【1000字ホラー】桜の下には

山本倫木

桜の下には

 祖父の家にある桜の古木は、春が訪れるたび見事な花を咲かせる。ある年、祖父がぽつぽつと語ってくれた。あれはタロウが咲かせてくれているんだ、と。




 祖父は子供の頃、犬を飼っていた。名はタロウ。犬種は雑種。祖父とずっと一緒に育ったタロウは、祖父が十歳になる年に死んでしまった。まだペットの火葬が一般的ではない時代で、祖父は親の手を借り、泣きながら庭の桜の根元にタロウを葬った。桜が墓標になると教わったからだ。


 翌年の春、桜はかつてなく見事に咲いた。ある日、タロウの墓に手を合わせていた祖父に、お隣の奥さんが声をかけた。


「きれいね。うちの桜はまるで咲かないのに、すごいわねえ」


 その奥さんはどこか陰のある人で、季節を問わずいつも長袖のブラウスを着ていた。


「これは、タロウの花なんです」


 祖父は答えた。この下にタロウが眠っているのだと話すと、奥さんはかすかに笑った。


「そう。きれいな桜の下には、死体が埋まっているっていうものね」


 変なことを言うおばさんだ、と思った。けれど、その言葉は、奥さんの儚げな笑みとともに、不思議と祖父の心に深く刻み込まれた。




 私は縁側に並んで座っている祖父に目を移した。祖父はきつく目をつぶっていて、そこから何かしらの感情を読み取るには私は若すぎた。お隣さんはどんな人だったの? と、私は聞いてみた。祖父は少し考えて、夫婦喧嘩の絶えない家だったよ、と答える。そして、奥さんがいつも長袖なのは喧嘩の生キズを隠すためだという噂さえあったんだ、と語った。


 祖父が目を開けて、庭を見た。そして目に映る桜を見て、もう昔の事だがな、と続ける。お隣の夫婦喧嘩はひどいもので、祖父は夜中に言い争う声を聞いて目覚めることが何度もあった。しかし、ひと際大きい物音が聞こえた日を境に、音はパタリとやんだ。


 旦那が急病で入院したのよ。数日後、祖父の顔を見た奥さんはそう言って、半そでのワンピース姿で晴れやかに笑った。けれど、夏が過ぎても、秋が過ぎても、おじさんは帰ってこなかった。やがて奥さんもどこかに引っ越していき、お隣は空き家になった。


「その次の春からだったな」祖父は庭から目を離さなかった。「お隣の庭の桜がきれいに咲くようになったのは」


 桜を見る祖父の口元は、どことなく、固く締まっているように思えた。私は祖父に倣って庭に目を向ける。塀を挟んだ向こう側、お隣さんの庭には、祖父のものより大きな桜が今年も咲き誇っていた。





【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【1000字ホラー】桜の下には 山本倫木 @rindai2222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ