🍂第26首 小倉山🍂
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
(貞信公)
バスを降りると、山の空気がひやりと肌にまとわりついた。
舗装の切れ目から湯気のような霧がのぼり、木の枝には朝の光がうすく滲んでいる。
祖母が昔、秋になると決まって話していた紅葉の名所。
もう遠出はできないというから、代わりに見てこようとひとりで来た。
坂道を上るたび、足もとで葉がかさりと鳴る。
湿った匂いと風の音が重なり合い、世界がゆっくり呼吸しているように思えた。
展望台に出ると、谷いっぱいに光が溢れていた。
赤や黄の葉が風に揺れ、太陽の角度で瞬き方が変わる。
まるで山そのものが、ひとときだけ目を覚ましているようだった。
スマホを構えながら、ふと思った。
もし祖母がここにいたら、どんな顔をしただろう。
その想像の中で、祖母の声がかすかに浮かんだ気がした。
「きれいやろ」――風がそう囁いたように聞こえた。
画面に映る景色は、どれも平らで、見たままの光はそこに留まらない。
シャッターを切るたび、音だけが静かに山に吸い込まれていく。
この光も、風も、同じ形ではもう二度と見られない。
そう思うと、指先が少し震えた。
けれど、それを悲しいとは思わなかった。
目を細めると、葉のあいだから射す光が白く瞬き、頬をやわらかく照らした。
一瞬のまばゆさの中に、たしかに祖母が好きだった季節の匂いがした。
帰ったら話そう。
言葉にならなくても、写真じゃ伝わらなくても、
この光のあたたかさだけはきっと覚えている。
山を下りるとき、背後で葉がさらりと音を立てた。
まるで、「よう来たね」と言ってくれたようだった。
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