第14話 志望動機

「──という、感じで⋯⋯」


「⋯⋯」


「悪魔かよあの女⋯⋯」



 身を震わせながらも二人に視線を向けてみれば、橘さんは絶句し、ヴィクトリアはドン引きしていた。



「⋯⋯悪意とかは、感じませんでした⋯⋯彼女の話に嘘は無くて、僕を本気で鍛えようとしてくれているのが伝わってきました⋯⋯」


「⋯⋯それ、余計絶望的じゃないですか⋯⋯?」


「マジで精神歪んでるじゃねーか。あのメガネの言った通りかよ」



「僕は⋯⋯僕はもう無理です⋯⋯」



 訓練が終わってからの記憶は曖昧だが、シャワーを浴びながら、事前に持ってくるよう言われていた着替えの意味をようやく理解した事はぼんやりと覚えている。



「あ、そういえば私服ですね」



 よく見れば橘さんも私服だったが、今の自分にそれを考えるだけの余裕は存在しなかった。



「そもそも、俺みたいに才能の無い人間が先輩の役に立とうなんていうのが烏滸がましい話だったんだ⋯⋯」


「高槻君⋯⋯」


「あぁ、こんなんだからダメなんだ⋯⋯才能が無いのにいつも──」



 隣に座る橘さんは、ずっとこちらを心配してくれているようだったが、しばらくするとその表情にはいくらかの緊張が表れ出す。



「⋯⋯高槻君⋯⋯もしかして⋯⋯辞めちゃったり⋯⋯?」



 そして、不安を滲ませながらも意を決したように聞いてきた。



「⋯⋯それ、は⋯⋯」



⋯⋯⋯⋯そんなの、決まっている。



「⋯⋯辞めませんよ」


「⋯⋯え?」


「ようやく⋯⋯ようやく先輩の役に立てる時が来たんです⋯⋯こんな序盤で躓いてなんて、いられません⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯先輩⋯⋯」



 橘さんは目を見開き、かなり驚いている様子だった。


⋯⋯まあ、さっき話したグロすぎる内容を踏まえた上で『辞めない』という選択肢を取るのは確かに少しばかり変に映るかもしれない⋯⋯



「⋯⋯たしかアカネ君は⋯⋯その『先輩』って人の為に、この事務所に来たんですよね⋯⋯?」


「⋯⋯?はい、そうです⋯⋯」



 橘さんが知っているのは当然のことだ。


⋯⋯なんせ鵺が面接の日に大声でバラしたから。



「⋯⋯教えてくれませんか?その人のために、どうしてそこまでするのか」



 橘さんは、強い感情の籠った瞳でこちらを見据える。



⋯⋯そういえば、ヴィクトリアの探している人物の候補として先輩が上げられていたな。


 考え自体は鵺に否定されていたが、それでも情報は集めておきたいのだろう。



⋯⋯まあ、俺の話が有用とは思えないが⋯⋯



「⋯⋯僕が先輩、碧雫(あおいしずく)さんと出会ったのは高校一年生の五月でした。ちょうど一年前くらいです」


「⋯⋯去年の、五月」


「⋯⋯?」



 橘さんの驚きが少し増した気がした。



「⋯⋯⋯⋯彼女は、僕の前に突然現れてこう言ったんです⋯⋯『私の主人公になってくれませんか?』って⋯⋯」


「⋯⋯主人公?」



 今度は訝しむ様に首を傾げる。



「はぁ?胡散臭い話だな。そんな言葉に乗せられて言いなりになってんのか?」


「⋯⋯はは」



 ヴィクトリアの言うことは最もだ。


 こんな台詞を鵜呑みにするなんて、普通じゃない。


 それが初対面の相手ならば尚更。



──だけど、俺はあの時⋯⋯



「⋯⋯確かに感じたんです。この人こそ、僕に幸福を与えてくれる存在だって⋯⋯」


「⋯⋯高槻君⋯⋯?」


「ハッ、それだけ聞くと完全に騙されてんな。ほんとにそんなスピった理由だけなのか?」



 つまらなそうに鼻で笑われてしまう。



「⋯⋯ふっ」


「「⋯⋯?」」



「⋯⋯⋯⋯まあ、その⋯⋯なんていうか⋯⋯身も蓋もなく言っちゃえば『一目惚れ』⋯⋯です⋯⋯」



「⋯⋯⋯⋯ひゅー」


「⋯⋯一目、惚れ⋯⋯」



 ヴィクトリアはからかうように口笛を吹くが、橘さんは更に驚きの色を濃くした様子だった。



⋯⋯なんか、さっきから橘さん驚きすぎじゃないか⋯⋯?



「⋯⋯結局、僕は彼女の話を信じることにしました」



⋯⋯先輩の言葉は、自分にとって酷く魅力的だったのだ。



「──彼女の『目的』を叶える一助となる。今はそれが、僕にとっての幸福なんです」



⋯⋯そうだ⋯⋯先輩の為なら、俺は⋯⋯



 痛みと恐怖で震えていた身体に、力が戻ってくる。


 先輩と初めて出会った日の痺れるような感覚が甦るようだった。



「⋯⋯ありがとうございます、橘さん」


「え?」


「橘さんのおかげで、改めて決意を固めることができました」


「い、いや私は何も⋯⋯」


「──僕、もっと頑張ります。先輩の為に⋯⋯いや、先輩の役に立ちたいと願う、自分自身の為に⋯⋯!」


「⋯⋯は、はい⋯⋯」



 橘さんはドン引きしているが、彼女のおかげで見失っていた自分を取り戻すことができた。


 感謝の念が絶えない、やっぱり橘さんは凄い人だ⋯⋯!



「⋯⋯その『目的』ってなんなんだ?」


「え?」



 興味無さげにしていたヴィクトリアが、突如思いついたように聞いてくる。



「碧雫には『目的』があんだろ?どんなもんを掲げてんだよ?」


「⋯⋯それ、は⋯⋯」


「⋯⋯?高槻君?どうしたんですか?」



⋯⋯ヴィクトリアからすれば何気ない質問だったのだろうが、思わず顔を引き攣らせて固まってしまう。



「⋯⋯」


「⋯⋯?どうした?答えろよ?」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯おい⋯⋯?おいッ!」



「⋯⋯分かりません⋯⋯」


「うわ声ちっさ」


「⋯⋯え?わ、分からないってなんですか⋯⋯!?」



「──おっ、教えてくれなかったんですよ!秘密だって言われて!!」


「はぁ!?お前本当にそんなんで納得したのか!?初対面で怪しいこと言ってくるような女だぞ!?」


「い、いや⋯⋯あの時はちょっと⋯⋯先輩が可愛すぎてっ⋯⋯それで質問する余裕とかなくってぇ⋯⋯」


「ベタ惚れじゃん!!」



 頭を抱えるヴィクトリアと絶句している橘さんが視界に映り、急に羞恥心が芽生えてくる。



「⋯⋯高槻君⋯⋯」


「や、やめてっ!そんな目で見ないでください!信頼されてないことは自分でよく分かってますから!!」



⋯⋯向けられる視線が痛い。



「⋯⋯見直すべきじゃねーの?頑張る理由をさ」


「いやそれは無理です。この身は先輩の為に」


「なんだコイツ!?」




──────────────────




「⋯⋯もうだいぶ遅い時間ですね。すみません橘さん、時間取らせちゃって」


「いえいえっ。こちらこそお話できて良かったです」



 橘さんは小さく両手を振りながら、笑顔で答えてくれる。


 恐怖に震えていたところを助けてもらい、さらにはカウンセリングまでさせてしまったことに罪悪感を覚えるが、彼女は本当に気にしていないように見えた。


 こういう人の良さこそ、彼女が人気者たる所以なのだろう。



⋯⋯そういえば──



「⋯⋯あの、橘さん」


「はい?」


「⋯⋯橘さんは、その⋯⋯これからも⋯⋯」



 自分に聞く権利なんてあるのかと、思わず言葉に詰まってしまう。



「⋯⋯?あっ⋯⋯はい。私も辞めたりしませんよ」


「⋯⋯っ!そ、そうですか⋯⋯!」



 幸い、橘さんはこちらの意図を汲んでくれたようだった。


「といっても、今日はダメダメだったのでちょっぴり不安ではあるんですけど⋯⋯あはは⋯⋯」



 橘さんは恥ずかしそうに頬をかく。



 自分の事ばかりで考えが至らなかったが、彼女も俺と同じように訓練を行っていたのだ。


 決して楽なものではなかっただろう。


 それでも迷うことなく答える橘さんに改めて感心してしまう。



⋯⋯それに、これからも彼女と同僚でいれるというのは本当に嬉しかった。



「⋯⋯じゃあ、その⋯⋯明日からも、よろしくお願いします⋯⋯」


「──っ」



⋯⋯らしくない台詞だっただろうか?


 いや、前のように変に拒絶してしまうよりは全然マシだろう。



 いくらかの気恥しさを覚えながら、それを隠すように背を向ける。



「──ぁ⋯⋯た、高槻君!」



 橘さんに呼び止められる。


 どこか緊張した様子の声だった。



「あ、あの⋯⋯っ」


「⋯⋯?」



 彼女は小さく深呼吸をしてから──



「──友達に、なってくれませんか?」


「⋯⋯⋯⋯え?」



──よく通る、綺麗な声で告げた。

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