第3話 あめよりむち

 夕方リビングで猫と遊んでいるうちに天気が悪くなって雷の音が響いた。


 2階の子供部屋から小さな足音が降りてくる。俺はそちらをことさら見ないよう猫に意識を集中した。


 娘はまだ小学生なのに家事と妻の看病をしていた。小学生なのに「おとうさんはおしごとでたいへんだからわたしがする」と言った。妻と同じように。


 娘を産んでから体調をおかしくした妻は俺が立派な教師として恥ずかしくないよう無理をしてパートまでしていた。倒れた後は役割を娘に押し付けて死んだ。

 葬式で娘がその時どんな顔をしていたのか思い出せない。ただ自分はホッとしていたのを覚えている。


 猫は遠くに捨てた。帰ってこられないよう県をまたいだ。



「仕事に行く前にゴミ集めて出しといて」

「まじで死んで欲しい」

「帰りにヨーグルトと食パン買ってきて」

「あんま早く帰ってこないで」

「来週土曜日はタケシの父親参観だから絶対家に居て」

「殺すよ」

「今夜は友達と会うからタケシの夜ご飯宜しく」

「役立たず」

「自治会とか絶対無理」


 妻が死んで1年後に新しい妻ができた。シングルマザーの軽い遊び相手のつもりだったが勝手に押しかけてきた。

 連れ子は赤の他人だがやたら似ていた。きっと俺の顔が前夫と似ているのだろう。


「私働きたくない」


 そう言って家中で精力的に不満をまき散らす彼女を見ていると安心した。万能感に溢れる彼女の周りだけ色彩がやたら濃い。

 反対に俺と娘と連れ子は薄くなっていった。彼女の分だけ俺たちの存在が薄いのは悪くない。



 意味もなくアメを俺に沢山くれる1人目の妻が怖かった。どうして俺なんかにそれほど優しくしてくれるのかわからなくて恐怖で死にたかった。


 でももう怖くない。


 たまにアメを思い出して風呂で泣く。風呂を出たら元通りムチが好きな俺になる。

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