「忘れ去られた■■の昔話」
みなしろゆう
「忘れ去られた■■の昔話」
身体中に負った傷から血を垂れ流したあげく泥まで被った、それはまぁ酷い状態の男がゴミ捨て場に倒れていた。
暗がりのぼろ雑巾、息をする可燃物。
見てくれで判断するなら死んでいるも同然の有り様だが、男は生きている。
異臭が漂うガラクタの上で微動だにせず、呼吸だけをして、眼前を飛び回るハエに気を取られることなく空を見上げている。
男の一番の取り柄はしぶといことだった、その表情に焦燥はなく、絶望なんか欠片もしちゃいない。
ただ指先一つも動かせないという現状に、男は困り果てている。
神だの天使だの、怪物としか呼べない埒外な奴らと殺し合って平気な癖に。
人間に殴ったり蹴ったりされただけでこんなにも鈍る騎士の身体を男は扱いきれなかった。
──そもそも内戦中の人類圏で、不用意に散歩なんかしたのがいけなかったのだ。
常に殺気立っている人々は、ぷらぷら呑気に歩く騎士を見つけた途端に怒声をあげ、寄って集って大騒ぎを起こした。
「万能が来たぞ!」「怪物が歩いてる!!」
つまるところ男は人間たちにボコボコにされて、こんな状態になったのである。
老若男女問わず色んな人に殴られ蹴られ、散々切りつけられて終いには撃たれても、男は騎士だから反撃はおろか抵抗も出来ない。
地面に這い立てなくなって、それでも死なない男の事をゴミ捨て場に放り投げ。
人々は良い憂さ晴らしが出来たと笑顔で去った、そして今に至るのである。
クソ喰らえと思った。
お利口な聖王騎士である男にも、怒りという感情は存在する。
だけど熱く喧しい情動は、直ぐに鎮火されてなかったことになった。
当て処の無い怒りなど抱いても疲れるだけで、こんなものは不要だ。
騎士に人間を害する機能は備わっていない、当然だがないものは実行しようがなく、男は八つ当たりする権利すら持たなかった。
負ったのは単純な外傷だ、一晩くらい放っておけばこの身体は勝手に再生する。
此処は生ゴミと油の臭いがキツいけど、暫く耐えれば立てるようにもなる。
考えるのも面倒だし起きているのも疲れたので、さっさと意識を手放してしまおう。
そう決めて閉じた目蓋の裏側で、気絶している間にまた襲われたらと考える。
ゴミ溜めから引っ張り出してまで騎士をいじくる奴なんているだろうか、今の自分は死にかけの虫と大差ないのに。
「虫だって悪戯に、踏んで歩く生き物だし、あり得るか……」
正直に言って男は人間が嫌いだった。
騎士が命をかけて万能を退けても、人々は互いに足を引っ張りあい殺し合いを続ける。
この内戦だって「騎士を差別するか擁護するか」という、くだらなすぎる理由で始まって未だ終わる気配がない。
こんな人の為に戦うのだと決めたのは、男の意思ではなく機能だ。
あんな人を守りたいと望むのも、男の心ではなく本能である。
自分は命の奪い合いに勝ち続ける兵器で、それ以上にも以下にも成りようがない。
誇りや信念など無いままに「そういう生き物」だからと納得し男は人類守護を果たす。
理不尽に生活を害されながら、戦場に出れば反吐が出るほど嫌いな人間の為に命を賭けるのだ、いつも。
寄る辺がなくて死にたくなるけれど。
男には機能や義務など無関係に、自分の意思で成すと決めた事が一つだけあった。
真っ暗な視界のなか、己の右手が掴む冷たさを意識する。
将来を考える気力すら失い、闇雲に人類守護を続け、それでも求めてしまうもの。
どれだけ打ちのめされても手放さず、喩え奪われたなら取り返してきたその一振り。
これがあるから絶望しない、これさえあれば生きていられる。
──命より大切な、剣の感触を。
「なんだ埋葬してやろうと思ったら、まだ生きてるじゃねえか」
聞こえた声に男は息を飲み込んだ。
聞いただけでもうわかる、よりによって声の主は人間だ。
しかし一度寝ると決めたら絶対に寝る性質の男は、逃げる気も起こさず意識を手放した。
次に目覚めた時、身体がバラバラになっていない事だけを願いながら。
◇ ◇ ◇
「これまた手酷くやられたな。
刺し傷に内出血、火傷に……こいつは銃創かぁ?」
意識を失っていたのは、どうやらそこまで長い間じゃなかったらしい。
何もかも億劫になったから傷が再生し終わるまで爆睡しようと思ったのに、あちこち身体を動かされて男は目覚めてしまった。
見えたのは灰色の天井、真上で灯る大きなランプが眩しくて仕方がない。
固い台の上に寝かされていることを把握しつつ、男は嫌々ながら口を開く。
「あの、放っておいてくれませんか」
その言葉は、傍らに立つ人間に発された。
自己再生する騎士の身体に、懇切丁寧に止血処理を施している男性に向けて。
「ははは、この状態で喋るか。
人間であれば三度は死んでいるぞ」
良く見れば穴だらけの白衣を着ている、恐らくは医者なのだろう人間は笑った。
声を上げて盛大に、万能なぞ見慣れていると云わんばかりの態度で。
「騎士が自己再生するのは知っている、だとして見過ごすには重体すぎる。
要するに俺の満足の為だ、付き合えよ」
喋りながらも医者の目線は血を流す傷口に釘付けで、患者の顔なぞ見ちゃいない。
静かに寝かせてくれたならそれで良かったのにと考えながら、人間に意見する発想など生来持たない騎士は投げやりな返事をした。
「……はぁ、でしたらご自由にどうぞ」
「あぁ、そうさせてもらうよ。
悪いが痛むぞ、おまえさんたちは麻酔が効かないもんでな」
医者はそう言って、男の体内から摘出した弾丸をそこらへ投げ捨てる。
別に痛みなんて幾らでも無視できる、男は呻く事もなく天井を眺め続けた。
手早く処置は終わり、血の滲む包帯だらけの姿になった男はやっとの思いで一息を吐く。
最初はバラバラに解体されるんじゃないかと思ったけど、そんなことにはならずに済みそうで何よりだ。
「出先にいる妻を迎えに行ってやらねばならん。まだ寝るならそれもいいし、出てくんだったら自由にしろ。
俺はもう満足したから」
血塗れの手袋を外し、医者はそう言い残して外へと出ていった。
無人になった部屋の中を、仰向けのまま見回して観察する。
人間ではない男には医療現場なんて未知そのもので、そこらに並んだ道具や機械が一体何なのかも判らなかった。
しかしこの衛生観念もへったくれもないような埃と汚れだらけの空間が、所謂病院として機能しているとは到底思えない。
さっきの人間も格好から医者だと判断したけれど、実際は何者なのだろう。
逃げた方がいいか、否か。
今後の方針を考えながら、雨風を凌ぐ屋根があるのはいいなと思う。
訳有って帰る家を失くしたばかりの男は色々と検討した末に……眠る事を優先する。
騎士の癖に三度の飯と睡眠を愛する変わり者だと、仲間内では有名な男だった。
「なんだぁ、まだいたのか」
三時間程度の微睡みを終え目蓋を開く。
驚きと呆れを綯交ぜにした複雑な表情を浮かべた医者が、男を覗き込んでいる。
「まさか死ぬんじゃないだろうな。大丈夫だって、生きてりゃ良いことが必ずある」
絶望するにはまだはやい!と何とかして励ます言葉を捻り出そうとしている、そんな顔を見上げて男は考えた。
喋り方から年嵩の人間かとも思ったが、良く見れば若いような気もする顔。
それにしても、人間とはこんなに感情を表に出すものなのか。
人の怒りにばかり触れて生きてきた男は心底から不思議に思った。
……騎士にとっては何があっても何をされても、守護対象であるという事。
人間の情報なんてそれ以外知らなかった。
「ご心配なく、死にませんので」
「そいつは良かった、助けたのに死なれちゃ寝覚めが悪いったらねえからな。
……時間は十分にあっただろう、なんで逃げなかった?」
問いに対する答えを直ぐには思い付かず、男は首を傾げて黙る。
目を開いたまま寝てるんじゃないかと思うくらいの沈黙、医者が椅子を持ってきて座ったところで言葉が出た。
「貴方から脅威を感じませんでした」
「それだけか?」
「あと、ひたすらに寝たかったです」
正直言って、まだ眠い。
ちゃんと答えたというのに、医者は顔を歪めて溜め息を吐く。
何が気に入らなかったのだろう。
対話は苦手だ、同胞相手でも苦労するのに人間なんてどうやって話したらいいのか。
「警戒心が無いというより、警戒を諦めているようだな。本当に死んでしまうぞ」
「死ぬ予定はないです」
また溜め息を吐かれた、何だって言うんだと男は少しの不満を抱く。
人間を前に寝転がってるのが悪いのかもしれない、ぐぐぐと腕に力を込めて起き上がろうとしたが、上手く右腕が曲がらない。
「折れてるんだ、無理に動かさない方がいい。安静にって分かるか?」
「知らない言葉です。
このくらいならすぐ治りますよ」
医者が顔を歪めて頭を抱えてしまうくらい無茶苦茶に身体を使い、男は身を起こした。
「改めまして、お世話になりました。
ありがとうございます」
「待て待て行こうとするな、唐突な奴だな」
もう此処に用はないと思ったから立とうとしたのに制止されて、男は益々困惑する。
台の傍らに立て掛けられている剣を掴んで足の上に置く、そうすると随分落ち着いた。
「普段なら騎士の動向に口なんぞ出さないが、おまえさんは些か危なすぎる。
今は表で自警団と差別派の奴らがドンパチやってる最中でな、暫く此処で俺の話し相手になっていけ」
なるほど、と男は医者の言葉に頷く。
言われた意味の半分も分かっちゃいないが、とりあえずこの人には害されないと確信した。
薄汚れた白衣の胸ポケットから、子どもが描いたのだろう絵が飛び出している。
孤児院で貰ったのだと語るその姿は善人としか言い様がなく、こんな人もいるんだなと男は少し──本当に少し、感動した。
「なんだ、それじゃおまえさん俺と二つしか歳が変わらないじゃないか。
成人前の子どもだと思ったのに、騎士は見た目じゃ年齢がわかんねえな」
「人間だってそうですよ。年齢どころか誰が誰だかも見分けがつきません」
「騎士がド派手すぎんだろ、髪も瞳もきらきら光りやがって、顔整い族がよ」
ちゃぷちゃぷと酒瓶を揺らして意味もなく爆笑する医者を眺め、男は薄ら笑いをする。
もう何年も使っていない表情筋ではこれが限界だ。
今日会ったばかりだというのに、男と医者は直ぐに打ち解けて旧友のように会話した。
要するに相性が良かったらしい。
「にしても面白い奴だなぁ、師匠を怒らせて勘当されたから根無し草の旅をしていますなんて騎士、俺は他に聞いたことねえぞ」
「自分だって他に知らないです。
戦いがあれば呼び戻されるので、本当の意味での勘当ではないかもしれないけど」
こんなに身の上話を面白がられた事はなかった、男はまじまじと医者の顔を見る。
容姿も瞳も髪も人間らしく特徴がない、とても覚え難い姿形。
変わる表情と発される言葉に滲む個性。
「貴方の感情表現は複雑ですね、人類の皆様は総じてそうなのですか」
「知らねえよ他人の事は。
俺がこういう奴だってだけだ」
そうですかと男が返答すれば話が終わる。
暫く黙った後に医者が言った。
「人間は嫌いか?」
「大嫌いです」
医者は仰け反るほどの大爆笑をして、騎士の両肩を叩く。
素直な気持ちを言葉にしてみればすっきりと、胸の奥で詰まっていたものが流れたような気がして気分が良い。
とっくに身体は全快しているのに、男は此処を出ていく気になれなかった。
「でも、貴方の事は嫌いじゃないです」
「そっか、ならよかった。
俺もこんな風に話せる相手は久しぶりだ、会えて嬉しいよ。
ああ、そういえば──」
医者が何か言い終わる前に、遠慮のないノックの後で部屋の扉が開いた。
顔を覗かせたのは若い女性だ、そういえば妻がいると言っていたなと男は思い出す。
「楽しんでいるところ悪いけど表の騒ぎで怪我人が出た、皆が医者を探しているわよ」
「おう、悪いなネアル。
思ってもないところでとんだ拾い物をしちまってよ」
区切りをつけるように両手を叩いて医者は立ち上がった。
表へ走っていった妻を追いかける前に、風変わりな人間は男へと語り掛ける。
「今日のところはこれでお開きだ、気が向いた時にまた来い。
なぁ友よ、忘れるな。俺はおまえさんが死んだら悲しいぞ」
「承知しました」
騎士に向けるには感傷的すぎる医者の言葉に、男は朗らかな声音で返事をした。
握った剣の感触を確かめる、これが手の中に在るのなら自分は死なないのだ。
細く優美なその剣は師匠から贈られた、他の誰かには決して扱えない刃。
──剣の極みに至りたい。
渇望としか言い様がないこの欲が有る限り、男はどんな絶望だって退ける。
だから心配される理由なんか一つもない。
「人間は嫌いだって言ってたけどな、俺にはおまえさんに会わせたい人がいっぱいいる。
皆が皆、理不尽の権化みたいな奴らじゃないんだ、それだけは信じてほしい」
「すぐには難しくても、受け入れ難くても。
何度だって俺が言うから」
不思議な人だと思った、出会った瞬間から話す最中にも幾度となく思っていた。
今まで漠然と守ってきた人類圏には、こんな人も暮らしていたのだ。
本能に従って果たしてきた義務、今までの戦いが突然、意味の在る形を持つ。
こんなもの錯覚に違いないと知りながら、信じてみるのも面白いと男は思う。
「おっと、忘れるとこだったな。
俺の名前はセラン・ステイシーだ、おまえさんの名前は?」
今更過ぎる医者の問い掛けにどう答えようか男は一瞬迷った。
自分を表す名称が幾つかあったからだ。
同胞たちは大概、男の事を「■■」と呼ぶし自分でもそれが一番しっくり来ていた。
けれども今は異名だとか階級を訊かれているんじゃないと、流石の男にも判ったので。
「申し遅れました、自分は──」
今度こそ男は、友の問いに答えた。
──それもこれも。
語られることの無い、遠い昔のお話である。
「忘れ去られた■■の昔話」 みなしろゆう @Otosakiaki
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