第9話
翌朝、いつものように起きると、お母さんが難しそうな表情をして、椅子に座っていた。
「あれ、どうしたの?」
私はベッドから下りて、お母さんに問いかけた。
「それが、昨夜の冒険者たちがまだ里の近くにいるみたいで、里の外に出られないようです。あなたは転移のオーブがあるので問題ないでしょうが、長からこの事で例外なく里からの外出が禁止されています。あなたも、今日は休みなさい」
お母さんがため息を吐いた。
「なるほど、分かった。今日は薬草園の手入れだけするよ」
私は笑った。
「笑い事ではありません。里全体が非常態勢です。変な事をしないように」
お母さんがまたため息を吐いた。
「その冒険者たちは、ただ道に迷っているだけだと思うけどな。まあ、この里の所在がバレるとまずいから、警戒するのは分かるけど」
もし、人間にこの里の場所を知られてしまったら、安全保障の観点から、丸ごとどこかに移転する必要がある。
それを防ぐために、みんなが躍起になるのは当然だった。
「私もただ迷っているだけだと思いますが、ここを知られるわけにはいきません。長が警戒態勢を指示するのは当たり前でしょう」
お母さんが、小さく笑った。
「まあ、結界もあるし大丈夫じゃない。そんな事より、朝ごはんにしようよ」
私は笑った。
里の近くにいる冒険者たちの情報は、定期的に長の元に届いているらしく、お昼の少し前というこの時間でも、まだ動いていないという話が聞こえていた。
「完全に遭難だね。動かないんじゃなくて、動けないんだ」
薬草の手入れをしながら、私は小さく息を吐いた。
今頃は、お父さんが隊長を努めている警備隊が、つかず離れずそっと包囲して、様子を伺っている事だろう。
いずれは道案内して森の外に連れ出すだろうが、動かないということは、なにか問題が起きているのかもしれない。
なんにせよ、私が出来る事はなかった。
「さて、これでいいかな。ハレイヤ草が、よく育ったね」
私は笑った。
その葉はうっかり触るとなかなか取れない、粘着質の液を出すという変わった特徴を持つこの薬草は、育てるのが比較的難しい。
この粘液を集めて少し魔法で加工すると、肌荒れによく効く薬が出来る。
「さて、家に戻ろう。みんな出てこないし、一人で里をウロウロしてもつまらないしね」
私は薬草園から家に戻り、昼ごはんの支度をしていたお母さんに、調剤室に行く事を伝えた。
そのまま調剤室に入った私は、店に持ち込むべく、傷のポーションを作る作業に掛かった。
「とりあえず、十本くらい作ればいいかな。量産し過ぎると、廃棄処分になっちゃうから」
このポーションは、そのまま販売するためではなく、怪我人が運びこまれた時に備えたもので、販売用とは使っている薬草が違う。
効果は抜群だが、知識がない人が使うと、治癒するどころか、かえって怪我を悪化させてしまう恐れがある。
危ない上に値段も高くなってしまうので、私は販売用のポーションと分けて用意しているのだ。
「よし、こんなもんか」
私は処置用のポーションを十本作り、一息入れる事にした。
調剤室に置いてある椅子に腰を下ろし、背もたれに思い切り身を任せて伸びをすると、扉がノックされて、お母さんが入ってきた。
「パトラ、お昼の支度が終わりましたよ。早く済ませてしまいましょう」
お母さんは笑みを浮かべた。
「うん、分かった。ちょうど、休憩中だったんだよ」
私は椅子から立ち上がり、お母さんと居間に移動した。
テーブルの上には、湯気を立てる煮込み料理がお皿に盛られていて、いい匂いが部屋を占めていた。
「パトラ、薬作りはどうですか?」
お母さんが問いかけてきた。
「うん、特に問題ないよ。薬草は十分あるし、冒険者騒ぎが終わったら、すぐにでも店に行くつもりだよ」
私は笑った。
雑談を交えながらお母さんと昼ごはんを食べ終えると、私は何の気なしに家の外に出た。
相変わらず誰も歩いてなく、里全体に不思議な静けさが満ちていた。
「こりゃ息が詰まるね。早く解決すればいいけど」
私は一人言を呟いた。
散歩でもしようかと思ったが、なにかそんな感じの空気でもなかったため、私はすぐに家に入った。
「お母さん、また薬作りをするから調剤室にいくよ。なにかあったら教えてね」
私は居間のテーブルでお茶を飲んでいたお母さんに声をかけ、再び調剤室に籠もった。
「売るつもりはないけど、作らないと腕が鈍っちゃうから、ハイポーションでも精製しようかな。えっと、材料は…」
調剤室の棚や引き出しを開けて材料を集め、私は作業を開始した。
通常、ハイポーションの精製は一時間くらいかかるが、私は独自の技術で三十分で一本作る事が出来る。
十本ほど作ったところで、あっという間に一日が終わってしまった。
「店にいかないと、こんな簡単に一日が終わっちゃうんだね。薬作りは楽しいけど、なんだか寂しいな」
私は苦笑した。
翌日、夜明けと共に長の使いが里の各家を回り、相変わらず冒険者たちが動かないので、警備隊を使って森の外まで誘導する事になったという情報が入った。
「これで、やっと気が休みますね。よかった」
お母さんが笑った。
「うん、今日も店に行けなかったら嫌だったからね。お父さんたちが頑張れば、なんとかなるかな」
私は笑った。
日頃から人間社会に触れている私はそうでもないが、そもそも人間を見たことすらなく、様々な悪評だけ聞いている者がほとんどで、エルフにとって人間は脅威以外のなにものでもなかった。
里を封鎖してまで、冒険者たちの接近を警戒しているのが、その現れである。
朝ごはんを食べて居間でお母さんと雑談していると、また長の使いがやってきて、冒険者たちを森の外まで誘導する作業が始まったとの事だった。
里の封鎖も解かれ、私は店に行けるようになった。
「よし、お母さん。店に行くよ」
私は家から飛び出し、薬草園から手早く薬草各種をかき集めて準備を済ませ、そのまま店と転移した。
大急ぎで開店準備を済ませ、私はシャッターを開けた。
すっかり出遅れてしまい、時刻はあと二時間でお昼という感じだった。
「やれやれ、今からお客さん来るかな」
もうすぐやってくるお昼のピーク時間には間に合ったが、正直、今日はあまりお客さんがこないかもしれない。
まあ、里から出られなかった事が原因ではあったが、私は少し寂しかった。
開店後、しばらくして人間ではなく、リザードマンという失礼な言い方をすれば、二足歩行する大きなトカゲともいうべき種族の三人組がやってきた。
「やあ、ここは薬屋かい?」
リザードマンの一人が、気軽な調子で声をかけてきた。
「はい、そうです。どこか怪我でもされましたか?」
私は笑った。
「いや、そうではない。人間の店の中にエルフがやっている店があったから、どんなものか覗きにきたんだ。挨拶代わりに、傷の薬草を売ってくれ」
リザードマンの一人が笑みを浮かべた。
「分かりました。えっと…」
私は商品棚の薬草を取り、紙袋に詰めてそのリザードマンに手渡した。
代金をもらうと、私は笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。旅の途中ですか?」
私が問いかけると、リザードマンの一人が笑った。
「ああ、北方の同胞に会うために旅をしているんだ。人間の社会は、我々亜人にとって、なかなか疲れるものだね」
リザードマンが笑った。
「そうですね。一度ルールを覚えると、比較的浮かなくて済むのですが、これが大変なんですよね」
私たちエルフも、人間からみたら亜人の一種だ。
外見上の特徴があまり変わらないエルフでもどこか肩身が狭いのに、そのままトカゲのリザードマンにとっては、もっと苦労をする事だろう。
「そうなんだ。宿を取るのも大変だし、食事も一苦労する。どこも、この姿だけで拒否されてしまうんだよ」
リザードマンの一人が笑った。
「それ分かりますよ。私も、ここにこの店を開いた時は、石を投げられる事もあった程ですからね」
私は苦笑した。
まあ、開店当初はそんな事もあった。
今となっては、それもいい思い出である。
「そうか、やはり苦労したんだな。人間ももうちょっと頭が柔軟になってくれるといいんだがな」
リザードマンの一人が笑った。
「それは、お互い様なのかもしれませんよ。まあ、私はあまり種族は気にしませんが」
私は笑った。
「そうかもしれんな。よし、我々はもう出発する。また会おう」
リザードマンたちが出ていき、店は静かになった。
「この辺りで、人間以外の種族を見かけるのは珍しいな」
私は笑って、陳列棚を整理した。
「さて、次はどんなお客さんかな」
などと呟いた時、店の外で大きな爆発音が聞こえた。
怒号と悲鳴が聞こえ、私はそっと店から出て様子を伺った。
すると、駐車場の隅で攻撃魔法の応酬をしている、五人組と七人組の人間たちが見えた。
「なんだか分からないけど、多分喧嘩だね。魔法を使うのは、ちょっと頂けないな」
私は小さく息を吐いた。
まあ、意見の衝突で熱くなる事は誰でもあると思うが、こんな場所で攻撃魔法の撃ち合いを始めるなど、さすがにやり過ぎだろう。
ややあって、パトロールの詰め所から大勢の隊員が飛び出てきて、争いの鎮静化をはじめた。
「詳しい事情は知らないけど、巻き込まれないようにしないとね。パトロールが動いたなら、もう問題はないね」
それだけ確認して、私は店に引っ込んだ。
外から聞こえる怒声や悲鳴はしばらく続き、いきなりフッと聞こえなくなった。
「やれやれ、終わったみたいだね。全く、なにがあったのやら」
私は苦笑した。
どんな事情にせよ、こんなところで攻撃魔法の撃ち合いなどやらかしたのだ。
今頃、パトロールからキツいお叱りを受けている事だろう。
「これで客足が遠のいちゃったら嫌だな。全く、迷惑な…」
私は小さく息を吐いた。
暇になってしまうかと思っていたが、この騒ぎに巻き込まれて怪我をした人たちが、ポツリポツリやってくるようになった。
ほとんどが軽傷で、傷のポーションを売って対応したが、骨折といった重傷者が運ばれてくると、私はベッドに寝かせて処置をした。
一連の波が終わる頃には、時刻は夕方になっていた。
「ふぅ、稼ぎにはなったか。喜ばしい事じゃないけど」
ちなみに、代金は全て一時的に怪我をした人が支払い、私が書いた領収書を元に、事件を起こした連中から、損害賠償としてお金を受け取るという話になっているらしい。
「全く、水増し請求してやったからいいか」
私は笑った。
通常料金に一割乗せた額を請求したが、これはお仕置きのためだ。
「全員で二十名弱か。その程度で済んでよかったよ」
私は苦笑した。
こうして、今日一日の営業が終わった。
外はすでに日が傾き、売れ筋の傷の薬草と解毒の薬草はまだ残っていたが、処置の連続で魔力が枯渇してしまったのだ。
「もったいないけど、ちょっと限界だから今日は閉めよう」
私は迷わずシャッターを下ろし、店内の片付けをはじめた。
鮮度を保てないので、余った薬草は全て廃棄処分にしなければならない。
ちょっと寂しかったが、これは妥協出来なかった。
「よし、片付いたね。里に帰ろう」
店内を整え、売り上げを数えて帳簿を付け、全ての撤収準備が完了したあと、私は里に転移した。
家に戻ってきた時には、すでに日は完全に落ちていた。
玄関の扉を開けて中に入ると、お母さんが椅子に座ってうたた寝をしていた。
「お母さん、ただいま」
私が笑うと、お母さんが目を覚ました。
「あら、遅かったわね…。よし、晩ごはんにしましょう。温め直せばすぐ出せます」
お母さんが笑った。
「そういえば、例の冒険者たちはどうなったの?」
私は気になっていた事を、お母さんに問いかけた。
「ああ、その話ですね。大丈夫です。お父さんが中心になって、冒険者たちを誘導しています。明日には、街道まで出られるだろうという話を聞いています」
お母さんが笑った。
「それはよかった。お母さん、お腹空いたよ」
私は笑った。
「はいはい、待っていなさい。なにか、疲れているようですね。晩ごはんを食べたら、もう休みなさい」
魔力枯渇状態を見抜かれたようで、お母さんが笑った。
「うん、そうする。ちょっとばかり、疲れる事があったんだ」
私は苦笑したのだった。
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