苦を長引かせる? 今ここで解き放つのが慈悲だ』


 アラトは食い下がる。


「ならば喜びは? 母の笑みも、友と交わす誓いも、すべて無意味だと?」


『喜びも、愛情も、友情も、全ては何時か消えるうたかたの存在。永遠に続くこの宇宙でどれほどの意味があるというのか。執着を捨てよ、さすれば永遠の安寧に至れるであろう』


 魔王の言葉は静かで、狂気と諦念と、そして慈悲に満ちていた。


「違う、そんなことはない。俺たちの、仲間達の未来を奪わないでくれ!」


 アラトが懇願にも思える絶叫を放った時、魔王軍の放った光学兵器がアラトがいる艦橋を貫いた。

 次の瞬間、船自体が爆発する。

 他の地球軍艦隊も次々に撃ち落とされ、ついに連合艦隊は全滅した。

 一人の生存者も残さず。


 その様子を見て魔王は静かに微笑んだ。


『嘆くことはない。皆いずれ、安寧に至れるのだから』



************



 アラトを含めた宇宙連合艦隊最後の抵抗も終わり、すべての船が光に変わった。

 それを見届けた魔王軍は次に地球を包囲殲滅し、全ての人類が死に絶えた。

 地球が全宇宙で知的生命体が生存する最後の惑星だった。

 魔王は自分に抵抗する思念が宇宙に無くなったことを確認し、満足そうに微笑んだ。

 そして配下達にねぎらいの言葉をかける。


『よくやった、我が配下達よ』


 ――ああ、覚醒者様、覚醒者様。御身の願いは成就しました。

 ――ああ、覚醒者様。我らにも慈悲をお与え下さい。

 ――お慈悲を! 安らぎを! 静寂を!


 配下達から、祈りとも懇願とも取れる思念や声が届く。

 彼はそれを聞いて、静かに頷く。


『そなたらの役目は終わった。長らくご苦労だった。疾く、光へと還るがよい』


 その言葉を聞いた配下達は、歓喜の声を上げつつ光へと変換された。

 そして魔王は全ての力を振るい、全宇宙の物質を光へと変えた。


 もう銀河も惑星も、生命も存在しない。

 全宇宙に光子だけが漂い、場だけが存在している。

 光子は均等にならされ、物質が再構成されることもない。

 場の揺らぎもごく小さく、宇宙規模では何もないに等しくなった。

 薄く光り輝く宇宙。

 その静寂の中心に、魔王だけが残っていた。


『熱的死は達せられた。これで全ての苦悩は消えた。あとは我が身を光と化すのみ……』


 その言葉と共に彼の輪郭が少しずつ崩れ、光の粒となって散っていく。


『宇宙は加速膨張している。宇宙が広がるにつれ光子の密度は減り、光の波長は引き延ばされて光すらも見えなくなり、やがて真の闇に至る。これぞまさに涅槃……』


 彼には一つだけ懸念があったが、それが起きる可能性は無限に小さかった。

 最後に残った声は、祈りのように響いた。


『宇宙が安寧の闇に満たされんことを』


 そして魔王は消滅した。

 残されたのは光の海だけ。

 だが魔王が放った最後の言葉。

 その力が光に満ちた世界に一つの波紋を残した。

 波紋は場の揺らぎに影響を与えた。

 かすかな振動。

 小さな小さな、本当に小さな領域。

 量子よりも小さく、大きさを測ることも不可能な小さな空間に小さな亀裂を生み出した。


 次の瞬間、魔王が抱いた僅かな懸念――相転移が起こった。

 相転移の核が生まれ、新たな真空が時空を呑み込む速度で膨らんだ。閃光は因果地平線の彼方にまで見かけ上同時に立ち上がり、宇宙を満たした。


 ビッグバン。


 こうして新たな宇宙が始まった。



************



 時は流れ、新たな宇宙に知的生命が芽吹いた。

 彼らは夜空を見上げ、不思議に思う。


「なぜ世界はあるのか。なぜ光はここにあるのか」


 彼らは答えを知らなかった。

 前の宇宙の記憶も記録も、何ひとつ残されていなかったのだから。


 だが想像した。

 朝に太陽が昇り、昼に空から雨が降り、夜は満天の星々がきらめく。

 何と美しいのだろう。

 山が噴火し、雷が落ち、濁流が大地を削る。

 何と畏れ多いことだろう。

 自分達の住む世界が自然に出来たなど、とても思えない。

 だから彼らは考えた。

 かつて偉大なる存在が、この宇宙をお作りになったのだ、と。

 その存在にすがり、あがめ、許しを請うた。


 そしてその存在に名を与えた。


 ――『神』と。



~了~

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