2話 「お嬢様の婚姻! このわたくしが異議を唱えさせていただきます!」
「お前が言ったんだろうが。金を貸したら友達じゃなくなるって。なら、結婚すりゃいいだろ」
「ど、どうしてそういう話になるのよ!」
「結婚したら相手の人生の半分、自分のモンみたいなとこあるだろ。夫婦なら、お前ん家の金の問題に首突っ込むのになんの支障もねぇ」
「それ、は、で……も!」
「頭回ってねぇみてぇだから言ってやるが、俺がお前んトコ買った時点で、この話が出ることぐらい織り込み済みだろ、そっちも」
「うっ」
口元が苦く引きつく。現実に引き戻されたとも言う。
買収にしろ合併にしろ、商家が新しくどこかの傘下に入ると、傘下内にある商家の中の誰かと結婚するのは定番だ。慣習ともいう。建前は、つながりをより強固なものにするため――あるいは、お互いが逃れられないようにするための枷。
シルエラのベレンヘーナ家に、子供はシルエラ一人しかいない。なら、その役目は当然シルエラのものになる。
商家に生まれた子どもは、将来、何かしら実家にとって利益となる相手と結婚するのが当たり前だ。
だからといって、結婚や恋愛に全くの自由がないわけでもなければ、シルエラはそのことを受け入れていた。家と自分は切って離せなければ、切り離すつもりもない人生だ。
だが、冷静な疑問が浮かぶ。
「でも、それなら、あなたとじゃ吊りあわないでしょう。私があなたの傘下内の誰かっていうんならわかるけど……」
今回の買収を商家同士の取引と考えるなら、採算の合う相手があてがわれるのが通常だ。
つまり、ベレンヘーナ家の資産や商家の規模、利益見込みに見合った商家の誰か、となるケースが多い。
三男とはいえ、シルエラの結婚相手が、外交都市イリー・リーでも有数な資産力と規模を持つヴァリアンテ家の子息では、天秤が釣り合っていない気がする。
「それじゃ意味ねぇんだよ」
突然、クロードが怒ったような顔で言ってきた。
「意味がない……?」
「いや、お前と似たような年のやつ、俺の管轄内だと、俺ぐらいしかいねぇし。ベレンヘーナ家の一人娘を、そのあたりの雇い人と結婚させたら釣り合わねぇだろ」
冗談めかして言う彼の軽口には乗らず、シルエラは真っ向から返した。
「釣り合わないなら、あなたとだって同じことでしょう? 第一、この件、あなたのお父様やお兄様は一体なんて言って──」
と、のほほんと還暦の執事が目の前に何かを差し出してくる。
「まあ、そうおっしゃらずに。シルエラ様、こちらのペンを」
「だからサインなんてするものですか──って、あら? このペン……」
気づき、目が止まる。
執事から恭しく差し出されたのは、木箱に納められた美しい万年筆だった。紅い万年筆の表面には、金銀で箔押しされた花模様。見間違いようもない。手に取って確かめる。
「これ……クレッシェレのペンじゃない。しかも十周年記念の」
「え」
ぎくりとした動揺は、なぜかクロードからだった。いきなり、がたがたと慌てたように引き出しをひっくり返し始める。
「左様でございます」
「これ、素敵よね。私も父様にプレゼントでもらったけど」
「こちらは三年前、坊ちゃまがシルエラ様のお誕生日ブレゼントに、と購入されたものでございます」
「え?」
「じじぃ!?」
ばん!とクロードが机を叩いて立ち上がる。
ガロフは胸元からハンカチーフを取り出すと、目頭に当てた。涙ながら、そっと語り出す。
「ですが、当時、シルエラ様のお父様のプレゼントと重なってしまい……その頃、シルエラ様もご家庭の事情で皆様と距離を置き始めた頃。渡すにも渡せず、さりとて捨てることもできず、引き出しの中で日の目を見ずに終わるものかと思っておりましたが、まさかこのような形でお渡しできるとは」
「余計なこと言ってんじゃね────っ!」
怒りか羞恥か、顔を赤くしたクロードが、ものすごい剣幕で叫んでくる。
シルエラは当惑で目を瞬かせた。今までのことが全部頭から吹き飛ぶ。
「な、……なんで、なんで渡してくれなかったのよ?」
すると、クロードがものすごい仏頂面になった。学生時代を思い出す顔。年齢はシルエラと同じでもう二十歳のはずだが。
どすん、とクロードは乱暴に席に座り直すと、ぼそっと。
「……同じものは、二つもいらないだろ」
「ばか!」
シルエラは反射的に叫んでいた。
「そんなわけないでしょう! あなたからのも大事に使うわよ……!」
そう言って、ぎゅっとペンを握りしめる。
「シルエラ様……」
ガロフが、感動したようにシルエラの名を呟く。
直後、しれっと言ってきた。
「なお、あちらの棚には、今まで毎年坊ちゃまが誕生日や祝祭日など、シルエラ様のために購入されたものの渡せずに終わった数々の品が」
「ほんっとばっかなの!?」
「うるっせええええええええええぇぇぇぇぇぇっ!」
だんだんだんと仕事机を両手で叩くクロード。口ばかり回る彼が反論できなくなると一気にボキャブラリーが減るのも、学生時代とまるで変わらないらしい。
シルエラの家の経営が傾いたあと、友人たちとは疎遠になり始めていた。
それでも、この幼馴染はシルエラのためにプレゼントを用意してくれていたらしい。胸にじんわりと温かいものが満ちてくる。無愛想ながらも、どこか照れた様子でそっぽを向く幼馴染は子供っぽい。懐かしい。学生時代を思い出して、笑ってしまいそうになる。
ふと、シルエラはガロフが示した棚をちらりと見やった。壁際の本棚二架にあふれる個人蔵書の隣、美術品のような風格を持つ棚を見て、そわそわとする。
「ね、ねえ、ガロフ。よかったら、クロードが買った他のプレゼントも見せてもらえないかしら」
「もちろんですとも」
「俺の許可を取れそこの執事!」
「ありがとう!」
「では、こちらのペンで婚姻届にサインを」
「しないわよ!?」
クロードから舌打ちが聞こえた。
ガロフがはらはらと涙を流す。
「やはりあの品々は、日を見ずに終わる定め……」
「そ、それとこれは話が違うわよっ」
「けちけちすんなよ、サインの一つや二つ」
「サインする書類が書類でしょう!」
「きーきーきゃーきゃーうるっせぇな。別にいいだろ。どうせサインするしかねぇわけだし」
「よくな──」
「よくありませんわ!」
ばんっと、扉が開く音。両開きの扉を開き、唐突に室内に入ってきたのは背の低い小柄な女性だった。かつかつときれいな足音で床を進み、クロードの元へ真っ直ぐ向かう。
「お嬢様の婚姻! このわたくしが異議を唱えさせていただきます!」
肩まで伸びた黒髪を切りそろえた二十歳半ばの女性。清貧な黒い服の上に白いエプロン。頭には髪を押さえるシニヨンの頭飾り。紛れもない、シルエラの使用人の──
「アリコ!」
シルエラは指を鳴らすと目を輝かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。