「影と契る」

人一

「影と契る」

ずっと足元でピッタリとついてくる影。

ちょっと怖かったけど、もうこの影は僕だけのものだし誰にも渡さない。

日が傾いてオレンジ色に染まる公園で、僕は影に向かい言った。

「ずっと一緒にいようね!」


かつての約束を交わした夕方から、30年が経過していた。

約束のことは、遠い記憶の彼方に消えていた。

毎日毎日上司に叱られ、部下に無理を言われる板挟みの生活を送っていた。


誰にも感謝されず夜遅くに帰宅して、誰よりも早く出社する。

「こんな生活いつまで続ければいいんだろ……」

愚痴がこぼれるが、誰にも届くことはなく朝焼けに溶けていった。


仕事中の唯一の楽しみである、タバコ休憩。

屋上にある喫煙所に向かう足に、そのままビルの縁まで案内された。

もうほとんどの人は退社した夕暮れ、世界は赤とも橙とも取れる色に照らされていた。

遠くの空は墨を零したように、青黒色が広がっている。


「…………」

ぼーっと下を見る。

行き交う人は皆、幸せそうに見えた。

――このまま1歩踏み出せば、全て変わるかな……

ふと、頭をよぎるがもう足は動き出そうとしていた。

すると――


声が聞こえた。

足元から幼い子供のような声が。

どこか懐かしく聞き飽きたような声が。

『約束を忘れたの?』


……疲れすぎで、とうとう幻聴が聴こえ出したのか?

「どうでもいい……」

声を気のせいと切り捨て、足を踏み出そうとした。

だが、俺の足は掴まれているように固まり動かなかった。


足がどうしても動かないので、仕方なく縁から離れると自由が戻ってきた。

飛び降りようなんて気も、冷めたので俺は再びオフィスへと戻った。


数日後、久しぶりの休日。

ベッドに寝ているが、頭がぐちゃぐちゃで休まる気がしない。

あの時足を掴まれたような気がしたのが、どうにも引っかかる。

それだけならまだしも、声も聞こえた……

――内なる俺が引き止めてくれているのか?

ふらつく足取りで立ち上がり、キッチンへ向かった。


出しっぱなしの包丁が、水に浸かり冷たく光っている。

それを手に取りゆっくりと首筋に当てる。

照明に照らされ、腕に影がかかっている。

一思いに、刃を滑らそうとしたが……

腕は動かなかった。

「やはり……」

と、考えていると再び声が聞こえた。

『どうした?言い出したのはお前だろう?』


「俺が言い出した?そんなの……知らねぇよ。」

ただただ変わらぬ地獄から抜け出したいのに、誰かも分からぬ自分?に阻止される。

……本当にいい加減にしてほしい。

なぜ自分の体を、自分の意思で自由に動かせないことがあるんだろうか。

どこかから響いてくる、声の言うことに心当たりも無い。


『まさか……忘れたのか?』

「何をだよ。」

『ふふっ……俺たちは”ずっと一緒”だろう?』


この言葉を聞いた。その瞬間――

朧気な記憶が開かれ、幼い自分が自らの影に向けて約束をしている姿が見えた。

自らの埋もれた記憶を、まるで他人の目を通して見ているようだった。


思い出した……俺は俺の影に、お前と約束したんだ。

約束は破ることも許されず、破られることもなく……

今もまだ、過去から俺を縛り付けている。


「ずっと一緒にいようね!」



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「影と契る」 人一 @hitoHito93

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