第7話 花明り

 植物の研究をしている俺は、息抜きに写真展に赴いた。桜の写真ばかりを集めた展覧会で、無料で行われていたため、気軽に立ち寄ることができた。


 猫と桜。はらはらと散り行く桜。桜吹雪の中。花筏と鴨。違った表情の桜が、面白い構図で写真に収められている。その中で、俺が思わず足を止めたのは、大きな夜桜の写真だった。「華明かり」と題されたそれは、月明かりに夜桜が照らされた一枚で、他にはない存在感と、妖艶さを発していた。まるで、桜が風景をただの背景に押しやり、自分こそが美の体現であると主張しているようだ。俺はその写真に魅入られていた。おそらく、車のライトや街灯、カメラのフラッシュでさえ、邪魔になるだろう。自然な月の光が、桜の背後から照らした瞬間でなければ、この写真は撮れない。額縁横に、写真を撮った男性の名前と、撮影場所が記されていた。公園近くの桜だった。


 いてもたってもいられず、俺は公園まで車を走らせた。駐車場に車を停め、足早に桜を探して回った。公園を通り過ぎると、桜の花びらがふわりと風に乗ってきた。俺はハッとして、風に逆らうように歩を進めた。そして、公園から離れた場所に、一本の桜の木を見つけた。あの写真の桜で間違いなかった。俺は桜の姿に息をのんだ。太い幹はどっしりとしていて、そこから伸びる枝は複雑に絡み合っている。そして見事だったのは、なんといっても花だった。散り始めていたものの、いまだに多くの花が残っている。俺は呆然とその強さと優美さを兼ね備える桜の木を見つめていた。そして、夜のこの桜の姿を想像し、背中がゾクゾクと言った。


 俺は桜の根を踏まないようにして幹に触れた。黒いごつごつという無骨な幹の固い触感が伝わってくる。


「私は貴女のものでありたい」


 それだけ伝えると、俺は研究室に取って返した。自分の言葉が、必ず彼女に伝わると信じていた。


 俺は実験室の植物たちの葉に取り付けた電極を、もう一度付け直す。その電極はパソコンに繋がっていて、植物たちの分泌物から電気信号まで、全てを記録できるようになっている。俺は五つの鉢植えの内、一つの鉢植えを床に叩き落ちして、植物を踏みしだいた。すると、植物の電気信号に波形が記録される。植物には感情があるのだ。だから俺は信じている。俺と彼女は両想いになれると。


 後はあの写真を撮った邪魔者がいなくなってくれさえすればいい。




 市内の写真家が殺されたのは、その晩の事だった。目撃者は誰もおらず、それを見ていたのは一本の桜の木だけだった。


                               〈了〉

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