第7話 帰郷
日の業務が終わり、テーブルを拭いて片付けに入った頃合。
カランカランと鳴る入店の音に、ヘスは自然と目線がそちらへ向く。
そこに居たのは、見知った三人の顔。
ヘスは安堵の表情で、三人を迎える。
「お帰り、酷い顔だね。三人とも。」
「猿二匹とやり合ったんで。」
「首を刺されて背中も刺されたので。」
「肺に穴空いたからな。」
「おや、少し嫌味になってしまったか。
……ともかく、本日の任務お疲れ様。着替えてシャワーを浴びてきなよ。コーヒーは用意しておくからさ。」
「「「はーい。」」」
ヘスさんに促されるまま休憩室へと向かい、一人一人シャワーへと入る。
じゃんけんによって順番を決め、七さんと入れ替わりでシャワーに入る。
「ふぅ……」
シャワーヘッドから勢い良く流れ出す様を見ながら、夜音は何度も今日の出来事を反芻していた。
謎の神秘、妖刀、不明な勢力、ツクヨミの技……
壁に手をかけて温水を享受しながら、夜音は目を見開いて思案する。
物事が分からないのは好きだ。
それは、攻略する余地があるという裏返しなのだから。
でも、自分の好みを他者へと押し付ける訳にはいかない。
無知である事は好きだが、そのままでは周りに迷惑をかける。
「……知らないと。」
でなければ、きっと。
無知が祟って、周囲が壊れてしまうから。
____
カロンさんと入れ替わりで表に戻り、カウンターに用意されていた席へと着く。
「ヘスさーん、疲れました〜。」
「うんうん。お疲れ様夜音。
その物言いだと何かご褒美でも欲しいのかな?」
「え、良いんですか?」
「言うだけ言ってみると良いさ。」
「え、え〜と。それでは……」
夜音はカウンター席へとヘスを招いて、自分の膝に座らせると、その頬に手を伸ばし、モチモチと掴みながら愛おしそうにそれを続ける。
「……これかい?」
「これです。」
「そう……かい。」
「はい!!」
なんだかヘスさんは心底微妙そうな顔をしているが、よく分からない。
「ヘスさん、俺の分は……」
「あ、うん。七の報酬はいつもの通り。これだね。」
そう言って、頬をぷにぷにされながらヘスは懐から球状の何かを放り投げる。
「クロ。」
七の言葉に呼応して、黒い百足がその球体を一口で飲み込む。
そのまま七の首に巻きついて、七に撫でられて喜んでいるようにも見える。
「その百足は確か……」
「七の式神、黒百足の”クロ”。
報酬として、クロの餌を私が負担してるのさ。」
蠢き七に必死にしがみついている様子は、なんだか幼子の様。
「可愛いですね。」
咄嗟に、そんな言葉が出てしまった。
「おや、夜音もお目が高いね。この子は百足の中でも絶世の美少女だよ。」
百足に美少女……?
何言ってるんだこの人は。
「いや〜、なんだか照れるなぁ。」
「「なんで七(さん)が照れてるの(ですか)?」」
被った2人の言葉に呼応するように、クロも七の首を締め窒息させようと首を絞める。
だが死なないように加減してあるようで、苦悶の表情を浮かべながらも死ぬような気配では無い。
七を無視してヘスとイチャイチャしていると、シャワーから上がったのかカロンがタオルを頭に乗せながら裏から出てくる。
「さっぱりした。」
……ふむ。
それにしても、肉体も然る事乍ら良い顔だ。
乾ききって居ない姿を見ると、正しく水も滴るいい男、という言葉が良く似合う。
相も変わらずその肉体美は嫉妬心を抱く程に素晴らしい。
なんかガン見するのも失礼ですし、取り敢えず膝に乗せているヘスさんの顔でも向いて……
「(もじもじ」
「ヘスさん?」
「……なんだい?」
「いえ、なんか落ち着かなさそうって言うか、不満そう?と言いますか。」
「……別に。」
急に素っ気ない態度になったヘスを見て、夜音は数秒考えると一つの結論に達する。
まさか。
いつもは饒舌な人間が見せる塩らしさ、チラチラとカロンへと送る視線、やけに挙動不審な状態。
これは、恋をしている人の症状そのものでは?
そう思い至る。
つまり、ヘスさんはカロンさんの事が……
確認の為に片手で手招きしてツクヨミを呼び出す。
「(肯」
更に確定的な情報が欲しかったので、七に顔を向ける。
「うん。」
なんて、事だ。
そんな重要なことに気付かなかった、なんて。
衝撃が全身を駆け巡り、夜音の顔が青ざめる。
後悔。
ただその一つの感情によって、夜音は覚悟を決める。
……シャワーでの前言は撤回だ。
無知はクソです。
知らなければ面白みもない虚無そのもの。
故に……
戒めとして、刻みましょう。
無知を信仰していた愚か者として。
私は今から、無知を騙る賢者にはならないと。
___夜音は、カプ厨であった!!
「なんだ今のナレーション。」
「神からの啓示って奴?」
「…俗な神だな。」
そんなカロンとヘスのやり取りも、新生した夜音には尊く映る。
「ふふ、推しが推しと絡んでいる……!!
これなるは幸福論。」
「エナジイを燃やせよ。」
「確かに素顔で泣いて笑ってるけども。」
「幸福なのかね、これ。」
軽口の応酬も程々に、四人はゆったりコーヒータイムへと突入する。
少しの間雑談を挟み話題も無くなると、自然と仕事の話になる訳で。
「う〜ん、今回の黒幕について、ねぇ。」
「なんかあったか?」
「正直…無い。
あらゆる網を使っても、それらしい人物は見つからなかった。神秘側の戯言だと言い切りたい所だけどね。」
「特別その依頼人に忠誠心が高そうな言動をしていた訳でも無かったしな。
命乞いしてた訳だし、嘘は無いだろ。」
「ですよねぇ……」
疑問、それは多々あるものの、それ以上の推論を口に出すには証拠が足りなさすぎる。
煮詰まった会話、その隙間を縫って、夜音が切り出す。
「あの、ヘスさん。話が進まなさそうなので別の話をしても良いですか?」
「うん。良いよ、どうせこのまま考えても論は浮いたままだ。」
「えーと、一週間程、休みをいただけないでしょうか?」
「……?全然良いけど……どうしたんだい?」
夜音は事の経緯を簡単に皆へ説明する。
ツクヨミが父の剣術を使用していた事、それを調べる為に、実家へと帰省したいこと。
そして何より。
「そろそろ盆の時期なので、母の墓参りにでも行こうかと。」
「……そっか。」
優しい笑みを浮かべるヘスの視線が少し痛い。
「父への詰問のついで、ですけどね。」
「ふふ、なんとも冷たい娘だ。父は詰めて母は次いで、とは。」
「えぇ、そうです。私は冷たいんです。」
少女二人のイチャつきを男二人は同時に珈琲を飲んで見守っていると、不意にカロンは思いつく。
「それなら俺らも店一週間閉めるか。」
「……これまた急っすね。」
「夜音居ねぇと常連の爺共がキレて面倒なのが一つ。
学会の本部に顔出さねぇといけねぇのも一つだ。
ま、夜音と同じ次いでって奴だ。短い夏休みだと思えば良い。否定する奴は?」
カロンは欠伸しながらそう言い放ち、それにヘスはやれやれといった仕草をしながらも否定はしない。
七も同様、急な決定に驚きつつも異論は無いようだ。
「そんじゃ、決定だ。」
カロンはそう宣言する。
日が沈みかけにも関わらず、やけに店の中は明るく感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。
机に置いていたスマホの通知音が、場違いに鳴った。
____
電車に揺られ、どれ程の時間が過ぎたか。
腕時計をする習慣はなく、スマホの電源は道中の動画鑑賞とデイリーで尽きた。
車内のアナウンスに導かれるまま、最寄りの駅で降りて改札を通る。
田舎過ぎず都会過ぎず。
下町と数個の観光資源がある程度の市に、私は住んでいた。
歩き慣れていた筈の道を歩くが、なんだか違和感に感じる。
それを自覚し、あぁ私は巣立ったんだ、という自覚を得る。
行きつけのラーメン屋、毎日通っていた通学路、屯っていたコンビニ。
記憶を引っ張り出すと、やはりどうしてもその鮮明さが失われているが、それすらも味がある。
辺りを見回しながら思い出に浸っていた所に、最もその残香馨しい場所の匂いを感じ取る。
郷愁__それを五感で受けて、全身が緊張と弛緩を順当に行った事を理解する。
足が止まる。
門の前に居た人物を見て、自然と目が細まってしまったから。
「帰ったか、夜音」
「ただいまです、父さん。」
緊張感と安心感の両方が募る。
夜音に相対するは、厳かな雰囲気纏う和装の翁。
顔に刻まれた皺は深く、その表情から明るさは感じられない。
白く長い髭が、更に威圧感を演出している。
彼こそ我が父。
名を太刀塚彌圭と言う。
この家を出て、早二年。
喧嘩をする仲では無く、かと言って互いに親しくはない間柄。
平凡な父娘〈おやこ〉の関係そのものだが、昔から私達二人にはどこか独特の距離があった。
そのまま黙って二人で中に入って、居間の机で寛ぐ。
父は湯呑みを二つ出して片方を私に差し出すと、老眼鏡を掛け新聞を読み始める。
それが話題を切り出す時の癖であることは、とうの昔から知っていた。
「体に大事はないか?」
「えぇ。大丈夫です。家を出てから体調が悪いなんて事はありません。」
先日背中と喉刺されましたけど……
「そうか。
……以前から聞いていた同僚の方達とは、仲良くしているか?」
「はい。少し変わってますけど……
とっても良い人達で、毎日楽しいです。」
「そうか……うん、それなら良い。」
私もお茶を飲みながら、父に問う。
「……父さんも、体調は大丈夫ですか?」
「うむ。此方も変わりない。」
「そうですか……
あ、そうでした。この後家に翠と須磨が来るんですけど大丈夫ですか?」
「問題無い。
既に二人とのグループから報告済みだ。
だが出迎えをしたら直ぐに儂は家を出なければならん、町内会の定例会と買い出しがあるからな。」
なんでサラッと私の同級生と連絡先交換してグループ作ってる事暴露するんですかこの父親。
ツッコミどころ多すぎるでしょうが。
「娘の同級生とLINEグループ作ってるんですか?」
「discordサーバーだ。」
「凄い。私の脳が果てしなく理解を拒んでいる。」
「因みにアカウント名は刀狂老人卍だ。」
「流石私を育てた男、アカウント名のセンスがずば抜けている。」
心から感嘆し、今一度父に尊敬の念を抱く。
もう一度言おう。
至って普通の親子である。
互いにフレンド申請をした後、夜音は改まって向き直る。
「父さん、話があります。」
「……なんだ?」
父は相変わらず新聞を捲っているが、それは此方に興味が無いと言う訳では無いという事を、私は知っている。
「父さんは、”ツクヨミ”について何処まで知ってるんですか?」
あの時感じた既視感。
彼女の太刀筋は、幼い頃から見てきた父の太刀筋そのものだった。
「……知っている。と言ったら?」
「……さぁ、それは答えを聞いてからでないと何とも言えませんね。」
二人の間に、緊張が走る。
彌圭は瞳を閉じながら何かを考えたようであったが、直ぐに双眸を開けて夜音を見る。
「スマンが知らんな。ツクヨミがなんなのか誰なのか知るよしもないが、知っていたら儂に隠す理由も無い。」
「ならその含みのある言い方は何ですか……」
「黒幕のような台詞は爺の嗜みだ。」
相変わらずの茶目っ気に呆れていると、家にインターホンの鳴る音が響く。
玄関からは、聞きなれたおーいと言う声が聞こえて、はーいと返事をしながら玄関へ向かう。
二人の人影がすりガラス越しに見えて、9割方当たっているであろう予想を証明するために開き戸を開ける。
「お久、夜音。」
「……ひさしぶり。」
快活そうな方なこの馬鹿面は翠。学生時代はこの地域を牛耳っていた泣く子も黙る女総長だったが、卒業後からは大分丸くなったようだ。
その翠の後ろに重なっている大人しそうな方がアサ。実家で物書きとして活動している様だ。
アサの背が高く翠の背が低い為はみ出るなどという言葉が生温いし位置逆だろと毎度ツッコミたくなる。
が、久々の再開だ。
それには目を瞑ろう。
「うん。
久しぶりですね二人とも。
さ、中入って下さい。」
慣れた感じで居間に通すと、二人と父の目が合う。
「うっす彌圭さん。邪魔してまーす。」
そのまま翠が手を差し出してそれに彌圭はハイタッチを返すと、数回謎の腕組やら手話やらを交わして今度は須磨に向く。
「お邪魔してます彌圭さん。あの、もしよろしければこれを……」
そう言って渡されたのはタッパーに密閉された黄色い棒状の何か。
「態々こんな爺の為にありがとう。毎度この沢庵が楽しみでね。」
「そんな。いつもお世話になってますし……」
そんな友人二人と父のやり取りを見ていると、なんで父親の方が自分の友達と仲良いの?と学生時代と同じ疑問が再び沸く。
なんだかそれも懐かしくて、夜音は自然と顔が緩んでしまう。
「……さて。客人二人には悪いが、儂はこれから買い出しでな。久々の再開だ。
旧友同士昔話に花を咲かせると良い。
夜音、留守は頼んだ。」
そう言い残すと、彌圭は襖を閉めて家を出る。
相変わらずマイペースな人だ。
まぁ、もうそんなの慣れたものだが。
姿勢を崩しながらお茶を啜ると、ふと翠が浮かない顔をしている事に気付く。
「らしくないですね翠。
先程の馬鹿さ加減はどこへ行ったんですか?」
「おいコラ夜音コラ。誰がバカじゃ誰が。」
「おうおう怖いですね元ヤンは。
……でも悩んでるのは図星でしょう?
私にそれを気付かれた時点で、貴女は話すという選択肢しか無いんですよ。
さ、隠してないでちゃっちゃと話して下さい。」
苦い顔をしながらも翠は姿勢を整えて、事の経緯を話し始める。
「……ウチ弟居るだろ?」
「あ〜、私のゲームのセーブデータを消したあの弟君ですか。」
「そんな昔のこと覚えてるとか。夜音はやっぱり陰湿〜。」
「何か言いましたかアサ?」
首をブンブンと振っているが完全に聞こえていた為後で関節技は確定。
大人しい性格と顔して滅茶苦茶口悪いんですよねアサって……それが好きなんですけど。
「で、その弟が最近グレてだな。」
「血は争えないって奴ですね。」
「ヤンキー一家〜。」
「アサお前聞こえてるからな?
んで、そこまでは良いんだよ。若い時は誰でも反抗したくなるもんだし。
……だが最近、どうも様子がおかしい。」
「おかしい、とは?」
「……電話してる訳でもないのに一人の部屋で誰かに叫んでたり、怒ってるかと思えば急に怯えたり謝ったり。情緒不安定っていうか挙動不審なんだよな。
オマケに喧嘩っぱやくなってこっち殴ってくるし。
先週なんて、夜中の二時に家出て明け方に帰ってきたと思ったらバイクで事故って入院だぞ。
ウチの時でもそんな事してねぇっつの。」
「いやいや、学生時代家帰ってなかったですよね貴女。」
「あーあー、うるせうるせ。」
軽口を叩いていつも通りであると表面上は繕っているものの、この感じからして結構弟の事を心配しているようだ。
「翠、もし良ければですが。
私が調べてみましょうか?」
「え?夜音が?」
「はい。迷惑なら辞めますが……そうでないならさせてください。
……私達一応、親友ですし。」
「でも……」
「翠、わたしからもお願い。
悩んで顔を顰めてる翠なんて、弄りがいがなくて退屈。
私も手伝うから、ね?」
「……」
親友二人からの説得に折れたのか、一際大きなため息をつくと、翠は正座して頭を下げる。
「……迷惑は承知の上だ。頼んでも良いか?夜音、アサ。」
「任せてください。」
「任せて。」
その返事に安堵したのか、翠はゆっくり顔を上げてニカっと笑うと両手それぞれで私達の頭をワシワシと撫でる。
全く、困った親友だ。
その行動に学生時代を重ねて。
自然と、頬が緩んだ。
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