ある英雄の手記

星盤

第1話 旅立ち


1日目


王城の祭壇は薄暗く、聖剣だけが仄かに光を放っていた。


今日の出来事を書き留めておかなければならない。俺の名はレオン。平民の出だが、剣術にだけは自信があった。騎士団の入団試験で優秀な成績を収め、聖剣選定の儀に呼ばれた。候補者は俺を含めて12名。いずれも王国きっての精鋭だという。


聖剣クラディウスは1,000年前から王家の宝物庫に安置されてきた。魔王が復活した今、その封印を解く時が来たのだと老司祭は語った。候補者たちが1人ずつ柄に手を伸ばしていく。誰も持ち上げられない。失敗した騎士たちは口々に、鉛より重かったと言っていた。


俺の番が来た。正直、期待はしていなかった。だが手に取った瞬間、その軽さに驚いた。羽のようだった。いや、羽より軽かったかもしれない。


周囲がどよめき、俺が聖剣を頭上に掲げると、刀身の光が祭壇全体を照らした。王が玉座から立ち上がり、厳かに告げた。俺、レオンに魔王討伐の使命を託す。明朝、選りすぐりの仲間と共に出立せよ、と。


勇者——その重い称号が、今も俺の肩にのしかかっている。


夜になって、明日から共に旅をする仲間たちと顔合わせをした。


ジンは騎士団のホープで、俺より3つ年上らしい。よろしくな勇者様と笑いながら肩を叩いてきた。その手は温かく、本当の兄のような親しみやすさがあった。剣術の話になると目を輝かせ、いつでも稽古の相手をしてやると約束してくれた。


トーロはロイヤルガードの副隊長だという。寡黙な大男だが、俺の緊張を見て取ったのか、懐から小さな肖像画を取り出して見せてくれた。家族の絵だと言った。幼い娘が2人、満面の笑みで並んでいる。魔王を倒して必ず家族の元に帰るのだと、静かに語っていた。


ネルは情報局から派遣された女性だった。感情が読めない奴かと思ったが、意外にも世話焼きらしい。防寒用の外套だけでなく、旅に必要な道具一式を既に用意してくれていた。敵地の地形や気候、魔物の習性を記した手帳も渡された。聖剣以外の装備も大事だからと、淡々と、しかし妙に細かく説明してくれた。暗部の人間らしからぬ気配りだと思った。


メイラは神殿の高位僧侶で、俺と同い年らしい。勇者様と呼ばれることに慣れていない俺を見て、重圧に押しつぶされないでくださいねと心配そうに言っていた。その瞳には、既に俺の行く末を案じる色があった。これから先、きっと辛いこともあるだろうけれど、私たちがついていますからと。


適性のない者には鉛のように重い聖剣が、俺には羽のように軽い。この事実が何を意味するのか、まだ分からない。ただ、魔王を倒すという使命だけが、確かなものとして俺の前にある。


12日目


初陣から戻った。勝利と言っていいのだろうが、代償は大きかった。


魔王軍の前哨部隊との遭遇戦だった。敵の数は200ほど。将軍級のオーガが3体混じっていた。ジンが先陣を切り、トーロが盾となって味方を守った。ネルは姿を消したかと思うと、敵の背後から急所を突いた。情報局の訓練の賜物だろう。メイラの治癒術が、傷ついた仲間を癒していった。


聖剣は確かに強力だった。一振りで複数の魔物を切り裂き、その光は闇を払った。だが俺は、まだ聖剣の力を完全には制御できていなかった。オーガの一体が振り下ろした棍棒を受け止めた瞬間、左腕に激痛が走った。


気がつくと、左腕は肘から先がなくなっていた。


メイラが必死に止血してくれたが、失った腕は戻らない。ジンは自分を責めていた。もっと早く援護に入るべきだったと。トーロは無言で俺の肩に手を置いた。その重さが、彼なりの慰めだったのだと思う。


ネルは黙々と戦場を片付けながら、生身の限界があると呟いた。その声には、諦めとも違う、奇妙な納得があった。


王都に一時帰還し、宮廷魔導師たちの手で魔導義手を装着することになった。銀色の金属で作られた腕は、見た目は元の腕とさほど変わらない。だが触れてみると冷たく、関節の動きは機械的だった。


不思議なことに、聖剣とのつながりは以前より良くなった。義手を通じて剣の鼓動がより明確に伝わってくる。まるで剣と直接つながったような感覚だ。魔力の応答速度も向上し、剣技の精度は明らかに上がっている。


ネルが興味深そうに観察していた。予想通りだと言う。情報局では義体化した工作員の報告書を見たことがあるらしい。魔導義手は魔力の伝導率が生身より高く、反応速度も向上するのだという。これは弱点ではなく強化だと、事務的に告げた。


夜、ジンが部屋を訪ねてきた。義手に慣れるための稽古をしようと提案してくれた。兄貴分らしい気遣いだと思った。稽古の合間に、昔、自分も訓練で大怪我をしたことがあると話してくれた。あの時は立ち直れないと思ったが、仲間に支えられて今があるのだと。


メイラは毎日、義手の接合部を診てくれている。痛みはないかと何度も聞いてくる。大丈夫だと答えると、でも無理はしないでくださいねと心配そうに言う。


左手で触れた時の温もりは、もう感じられない。メイラの手の柔らかさも、ジンの肩を叩いた時の感触も、義手は伝えてくれない。けれど、剣を握る力は増した。それが今の俺に必要なことなのだと、自分に言い聞かせている。


40日目 


四天王の1人、断鎚将バルザンを討った。だが、その代償として両脚を失った。


バルザンは巨大な戦鎚を振るう魔将だった。その一撃は大地を砕き、衝撃波だけで人を吹き飛ばす。トーロの大盾でも完全には防げなかった。


戦闘は1時間に及んだ。ジンとトーロが前衛で敵の攻撃を引きつけ、ネルが死角から毒刃で切りつける。メイラは後方で回復に専念していたが、その顔は青ざめていた。消耗が激しすぎるのだ。


聖剣の一撃でバルザンの戦鎚を砕いた瞬間、勝利を確信した。だが奴は砕けた戦鎚の破片を蹴り上げ、俺の両脚を貫いた。骨が砕け、筋肉が千切れる感覚。痛みで意識が遠のきかけたが、最後の力を振り絞って聖剣を突き立てた。


バルザンは灰となって消えた。俺は、膝から下を失った両脚を見下ろしていた。


王都への帰還。今度は両脚に魔導義足を装着することになった。歩行だけでなく、跳躍力や踏み込みの速度は以前を上回るという。実際、初めて立ち上がった時、その安定感に驚いた。推進力も制動力も、生身の時より精密に制御できる。


だが、地面の感触は消えた。草を踏みしめる柔らかさも、石畳の固さも、もう感じない。歩幅は以前より正確になったが、それは機械的な正確さだ。


ジンが稽古に付き合ってくれた時、新しい脚にもう慣れたかと聞いてきた。慣れたと答えたが、本当は違う。これは慣れるものではなく、受け入れるものなのだ。


トーロは何も言わなかったが、訓練の時に俺の動きをじっと見ていた。そして小さく頷いて、いつも通り盾を構えた。彼なりの肯定だったのだと思う。


ネルは戦闘データを取っているらしく、義足の性能について細かく記録していた。次の戦闘に活かすためだという。感傷など入り込む余地もない合理性だが、それが今は心地よかった。


メイラは涙を堪えながら治療を続けてくれた。ごめんなさい、もっと早く回復できていればと謝っていた。違う、君のおかげで命がつながったのだと伝えたかったが、うまく言葉にできなかった。


夜、一人で歩いてみた。かつての歩幅の記憶が、義足の中で微かに疼く。機械的に同じ歩幅を刻む足と、かつて覚えている感覚のずれ。それでも歩けることに感謝すべきなのだろう。


聖剣との一体感は、さらに増している。まるで俺の体が、剣のための装置に作り変えられていくようだ。これが勇者の宿命なのだろうか。


明日も前に進む。魔王を倒すまで、何があっても。

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