🍁第24首 このたびは⛩️

このたびは ぬさもとりあへず 手向山

紅葉の錦 神のまにまに

(菅家)


靴紐を結び直すと、まだ夜の名残が残る空気が頬に刺さった。

大会当日の朝。

体育館が開くには早すぎて、落ち着かなくて、気づけばランニングシューズを履いて外に出ていた。


通い慣れた道も、早朝の光の中ではどこか違って見えた。

家の前の歩道に、紅葉が一枚落ちている。

昨日の雨で少し濡れていて、掌にのせると冷たい。

ポケットにそっとしまい、坂を下る。


息を整えながら走っていると、いつもの神社の鳥居が見えてきた。

部活帰りに何度も横を通ったのに、ちゃんと入るのは初めてだった。

境内は静かで、石畳の上に赤い葉が散っている。

手水の水面に指先を触れると、冷たさの中に光が揺れた。


「頼むぞ」と声に出そうとして、やめた。

勝ちたい気持ちはもちろんある。けれど、それ以上に、もうこの仲間たちと同じ時間を過ごせないことが怖かった。

あれこれ考えるうちに、言葉が見つからなくなった。


ポケットの中の紅葉を取り出す。

濡れた赤が、朝日の光を受けてほんの少し透けている。

それを石段の端にそっと置いた。

“ぬさもとりあへず”——そんな言葉がふと浮かぶ。

きちんとした願いも祈りも用意できないけれど、せめてこの一枚を、と思った。


風が吹いた。

紅葉がひらりと揺れて、鳥居の向こうへ転がっていく。

ああ、もう、流れに任せよう。

神さまのまにまに。結果も、時間も、全部。


帰り道、東の空がゆっくりと明るくなっていく。

街路樹の葉が光を透かして、オレンジ色の影を落とした。

足音と心臓の鼓動が同じリズムを刻む。

不思議と、体の中の余分な力が抜けていくのが分かった。


体育館に着くころには、部員たちの声が聞こえてきた。

「おーい新田!はやっ!」

「なんだよ、朝から走ってんのかよ!」

笑い声が重なり、空気があたたかくなる。


ユニフォームを着る手が、少しだけ震えていた。

でも、怖くはなかった。

胸の奥に、あの紅葉の色がまだ残っている。

あれを置いてきた分だけ、いまの自分を軽く感じた。


笛の音が鳴る。

コートに出る。

風がまた、背中を押した気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る