第3話 茶番なる喜劇 後編

「本日は出席していただいてありがとうございます」


 宰相エミリオの出席にライナルト公が頭を下げた。エミリオは複雑な気持ちのままに軽く微笑む。


「いやいや、本日は大公殿下もご出席されるからな。お邪魔させていただくよ」


 エミリオは元々ライナルト公が開催するパーティーに出席するつもりはなかったのだが、ファビオが出席するとなれば無視することなどできない。


 冤罪という外道な行為によって作られた手柄、そしてそれを褒めたたえるパーティー。


 何もかもが虚構で薄っぺらく感じる。


「まるで茶番だな」


 どう見ても茶番、それも限りなく滑稽な喜劇ではあるが、終わりが全くめでたくないので喜劇ですらない。


「ウイスキーをくれ、ストレートでな」


 近くにいた従者からウイスキーが入ったグラスを受け取ると、エミリオは軽く口に含む。


 枢軸国とは別の文化圏である星間連合との接触から、既に二百年が経過する。そんな星間連合から入って来たウイスキーをエミリオは愛飲していた。


 琥珀色に染まるウイスキーはアルコール度数が高く、口が燃えるように感じるが、小麦の味と長く熟成した独特の燻蒸の香りが心をほぐす。


「本国派を気取っていながら、ウイスキーは飲むのか」


 水で割る、氷を入れる、あるいは炭酸水やお湯で割るなど、ウイスキーは様々な楽しみ方ができる。


 今ではむしろ出さない方が笑われるほどに愛されている。


 だが、本国派を名乗り、連合に面している者が多い新領派を馬鹿にしているライナルト公の矛盾に、エミリオは皮肉を口にした。


「酒の飲み方ぐらいは、間違えないでほしいものだ」


 大人になるということは自分の酒量をわきまえることだ。酒を飲むならば、必ずそれを守れとエミリオは父に口酸っぱく言われていた。

 

 その教えを守ってはいたが、エミリオは時に教えから外れたくなる時があった。


「よろしいでしょうか、宰相閣下」


 深紅に染まったワイングラスを片手に、尚書令であるバドリオ伯がやって来た。


「どうされた尚書令殿」


「この場をお借りして、閣下に謝罪をさせていただきたく」


 パーティーの中でバドリオ伯は静かに頭を下げる。


「いやいや、この場でやるのはまずいだろう」


「いえ、閣下には迷惑をおかけいたしましたので」


 バドリオ伯はライナルト公の派閥の中で異色の人物であった。


 ライナルト公の派閥である本国派、特に旧来からの譜代貴族たちは正直、食いっぱぐれた諸侯たちが多い。


 その中でもバドリオ伯は財務省勤務を経て、尚書となり、尚書令にまで出世した実力派である。


「貴公が頭を下げることではないだろう」


 ウイスキーを舐めるように飲みながら、エミリオはそう言った。本来ならばバドリオ伯ではなく、ライナルト公が頭を下げてくるべき話だ。


「閣下のお手を煩わせてしまったことは事実ですので」


「頭を上げてくれ。既に終わった話だ。貴公に頭を下げられると、どうも落ち着かなくなる」


 バドリオ伯は本国派であり、新領派にいい感情を抱いていないが、ライナルト公ほどの排外的な態度を取っていない。


 むしろ、その実力を利用して自分とライナルト公とのパイプ役となったり、仲介役を担うなど、官僚としての実績と実力を十二分に生かして、マーメルス騎士団を支えていた。


「それに貴公もそういう意味では災難だな」


「いつものことです故」


「いつもであっては困るな。冤罪を生み出すようでは、臣民は常に怯えて生活しなければならなくなる」


 エミリオは自分を戒めるようにウイスキーを飲んだ。舌に広がるアルコールが燃えるように熱く、それがそのまま胃に広がっていく。


「これはダリオ侯が口にしていることではあるが、人を罰する権限を持って職務に当たっている人物には、やってはいけないことがあるそうだ」


「なんでしょう?」


「罪なき罪人を作り上げることだよ」


 騎士団の痛烈な皮肉に、バドリオ伯は苦い顔を見せた。


「耳が痛いですな」


「罪人にされたものは身も心も痛むだろうな。とにかく、こういったことが無いように貴公からも働きかけてほしい」


 尚書令という君主の側近中の側近の立場から、大公ファビオと近衛長官として宮中を取り仕切るライナルト公を諫めるようにとエミリオは暗に促した。


「かしこまりました。閣下、何卒今後も良しなに」


 バドリオ伯が了承すると、そのまま彼はその場を去り、騎士団のもとへと戻っていった。


「バドリオ伯だけが奴らの良心か」


 そうつぶやくと、エミリオのグラスが空になる。舐めるように飲んだウイスキーの味は自分を戒めるような熱を発していた。

 

 その熱を感じながらも、エミリオは口直しにチェイサーである水を飲むと、良識的な部下たちがやってくるのが見えた。


「やはり閣下もご参加されておりましたか?」


 参謀総長にして元帥であるボードウィンが、ビールを手にしながらそう言った。


「お前たちも参加していたのか?」


「ええ、正直居心地は決して良くはありませんが、対立しあうよりは融和をと思いましてね」


 不機嫌さを隠さない警察総監のハルトマンは、ローストした肉を乗せた皿を片手にやけ食いしていた。


「貴官が一番面倒事に巻き込まれているからな」


「いえいえ、これも警察官の責務ですから」


「警察官の鑑だな貴官は」


 苦笑しながらエミリオがそう言うが、実際のところハルトマンはダリオ侯からの信頼も厚く、警察官の鑑であるとして警察総監に抜擢されていた。


 冷静沈着で捜査に捜査を重ねて行動し、銃などの武器を使うことよりも、ぐうの音も出ない証拠にて犯人を追い詰める。


 拷問にかけて自白させることをハルトマンは嫌っているほどであった。


「ですが、閣下に謝らなくてはならないことがありまして」


「なんだ? 騎士団と喧嘩でもしたのか?」


 ボードウィンのしおらしい声にエミリオがふざけながら語ると、警察総監のハルトマンと参謀総長のボードウィンが恐縮していた。


「お前たちまさか?」


 手にしたグラスから水をこぼす勢いでエミリオが問いかけると、ハルトマンは露骨に目を逸らし、ボードウィンは申し訳なさそうな表情を見せる。


「はあ、何のためにワグネルやカルステンをこの場に連れてこなかったと思っているんだ?」


「面目次第もありません!」


 この二人は警察総監と参謀総長という重責を担っている。そして、誰よりも生真面目で喧嘩を止めることはあっても、ふっかけることはしない。


 その二人が喧嘩をするということは、よっぽどのっぴきならないことになったからだろうとエミリオは察する。


「何があったんだ?」


「バインホルト侯とマルヴェッツィ侯にいちゃもんを付けられまして」


 エミリオの問いに、ハルトマンが苦みと悩みを掛け合わせたようにそう言った。


「あの二人か」


 バインホルトとマルヴェッツィは官職についたことがない諸侯上がりだ。


 元々はライナルト公の縁戚にあたる人物であり、バインホルトは武芸、マルヴェッツィは海賊退治で名を上げた人物でもある。


 だがそれだけに、ハルトマンやボードウィンのような実績に乏しい。実力においては言わずもがなだ。


「典型的な諸侯でしたよ。自制心もなく我儘で傲慢で、我々にもっと協力しろとまで言い出すような輩ですので」


 ボードウィンの呆れた顔にエミリオは静かに頷く。


「それ以上に新領派だ、本国派だとやたら威張っていますが、ハルトマンのことを男爵であると見下していましたよ。味方の作り方も知らんようです」


「奴らなら仕方ないか」


 ボードウィンの説明を受けて呆れながらエミリオは納得した。ライナルト公もそうだが、その部下であるバインホルトとマルヴェッツィもまた、典型的な傲慢で我儘な諸侯だった。


「ご迷惑をおかけしました」


「起きてしまったことは仕方ないだろう。それに奴らもまさか、参謀総長と警察総監に喧嘩を売ったことを公言しないはずだ。どうせお前たちに負けたのだろう?」


 数多くの悪党を逮捕してきたハルトマンと、戦場でも武勇を誇ったボードウィン相手に、ごっこ遊びの範疇で遊んでいた二人とでは勝負にすらならない。


 エミリオが断言すると、ボードウィンもハルトマンもどこか誇らしくしていた。

 

 そんな二人に呆れながらもエミリオはメイドから赤ワインを受け取ると、ヴィルヘルムが美しい令嬢と共にやって来た姿が見えた。


「あれはライナルト公のボンボンと……カタロニア侯のご令嬢ですな」


「本当かハルトマン?」


「以前カタロニア侯から紹介されたことがありましたので。しかし、なぜ二人が?」


 怪訝そうな態度のハルトマンだが、クラウディアという婚約相手がいる中で別の令嬢と共にやって来たヴィルヘルムにエミリオは侮蔑の視線を向けた。


 元々、ライナルト公の息子という以外に何の特徴も無い男であるだけに、エミリオは歯牙にもかけないでいたのだが、最近では余計に嫌いになりつつあった。


「クズ野郎が……」


 ポツリとつぶやいたエミリオにボードウィンとハルトマンは、不穏な空気を感じた。


 エミリオは必死に隠しているが、彼はヴィルヘルムの婚約者であるクラウディアに対して、密かに恋心を抱いていたのだから。


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